29 ヒュプリス家
――ヒュプリス家。かつて起きた、魔族や人間などとの種族戦争で残した功績によって貴族の称号を授与された、エルフでも有数の大貴族である。
ヒュプリス家がなければエルフ族はその数を半分に減らされていた、という伝承が語り継がれるほどに名のある一族なのだ。その血に宿る才は現代においても顕在で、次代の当主候補であるグリード・ヒュプリスは学院でも五指に入る実力者と言われている。
「よもや、この俺がゴミの処理を行わなければならないとは……まったくもって、不快だ。そう思わないか、半人間」
実力も権力も名声も共に随一。容姿も整っており、そのせいか人気も高く……そして、だからこそグリードは『傲慢』である。通常のエルフもその傾向があるが、彼の場合は特に顕著だった。
「ゴミなんぞこの国には不要だ。いいかげん、人間の国に帰らないのか?」
だだっ広い訓練場の一角にて。グリード・ヒュプリスは一人のハーフエルフ――ミュラを嘲笑う。小馬鹿にするような薄い笑みに同調しているのか、取り巻きの女エルフ達もミュラをバカにするように笑っていた。
「魔法はできない。戦いも無理。頭も悪く、育ちも聞くに堪えない。俺が貴様なら、恥でとっくに死んでいるだろう」
金色のローブを揺らして、グリードはミュラに歩み寄る。対するミュラは引きつった笑みを浮かべながら、震える拳を必死に握りしめていた。
「あ、はは……でも、ボクは……死にたく、ないし」
「誰に向かって口をきいてる? ゴミごときが、俺に口ごたえするな。身の程を知れ」
そして、グリードはグッとミュラの胸倉をつかみ上げる。
「ところで貴様、性別はどっちだ? 男なら弱々しくて論外。女なら薄汚くて話にならん。ふっ、いずれにしても考慮に値しないか。まあどっちでもいいんだが」
グッとボロボロのローブを絞り込むように握りしめて、グリードは一言。
「いいかげんにこの学院から消えろ」
凄むかのような高圧的な言葉に、ミュラは思いっきりに身をすくませていた。あまりの恐怖に何も言えなくなったようで、ガタガタと震えている。
その沈黙がまた、グリードにとっては気に入らなかったらしい。
「返事もないとは……まだ痛い目をみたいらしいな。そうか……口で分からないなら、体に教えるか。そうすれば、ゴミだろうと理解するだろう」
そう言って赤い目を細めてから、乱暴にミュラを投げ捨てた。
「くっ……」
「では、模擬戦を始めるとしよう」
ドサリと倒れ込むミュラを一瞥してから、彼は周囲に向けて声を張り上げる。
「これより、この俺グリード・ヒュプリスが模擬戦闘を行う! 周囲の奴らは退けろ……俺の邪魔をするな。そして、俺がゴミを処理する様を見ているといい!」
そうして、ミュラとグリードの周りからは誰も居なくなった。グリードの言葉はプライドの高いエルフだろうと関係なく、誰もが従ってしまうほどの力がある。
グリード・ヒュプリスになら跪いても良い――と、誰もが思っているのだ。それくらい、グリードは強い。地位も、権力も、実力も、容姿も、何もかもが他のエルフを圧倒しているのだ。
「そうだ……平民共はそれでいい。俺という大貴族に従いさえすれば、庇護を与えてやる。だが、ゴミは焼却する必要がある……このエルフという高潔な種族に、生きているだけで泥を塗るような存在に慈悲など不要だ」
心ない言葉に、しかしミュラは怯えるばかり。怒ることなど彼女にはできなかった。隔てる実力差が反抗することの一切を許さないのである。
「武器を出せ。それを開戦の合図としよう」
「で、でも……っ」
「出せ」
問答は無用だった。脅すかのような物言いにミュラは歯の根を鳴らしながら、震える手で腰元のレイピアを取り出す。
一応、彼女だって戦う術を持っていないわけではない。自衛のためにゴミ山でアルファ型魔法人形と戦っているくらいの努力していたのだ。その一貫でゼータ型魔法人形のゼータに襲いかかり、結果返り討ちにあって太陽と出会ったというわけである。
レイピアは非力な彼女が唯一振るうことのできる、軽量の武器である。刺突に特化したレイピアは使う者によって脅威ともなるだろう。
だが、ミュラは……生まれつき体が弱かった。ハーフエルフということもあり、人間特有の固有スキルも持たず、またエルフの固有属性も持ち合わせることなく産まれてしまった。
そんな彼女に、戦いの才などあるはずもなく。
「精々、踊るといい……この俺を楽しませろよ、ハーフエルフ!」
震える手が握るレイピアは、グリードの初撃によって手放されるのだった。
「【紅焔の矢】」
放たれるは紅焔の矢。血を連想させるその焔は通常の炎とは違って綺麗な紅を魅せていた。
炎ではなく、焔。異質なそれは、矢となってミュラを焼く。
「――ぁ」
熱い、とも言えなかった。熱気が肌を撫で、喉を蹂躙する。あまりの痛みに意識が明滅して、ミュラは地面に倒れ込んでしまった。
「ふっ……紅焔よ。焼くにも値しないといいたいのか? それともなぶりたいのか? まったく、俺の相棒は我がままな奴だ」
しかし、その身には一切の火傷はなく。
「残念だったな、ゴミ。俺は焼かれて悶え踊る無様さを見て満足する予定だったのだが、相棒がもっと痛めつけたいらしい。もうしばらく、焼け苦しむことになりそうだな」
グリードは呻くミュラを眺めながら、薄らと笑みを浮かべるのだった。
紅焔――ヒュプリス家の持つ固有の魔法属性である。火炎の上位互換とでも表現すればよいのだろうか。火力も熱量も通常の炎より高く、戦争時は大群を焼き払ったとして伝説になった焔だ。
