177 加賀見太陽は見捨てられない
「とりあえず、座ってくれ」
ひと悶着あったが、どうにかフレイヤは落ち着いたようだ。
虚空から小さなテーブルとチェアを取り出して、太陽に座るよう促した。
「酒でも飲みながらゆっくり話そう」
「……俺、お酒飲めないんだけど」
「そうか。実は私も苦手だ」
「じゃあ何で酒を勧めたんだ……」
「雰囲気が出るかと思ったのだが、飲めないなら仕方いな。お茶にするか」
神様の謎パワーで取り出されたティーカップには、なみなみとお茶が注がれている。
一口飲んでみると、不思議な味わいが口内に広がった。
「とある世界のお茶だ。ここや、貴方のいた地球とは違う世界でな……面白い味だろう? 私の保有している中でも、一番のものだと思う」
「そうなのか? 美味しいけど……そんな希少なのを俺に飲ませて良かったのか?」
太陽はお茶の良し悪しなんて分からない。美味しいとは思うのだが、何がどう美味しいのかはまったく分からなかったので、申し訳ない気分になった。
それでもフレイヤは、問題ないと首を横に振る。
「貴方になら惜しくない。一方的に迷惑をかけているのだ……これくらいで罪滅ぼしになるとは思ってないし、許してくれと言うつもりもないが、単なる私の自己満足だ。何も考えずに、飲み干してくれ」
神様のくせに、フレイヤは太陽に対してとても丁寧である。
ゼウスやヘパイストスなんかは、これ以上ないくらい舐め腐った態度をとるのだが、彼女は違う。
「可能な限り、貴方には不自由させてくない。私にできることなら何でもさせてくれ」
どこか、必死さを感じさせる言動だった。
「この世界にいる間は私が貴方の生活を約束しよう」
「……そうしてくれるのは嬉しい。だけど、どうしてそんなに俺のために色々やってくれるんだ?」
太陽はフレイヤの言動が理解できなくて、首を傾げる。
「どうしてそんなに、俺に媚びてるんだ?」
そう。彼からすると、フレイヤの態度は媚びているようにしか見えなかったのだ。
実際それは、真実である。
「私には、貴方の優しさに縋ることしかできない」
彼女は静かに言う。
真剣な表情で、まさしく神様らしい堂々とした態度で、言葉を紡ぐ。
「……貴方に対しては誠実でいたい。だから、正直なことを言う。貴方が帰りたいと、心の奥底から願うのなら――帰すことは可能だ」
元の世界に、太陽を帰すこと。
それが可能だとフレイヤは言っている。
「でも、さっきは信仰の力を消費したとかなんとかで、できないって言ってたのに?」
「普通には、もちろんできない。だが――私の身を犠牲にするなら、話は別だ」
神が下界にて力を行使する際、信仰の力が必要となる。
現在、フレイヤにはこの力がなかった。違う世界の太陽をこの場に呼んだだけで、信仰の力はほとんど失ってしまった。
だが、彼女自身の力がなくなったわけではない。
「私が、下界に留まる力を使用すれば……貴方を帰す力くらいどうにか賄えるだろう。代償に私は下界に留まれなくなるが、それは仕方のないことだ」
これは、最後の手段である。
もう後がなくなった時の、保険のようなものだ。
「……貴方が真に望むのなら、元の世界に帰そう。これが、通すべき筋だ」
自分が損をしようとも、フレイヤは関係ないと言わんばかりである。
彼女が優先したのは、礼儀だ。
「また、正直に言う。本当は、この事実を隠そうと思っていた……貴方には何が何でも、この世界を助けてもらおうと思っていた」
だから最初の時にこの事実は伏せていた。
しかし、もともとフレイヤは真っ直ぐな性格だったのだろう。
「貴方と会話をしていて、やっぱり嘘をつくのはやめようと思った。貴方は誠実に私達と向き合っている。だから私も、貴方には誠実でありたい」
もしも本当に、太陽が帰ることを望んでいたのなら。
この世界のことなんて関係ないと思っているのなら。
それは仕方ないことだから、帰ってもいい。
そう、フレイヤは言っているのである。
「でも、私は……貴方に残ってほしい。この世界を、助けてほしい。そのためには何だってやる。可能な限り、力を尽くす……これが私の、貴方に話したかったことだ」
フレイヤは、失礼を承知でなお、残ってほしいと懇願していた。
故に彼女は、加賀見太陽に媚びるような真似をしていたのだ。
騙すことはしたくないが故に、太陽の慈悲を求めたのである。
「……どうだろうか」
フレイや視線を伏せながら、太陽の返事を待っていた。
対する彼は、フレイヤの言葉を耳にして――
「分かった。助ける」
――平然と、首を縦に振った。
「さっきも言ったよな? 俺は、元の世界でも国の騎士だった……世界が違っても関係ない。この場所を守るのは、義務だ」
それもあるが、やはりこの世界の存在と触れ合ったのも、太陽が帰還しない理由の一つだ。
「ゼータも、王女様も、エリスさんも……それから、お前も。こんなに関わってしまったら、見捨てることなんてできないし」
このまま、彼女たちが不幸のままというのは、気持ちが悪かったのだ。
「その代わり、全部が終わったら帰してくれよ? 俺が何もかもを幸せにして、万事解決したら、しっかり帰るからな」
笑いながらそう言えば、フレイヤは嬉しそうにはにかんだ。
「……そう言ってくれると、嬉しい。感謝する。貴方の優しさには頭が上がらない」
神様だと言うのに、彼女はきちんと頭を下げて太陽に感謝していた。
「元の世界への帰還は、しっかりと約束する。だから、この世界を――頼む」
「任せろ。ハッピーエンドにしてやるよ」
「うん。そうしてくれるなら、私も――貴方が幸せでいられるように、全力を尽くそう」
そうして、フレイヤは太陽に手を差し出した。
「よろしくお願いする……加賀見太陽」
「ああ、えっと……フレイヤ様、だっけ?」
「フレイヤでいい。呼び捨ててくれ」
「じゃあ、俺も。太陽でいいから」
「呼び捨ては、恥ずかしいな……だが、善処しよう」
しっかりと、二人の手は結ばれたのだ。
これで太陽とフレイヤの間に禍根はなくなった。
これからは、お互いがお互いのためになるように協力して、世界を救うために頑張ることを誓ったのである――




