30 あいつは怒らせたらヤバイ
---------------------------------
名前:グリード・ヒュプリス
種族:エルフ
職業:大貴族
属性:紅焔
魔力:SS
スキル:【紅焔魔法適性】
冒険者ランク:SS
二つ名:【ヒュプリスの次代当主】【焔の貴公士】
---------------------------------
かつての世界の話。加賀見太陽はこれといって特徴の無い、どこにでもいる普通の高校生だった。
彼女はいないし、友達も然程多くない。とはいってもいなかったわけではなく、ほどほどの交友関係を持っていた。
成績は中の上。どちらかといえば良いが、優秀というわけではない。
性格は楽観的で適当。善人でもなければ悪人でもなく、クラスメイトからの評価は「十年後には忘れてそう」だったくらい、ありふれた高校生だった。
しかしながら、一部において加賀見太陽という存在は「普通」ではなかった。
彼と小学校を同じくする、いわゆる古馴染の生徒は加賀見太陽をこう評する。
あいつは怒らせたらヤバイ――と。
怒らせなければ普通だ。気に留める必要がないほどの凡夫だ。
だが、怒らせてしまうと……加賀見太陽は、手のつけられなくなると古馴染は顔を青くして言うのだ。
こんなエピソードがある。
小学校4年生の頃、太陽の友達がいわれのない虐めにあった。
なんてことはない。小学生特有のくだらない虐めで、担任の先生も見て見ぬふりする程度のありふれた現象だった。
だが、太陽の友達は……この虐めに、泣いていた。
ただそれだけの理由で、太陽は虐めに加担した生徒をボコボコにした。
それも五名や六名という範疇ではない。周りではやしたてた生徒も、陰で悪口をいっていた生徒も、それから見て見ぬふりしていた先生も。
全てを太陽は攻撃した。程度の差こそあれど、彼の徹底ぶりに当時の関係者は全員が恐怖した。
当然大問題となり、虐めも明るみに出て無事解決した。そして太陽は父親にボコボコにされた。
理由は何であれ暴力に走った息子を許さなかったのだ。ともすれば誰よりも殴られたのは太陽の方だったかもしれない。
誰もが目をそむけたくなるほどに太陽は痛めつけられていた。
当時は体罰など然程珍しいものではなかったので、体育会系の父にこってりと絞られたのである。
だというのに、太陽の目は死んでいなかった。
「次やったら、今度こそ許さない」
虐めの主犯格に、ボコボコの顔でなお脅しをかける太陽に当時の生徒は誰もが恐怖したという。
以降は虐めはなくなり、そして太陽も普通に戻った。どこにでもいるありふれた存在になった彼だが、当時を知る生徒の心には何年経とうとも消えない事件だったのである。
加賀見太陽を怒らせるな。
暗黙の了解は鉄の掟として守られ、結局太陽は小学四年生以来一度も怒ることなく……死んでしまった。
そうして、偶然にも異世界に来てあまり激怒したことなどなかったのだが。
ゼータが傷つけられた時に初めてキレて、グラキエルをボコボコにした記憶はまだ新しい。あの時でさえ太陽は十二分に容赦がなかった。
だというのに、今回の怒りは……ゼータの時の比ではなく。だからこそ、彼自身もどうなるか分からない状況にある。
「たす、けて」
声が聞こえた。震える声だった。知ってる声だった。
「た、すっ」
伸ばされた手は今にも落ちそうで、太陽は慌ててその手を掴む。
その手の主は、太陽にとって『身内』と判断して良い存在だった。
「ミュラ……」
ハーフエルフ、ミュラが助けを求めている。
苦しそうに、辛そうに、悶えている……その光景に、太陽の中で何かが弾けた。
「俺が、助けるから」
爆発の魔法で周囲の全てを吹き飛ばした後、太陽は意識を失ったミュラを抱きかかえる。
その華奢な身を羽折っていた火蜥蜴の黒衣で包んで、おもむろに地面に寝かせつけた。
「ゼータ、任せた」
「かしこまりました」
すると、ミュラは途端に消え失せた。訓練場に彼女の姿はどこにもない。