また、炎に似て炎に非ず、その深紅の焔は意思を持っていたりする。焼く対象や強さなどは焔の意思によって決まるのだ。物理的なダメージではなく、精神的なダメージにのみしぼることも可能である。
刹那に燃やすも、じっくり炙るも、全ては焔の意思のみぞ知る。その意思は主によって決定するのだ。今回の場合は残虐なグリードの性格を引き継いだのか、ミュラを痛めつけるように燃やすつもりらしい。
「【紅焔の槍】」
今度は槍のような形状をした紅焔がミュラの胸を貫く。体内を熱によって蹂躙される感覚に、ミュラは白目を剥いた。
「ガハッ」
だが、やはり彼女の体に火傷はない。それどころか纏う灰色のローブにすら焦げ跡はなかった。ただただ、焼かれる痛みがミュラに与えられるのである。
「どうした? まだ低級の魔法だというのに……もっと耐えてみせろよ、ゴミ! これで終わってはつまらないだろうがっ」
続けて放たれる紅焔によってミュラの意識は強制的に引き戻された。意識を失う暇すら与えるつもりはないようである。
「や、め……っ」
「あ? 聞こえないぞ、もっと声を張れ……【紅焔の海】」
「――――!!」
今度は全身が焼かれる錯覚に、ミュラは言葉にならない叫び声をあげた。足裏から頭の先まで達する熱に意識は消えそうになるが、その寸前になると途端に熱がなくなるせいで気絶することはできなかった。
紅焔がミュラを徹底的に痛めつけるべく、熱の強弱を操作して気絶させないようにしているのである。
(な、んで……ボクばっかり)
痛みにのたうちまわりながら、ミュラは心の中で呻く。
生まれが少し違うだけでここまで迫害されることが理解できなかった。
彼女はエルフが嫌いである。なぜなら、自分たちとは違う種族など『ゴミ』でしかないと思っているからだ。
ハーフエルフのミュラはその境目にいる。故にゴミと認識され、ゴミには何をしてもいいと思うエルフはミュラを痛めつけて遊んでいるのだ。
そう、これはグリードにとって『遊び』である。
美しい見た目に反して残虐性を秘めたこの一族は、裏腹にとんでもない汚さを秘めている。見た目が美しく、心が綺麗などというようなことはない。
そのことを誰よりも理解しているミュラだからこそ、彼女はエルフが嫌いなのだ。
本当はエルフの国から出たいのだが、国がそれを許していない。結界を出る方法がないのだ。ミュラの意思ではどうにもならない問題ともいえよう。
故に、グリードの出ていけという要求はあまりにも理不尽なものなのである。
(太陽くんは、優しかったのに……)
身を焼かれながら、ミュラは脳内で彼を思う。
突然にしてゴミ山に現れた謎の人間だった。最初は勘違いでお付きの魔法人形を襲ってしまったが、以降は普通の態度で接してくれた。
目を見て話してくれた。ミュラをゴミではなく、一人の個体として認識してくれた。生まれをバカにせず、見下すこともなく、いつだって理不尽な暴力を振るうことはなかった。
(性別は、間違われちゃったけど……)
それだけは、少し怒ってしまったのだが。
この程度は些細な問題でしかなくて。
(お父さんに、そっくりだったなぁ)
そんな太陽に、ミュラは……かつての父親を見てしまったのである。
非力な人間だったというのに、最後までミュラを見捨てなかった。いくら迫害されようと、愛する妻をなくして悲観しようとも、最後までミュラの味方だった。
もういなくなってしまった父親の面影を太陽に見てしまったが故に、彼女は太陽に親身だったのだ。
「もう、イヤだよ……」
精神を痛めつけられたミュラは、とうとう涙を流して言葉を喘ぐ。
「たす、けて」
誰にとも知れない呟きは、当然の如く誰もが聞き入れることはなく。
「助けて? ふ、フハハっ……フハハハハ! 誰が、ゴミを助けるために動くのだ!? 普通、路傍の石ころが踏まれるのを身を呈して守ろうと思うか? 貴様が求めていることは、そういうことだぞ?」
むしろ嘲笑されることになる始末に、ミュラの心は壊れかけた。
「た、す……」
それでもなお、手を伸ばすミュラ。
最早思考はまともじゃなく、痛みから逃れることのみを考える頭はただ一心に救いを求めることしかできなかったのだ。
その手のひらは、虚空に伸ばされて……無情に、空を掴み――
「分かった」
――だが、大きな手のひらがミュラの手を包み込むように握った。
「【爆発】」
瞬間、全てが吹き飛ばされる。
赤き焔も、残虐な笑みを浮かべるグリードも、こちらを見て嗤うエルフ達も……全てが吹き飛ばされ、代わりに現れたのは一人の『人間』だった。
「場所を探すのに手間取ったな、くそ……ごめんな、遅くなって」
爆発の中心地には、あまりパッとしない顔つきの人間がいた。
しかし、その手はミュラにとって誰よりも力強く……そして、優しかった。
かつての父をそこに見て、ミュラは安堵に身を震わせる。溢れ出た涙は悲痛のそれではなく、安心の果てに滲んだ感情の発露だった。
「太陽くん……っ」
焼け焦げた灰色のローブをはためかせ、人間――太陽はミュラの頭を優しく撫でる。
「もう大丈夫だ。俺に、全部任せろ」
たった一言だった。されども、ミュラにとっては何よりも嬉しい一言だった。
「俺が、助けるから」
その言葉に、ミュラは意識を失ってしまう。
もう大丈夫だ。不思議とそう思わせてくれる太陽の言葉に、心から安心してしまったのである――