24 俺の魔法人形がこんなに可愛いわけがない
「人間が! 劣等種の分際で、よくも……よくもグラキエルをっ!!」
グラキエルを黒焦げにして、しばらく経って最初に声をあげたのは闘技場の端っこにいたアリエルだった。
「騙したな!? 貴様、奴隷じゃないのか! ゼータ型魔法人形も、グルだったというわけだな!!」
太陽がエルフに平気で攻撃を加える様を見て、彼女はようやく事態を理解できたらしい。自らが騙されていたことに気付けたようだ。
「あの女狐の王女め! 下等な人間の分際で偉大なエルフ族を騙すとは、許さない! 貴様も、ゼータ型魔法人形も、許さない!」
傲慢なエルフを体現するアリエルは、人間を見下している。故に、奴隷を引き渡されても、毎度毎度きちんと命令がかかっているかどうか確認もせずに受け取っていた。人間が逆らうはずないと思い込んでいたのである。
その分怒りも爆発しているようだ。激昂して怒りに形相を歪めるアリエル。太陽はやれやれと肩をすくめて、エルフ族は短気だなと呑気なことを考えていた。
そんな太陽の態度が、アリエルは気に入らなかったのだろう。
「貴様ぁ……!」
だが、実力では太陽に敵わないというのはグラキエルとの戦いで十二分に察していたらしい。そのため、彼女は太陽に襲いかかるような真似はしなかった。
その代わり、彼女が選んだのは――人質をとること。
「動くな! この人形が、どうなってもいいのか!?」
ゼータの首元に、装備していたであろうナイフを突き付けて彼女は太陽を脅そうとしているようだ。
「仲間なんだろう? この人形を壊してもいいのか!?」
「…………っ」
怒鳴るアリエル。無表情で首元にナイフを突き付けられたゼータ。
そして、息を呑んだのは……加賀見太陽であった。
「おい……」
軽薄な笑みが彼の顔から消える。ふざけてばかりで緩んでいた頬が、一気に引き締まる。呑気そうな瞳には明確な敵意が宿り、適当なことしか言わない口からは重い息が吐き出されていた。
「ゼータに、手を出すな」
短い一言は、太陽の心を全て表現する。
ゼータに手を出すことを許さないと、太陽は断言していたのだ。
しかし、この一言でアリエルは勘違いをしてしまったようだ。
「なんだ、動揺しているのか! 動くなよ、人間……貴様が変に動けば、この顔に傷を入れる。目を抉り、鼻を削ぎ、唇を割る。所詮は魔法人形だ、痛みなどないだろう」
そう言って、更に言葉を続けた。
「だからこそ、人形の胸元にある魔方陣をぐちゃぐちゃに歪めてやる! 陣を壊し、この魔法人形の自我を奪う……精神的に崩壊させてみせよう! 私にはそれができるぞ? いいのか、人間!!」
自分に優位性があるとでも思っているのか、酷薄な笑みを浮かべてアリエルは太陽をけん制する。対する太陽は無言で、ゼータにのみ視線を注いでいた。
その瞬間。
「【錬成・美しき氷の爆発】!!」
氷の爆発が、太陽を襲った。
「くっ……」
不意をつかれた太陽は表情を歪める。視線を向ければ、そこには意識を取り戻したグラキエルがいた。
黒焦げで煤けているし、衣服も焼け焦げているので無残な姿である。だからこそ、太陽への怒りはより一層強いようだった。
「よくやった、アリエル! 虫けらのごとき人間の分際で、エルフであるこの俺様をバカにしやがって……許さん! 貴様は、痛めつけて殺してやる!!」
氷の剣を出現させて歩み寄るグラキエル。その姿を横目に、太陽は再びゼータの方に視線を戻した。
「ゼータ……」
太陽の重苦しい言葉に、しかしゼータ型魔法人形は平然としたままで。
「ご主人様。ゼータはただの人形です。あまりお気になさらないでくださいませ。壊れたら作り直せばいいので」
いつもの通り、無表情に。
淡々と紡がれたその言葉に、太陽は首を振って。
「そんなこと言うなよ。だって、お前は俺の……っ」
それから、何かを言いかけたその時に――
「喋るな、人形。エルフの国で作られたからって調子に乗るな」
――ゼータの頬に、一筋の裂傷が刻まれた。
刹那。
「殺す」
太陽は、激怒した。
アリエルの手で傷ついたゼータを視認して、彼の感情は爆発してしまったのだ。
「人間風情がぁあああああああ!!」
「…………お前らは、やってはいけないことをした」
喚きながら剣を向けるグラキエルに対して、太陽は酷く冷静に。
「だから、ぶちのめす」
されども、残酷に。
その右の拳を、グラキエルの頬にぶつけるのだった。
「――へ?」
エルフの剣闘士はまさか反撃されるとは思ってなかったのだろう。人質をとっているのだから、一方的な蹂躙ができると甘いことを考えていたのだろう。自分の気を晴らすために、太陽を痛めつけようとしていたのだろう。
しかしそれらは、まったくもって無意味な決めつけでしかなくて。
「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11……」
「アガッ、グペッ、ガハッ、ギェッ、ッァ……」
数字を数えながら殴打する太陽に、グラキエルは成す術もなく殴られていくのだった。