行き先は、地面の下である。ゼータの土魔法によって地下に潜らせて、太陽の大規模魔法の余波を受けないようにという配慮だった。
「これで、気兼ねなくできるな……」
ミュラとゼータがしっかりいなくなったことを確認して、太陽は軽く息をつく。
その視線は、いつもより鋭く……そして、冷たかった。
「くっ、誰だ!? このグリード・ヒュプリスの邪魔をしたのは!!」
ここでようやく、吹き飛ばされたグリードが戻ってくる。埃まみれの金色のローブは、爆風によってところどころ焦げていた。
しかし、このローブは防御力が高かったようで、グリードは意識を失うことなく佇んでいる。周囲のエルフは数名を除いて気を失っているというのに、である。
流石は大貴族ヒュプリス家。装備も一級品らしい。
「許さん……許さんぞ! 当家の力を使って、貴様の家に罰を――」
土煙が晴れる。怒号を放っていたグリードは、しかし太陽を見るや否や口を閉ざして。
だが、即座に開かれることになる。
「醜い……醜いぞ! よもや貴様、人間だな!? しかも、首輪をつけた奴隷だと……どこから脱走した!」
戸惑うような言葉に、太陽は更に目を細める。
「お前、何か知ってるっぽいな……後で聞きだしてやるか」
「黙れ、カスが! 人間ごときがこのグリード・ヒュプリスに話しかけるとは……いや、あまつさえ戦いの邪魔をするなど、許さんぞ!」
怒鳴り、グリードは再びその手のひらに焔を灯した。
「焼け死ねぇえええええええええ!!!!」
次いで放たれる、深紅の焔。それは勢いよく太陽の肉体を襲い、蹂躙して燃やしつくす――はずだった。
「温い」
だが、太陽には効かない。紅焔は太陽を燃やすことすらできずに、霧散してしまった。
「な、な……っ!?」
驚愕するグリードに、太陽はうんざりとしたように言葉を吐き出す。
「くだらんな。その程度の炎で、どうしてお前はそんなに威張れる? 何故周囲を見下せる? 俺からすれば、お前なんてただの羽虫だ。火蜥蜴の黒衣一つ燃やせない、くだらん下等魔法使いだ。それなのに、なんでお前は……ああまで、他を見下せる?」
太陽からすると、グリードは雑魚中の雑魚だ。
違いはあれども同じ火炎魔法使い。その力量差は圧倒的で、はっきりいうと話にもならない。
「お前ごときが偉そうにすんなよ、ゴミが」
奇しくもその言葉は、グリードがミュラを罵倒した時の言葉と同じだった。
ゴミ――そう言われた、グリードの方は憤怒する。
「奴隷ごときが、この俺をゴミだと? 笑わせるなよ、カスがぁああああああああああ!!」
怒りに我を忘れたのだろう。凄まじい形相で太陽を睨み、グリードは魔法を放つ。
「【紅焔超爆発】!!」
それは、グリードの放つことができる最上級の攻撃魔法だった。
紅焔による上級爆発魔法。通常なら対象物を焼き焦がし、後さえ残らないほどの高温で滅するという魔法である。
「【紅焔超爆発】【紅焔超爆発】【紅焔超爆発】【紅焔超爆発】【紅焔超爆発】!!!」
そんな超攻撃魔法を、グリードは幾重にも重ねて展開した。
太陽を殺すために。確実に、絶対に、息の根を止めるために。その肉片の一つも残さない勢いで、グリードは爆発魔法を放つ。
全てが、無駄であることも気付けないままに――
「……本当に、くだらないな」
――爆発の中から響くは、苛立つような声。
「邪魔だ……【火炎】」
次いで放たれるは、低級も低級。火炎属性の魔法使いなら誰でも放てる、初級の魔法。
されども、膨大な魔力によって強化された低級魔法は……グリードの紅焔超爆発を呑みこむ獄炎となるのだった。
「…………ぇ」
あたりには、静けさが広がる。
低級魔法で上級の、しかも固有魔法を払いのけた太陽は……酷く、不快そうな顔でグリードを睨んでいた。
そして、一言。
「今度は俺の番だな……覚悟はいいか?」
敵を見据える瞳に、グリードは顔を青くする。
「……っ」
圧倒的な存在から向けられた敵意に、傲慢なエルフは耐えきれなくなったようだった――