36 剣に頼る剣士など二流だ
『グルァアアアアアアア!!』
雄たけびをあげるミノタウロスに、太陽は顔をしかめる。
「どうするかなぁ……」
魔法が使えない状況に太陽は頭を痛くしていた。危機的状況にも関わらず悲観した様子は見えないが、それでも太陽はうんざりしたように肩を落としている。
「ヘズさん、どうしよう?」
「太陽殿であればどうにでもできよう。某は暫し静観させてもらう」
「……買いかぶり過ぎなんだよなー」
太陽なんて、言ってみればチート能力をもらっただけの童貞である。そのためか彼自身の自己評価はそこまで高くなかった。
『ギィイァアアアアアアアア!!』
「ふぅ。仕方ない」
猛るミノタウロスに太陽はため息をつきながらも、無策なままに一歩前へ踏み出す。
「なんとかなるだろ」
持ち前の適当さを発揮して、悩むことをやめた太陽。地響きを立てて大斧を振りかざすミノタウロスと向かい合う。
「ガラァアア!!」
そして、大斧が振り落とされた。太陽の身の丈ほどもあるそれは太い風斬り音を立てて太陽に迫る。
このまま激突すれば、ぐちゃぐちゃに潰れてもおかしくない一撃。
だが、太陽はその大斧に対して、逃げることはせず。
「よっと」
それどころか、手のひらで大斧を受け止めていた。
刹那、衝撃波があたりに広がる。岩壁は削られ、永遠の監獄内が震えて地面を揺らしていた。
だが、太陽は――
「えっと、うん。こんなものか……ちょっと拍子抜けかも」
――やっぱり無傷だった。凄まじい質量の大斧を、凄まじい膂力を誇るミノタウロスが放った一撃を、太陽は呆気なく受け止めたのである。
『ギガァア……!?』
規格外な太陽に、ミノタウロスさえも驚く始末。牛っぽい顔の口をあんぐりと開けていた。
そんなミノタウロスに、太陽は不敵な笑みをこぼして一言。
「温いな……これなら俺のかーちゃんの方が強い」
思い起こすは、前の世界での思い出。
学生時代にレスリングをやっていたという母親は、何かあるたびに太陽をこらしめた。小さな頃から大きくなるまで何度も何度もやられたせいで、この不遜な太陽でさえ逆らうことはできなかったほどである。
そんなことをふと思い出したのは、ミノタウロスの大柄な体躯が母親とそっくりだったからなのか。太陽の目は若干遠いところを見つめていた。
「ほう。やはり太陽殿の母親も強いのか……いつか手合わせしたいものである」
ヘズは太陽の呟きに何やら好戦的な笑みを浮かべていた。的外れな言動に脱力しつつも、太陽はとりあえず呆けていたミノタウロスに向けて拳を引き絞る。
「や、なんつーかさ……俺、別に肉弾戦が嫌いってだけで、不得意なわけじゃないし。魔法を禁じられたら敵を一発で倒せないからストレス溜まるけど、まあなければないで何とでもなるんだよ」
今まで太陽は魔法でばかり相手を薙ぎ払ってきた。武器も使わず、低級魔法や中級魔法ばかりを使用していた。
だが、太陽の強さとは『魔法』ではないのだ。
暴走と爆発に特化したスキルも武器でこそあるが、彼の強さとはそれが全てではない。
この世界において、圧倒的なアドバンテージを誇る太陽の体質。
それは『保有魔力量』である。
保有魔力量が多いからこそ、太陽の暴走と爆発に特化したスキルが活かされる。たかが低級魔法であそこまでの破壊力を生み出せるのは、保有魔力量が多いことが起因しているのだ。
そして保有魔力量が多いからこそ、太陽の肉体は頑強である。ミノタウロスの一撃だろうと、それどころかあらゆる物理的攻撃は太陽の前で不可能となるのだ。
故に。
「魔法が使えないからって、甘く見るなよ?」
肉弾戦とて、太陽は得意だ。直接的な暴力はあまり好きではないし、殴った時特有の肉を潰す感触は未だに慣れていない。
だが、嫌いなだけでやれないことはないのだ。
ミノタウロスを思いっきり殴りつける彼の力は、巨大なその体躯を吹き飛ばすほどの威力を有する。