回避は不可能。何故なら、グラキエルは剣闘士の称号を掲げる癖に、その戦術は魔法に頼ったものであるからである。肉弾戦は醜いなどと言い捨てていた彼は、単純な殴り合いにとても弱かった。
太陽の素人パンチですらグラキエルは対処できない。故に、太陽はボコボコに殴る。保有魔力が高い故に潰れない拳をフル活用して、完膚無きまでに拳を振るった。
太陽は基本的に魔法での戦いを好む。自らの手で相手を傷つけることはあまりしない。前の平和な世界で育った彼は、無意識に直接的な攻撃を避けるきらいがあった。
だが、この瞬間において太陽はその意識を消した。ゼータという、太陽にとっての『身内』が傷ついたことによって、我を忘れてしまったからである。
「ひ、ひぃいい……やめろ、やめてくれ! 顔は、やめるんだ!」
殴られて、グラキエルも戦意が折れたようだ。身を丸めて自らの身を守ろうとするのみ。太陽はそれでも気にせず、殴り続ける。
「バカ言うなよ。お前らは俺の大切な身内を傷つけたんだ……お前も、傷つけよ」
過剰なまでの攻撃。あまりにも一方的な殴殺に、硬直していたアリエルはようやく声を上げた。
「に、人間! こ、こいつが、どうなっても、いいのかっ」
先程の威勢はない。情け容赦の一切ない太陽の態度に、怯えているようでもあった。それでもゼータを使って脅そうとする当たり、まだ心に余裕があるのだろう。
「それ以上ゼータを傷つけるのか? じゃあ、俺はこいつを傷つける」
そんなアリエルの心を、太陽は折りにいった。
「よく考えろよ、エルフ。今、誰がこの場の主導権を握っていると思う? お前か? ゼータを人質にすれば俺が動かなくなるでも思ったか? 甘いな。傲慢がすぎるあまり、お前らは人間を侮り過ぎてる」
足元で蹲るグラキエルを踏みつけて、太陽はそう言葉を吐き捨てた。
「仮にお前がゼータを殺したとしよう。ならば、俺はこの男エルフを殺す。お前も殺す。この場に居るエルフも殺す。この街のエルフを、この国のエルフを、容赦なく殺す」
「き、貴様ぁ……に、人間の、分際でっ」
「まだそんなことが言えるのか……いいだろう。なら、はっきり言っておくけど、お前らエルフ族『ごとき』の命は、ゼータ一人の命に釣り合わないっていうことなんだよ。たかがエルフが、いきがってんじゃねぇよ」
この取引は、あまりにも理不尽なものだった。
太陽の掌中にはエルフ族の命が握られているのである。殺すのも、太陽なら容易いことだ。
何故なら、彼は人智を超えた化物なのだから……
「最後の通告だ。ゼータを、離せ」
冷静に、されど憤怒する太陽はそう言ってアリエルを睨んだ。殺意すら浮かぶ禍々しい視線に、いよいよアリエルも恐怖を感じてしまったのだろう。
「ぅ、ぁ……」
かくんと、膝を地面に落とした。結果ゼータは自由の身となる。
「ご主人様……」
静かに歩き、太陽のそばに戻るゼータ。そんな彼女は、今の太陽を見て驚いているようでもあった。
「ゼータは、その」
「あ、ダメだ。お前の綺麗な顔に傷がついた……せめて、この男くらいは殺しとくか」
しかし太陽の怒りはまったく収まってないようだった。無情に足元のグラキエルを見下ろし、その手に火炎魔法を展開させようとしている。
本気だ。そう感じて、ゼータが目を見開いたその瞬間だった。
「く……【強制空間移動】――『廃棄場』!」
アリエルの、震える声が響き渡って。
「…………ん?」
気付けば、ゼータと太陽は闘技場とは違う場所にいた。
どうやら、アリエルの空間魔法によってどこか違う場所に飛ばされてしまったらしい――と、太陽は判断して。
「んだよ……脅し損なった。もう少し、怖がらせておく予定だったのに」
それから、大きくため息をつくのだった。
やれやれと肩をすくめる太陽。その様子を見て、ゼータは小さく声をかける。
「……殺す、つもりだったのですか?」
「ん? いや、別に。ただ、調子乗ってるから懲らしめようとしてただけだよ。ゼータの顔を傷つけたんだから。せめて、一生もののトラウマくらい植え付けとこうかと思っただけ」
あっけらかんとしたその態度は、先程までの禍々しい雰囲気を放った太陽ではない。
いつも通りの、呑気な彼なのだった。
「……そう、ですか」
ゼータはふっと力を抜いて、太陽の服の裾を握る。らしからぬ態度に太陽は首を傾げていたが、この時ばかりは素直なままに。
「ゼータは、いつものご主人様がいいです」
安堵するような息とともに、そんなことを言うのであった。
太陽は照れるかのように頬をかきながら、視線を逸らす。
「まあ、その、なんだ。とにかく、無事で良かったよ……顔の傷は、治せる時に治そう」
「いえ、このままで問題ありません……ちょっとだけ、ゼータの為に怒ってくれことは、嬉しかった、です。なので、これはゼータの、思い出にしたいと思います」
「え? あ、そう?」
いつもの二人からは程遠いやりとりは、まるで仲の良い主従に見えなくもなかった。
(お前誰だよ!? おかしい……俺の魔法人形がこんなに可愛いわけがない)
内心でドキドキしながらも太陽は動かない。ゼータの気が済むまで、洋服の裾を握らせておくのだった――