『ゴ、ァ……』
あまりの一撃にミノタウロスは大斧を手放し、岩壁に頭をぶつけてしまった。衝撃によって角が折れ、血が滴り落ちる。
持ち前のタフネスさのおかげで、命に別状はない傷であった。だが、肉体的な傷よりも……ミノタウロスにとって、精神的なショックが大きかった。
神獣と謳われたミノタウロスは、遠い昔にエルフによって奴隷の首輪をつけられてこの監獄の門番となった。以来、脱走しようとする魔法の使えない罪人を何人も叩きつぶしてきた。
いつしか恐怖の心は消えて、相手をいたぶる残虐性を持つようになっていたミノタウロスは……しかしこの時になって、久しぶりの恐怖を感じていた。
「おら、どうした? 根性見せろよ。お前らモンスターはみんな軟弱なんだよ……もっと抗え。俺を感心させてみろ。こんな童貞にやられていいのか? 悔しくはないのか? やれやれ、まったく。やはり獣は獣だな。人間様に頭が高い」
拳を構えてシュッシュとシャドーボクシングをかます太陽。舐め切ったその態度は挑発のそれだったのだが、それでもミノタウロスは動かなかった。
『ギ、ギィァ……』
太陽の実力に、最早心が折れていたのである。
「勝負あり、か……流石は太陽殿。その実力は健在である、な」
そんな様子を見てなのか、静観していたはずのヘズが横から口を挟んできた。
「やはり貴君は某の目標である。いずれ、その身に牙を立ててみせよう……相まみえる時を楽しみにしている」
「俺は別に楽しみじゃないんですけどね。まあ、挑戦されたらいつでも受けますけど」
そう言って構えを解いた太陽は、もうミノタウロスに興味をなくしていた。勝負はついたと、彼は大きな欠伸を零す。
その瞬間に、ミノタウロスは隙を見た。
『グガァアアアアアアアアア!!』
叫び、そして……ミノタウロスは一目散に走り出す。背中をむせて全力疾走するその様は、まさしく逃避のための行動だった。
大斧を放り投げて逃げるその神獣は、一人の童貞に恐れをなしたのである。
ドスンドスンと、地響きを立てて走りだすミノタウロス。恥も外聞もないその哀れな姿に、盲目の戦士は舌打ちを零した。
「醜い」
逃走を選ぶその生物を、ヘズは不快だと唾棄して。
「【空閃】」
腰を落とし、手刀を構え……そして、一気に手を振りぬいた。
あくまで『手』である。剣ではない。監獄に幽閉されていたヘズが武器など持っているはずもない。手刀とはいっても、手は手でしかなかった。
だが、その振りぬいた手は……いとも簡単に、ミノタウロスを真っ二つにした。
『――っ』
ミノタウロスは声を上げることすらできなかった。胴から上下に分離した神獣は、血をまきちらしながら倒れ込む。
一瞬の出来事だった。ミノタ/ウロスになったミノタウロスを眺めながら太陽は頬を引きつかせる。
「へ、ヘズさん? どうやってお斬りになったので?」
「空閃――某が対貴君用に編み出した技である。簡単に説明すると、遠くを斬る技だ。これを習得したおかげで、射程距離が格段に広くなったということである」
「いやいや、それも驚きですけど……ってか、ヘズさん武器持ってないじゃないですか。剣ないのに斬るって、何事ですか?」
「某は剣士故、斬るのは造作もなきこと」
「答えになってねぇよ……」
「ふっ。剣に頼る剣士など二流だ。真の剣士とは己の身一つで相手を斬るものである」
「その謎理論には流石の俺もドン引きですけど」
「ミノタウロスの一撃をいとも簡単に防ぐ化物に言われたくないが」
二人は顔を見合わせて小さく笑う。
相対するならこの上ない程の強敵だが、肩を並べるとこの上なく頼もしい仲間となる。
「頼りにしてますよ、ヘズさん」
「勉強させてもらおう、太陽殿」
牢獄の門番を倒して、二人は悠々と足を進めるのだった。
ここから、人間の逆襲が始まる――