175 もどかしくあるが、誠実でありたい童貞の信念
「ご主人様……?」
「な、なに?」
「いえ……ちょっと、呼んでみただけです」
部屋で二人きりになってから暫く経った。
しかしゼータが落ち着く様子はない。表情にこそ大きな変化はないが、らしからぬ甘えた態度を見せていた。
「……最初、ご主人様の気配を感じた時、びっくりしました。信じたかったのですが、信じられなくて……でもやっぱり、生きてました」
ゼータは人間にそっくりの外見だが、実際は魔法人形というアイテムである。
太陽の気配、というか魔力を感知して彼が現れたことを察知していたようだ。
「そういえば、ゼータはどうして城にいたんだ?」
「……ご主人様の情報は、ここに集まると思って滞在させていただいてました」
なるほど、と太陽は頷く。
ゼータは太陽が死んだことになってからも、諦めずに待ち続けていたのだ。
そして、太陽が実際に現れた歓喜しているのだろう。
彼女は気丈に『信じていた』と口にしているが、内心では不安だったようだ。だからこそ、こうして現在、太陽にピタリと密着しているである。
そんな彼女を、太陽は安心させてやりたい。
お前の隣に居る。不安に思う必要はない。ゼータを、愛している。
頭の中ではそういった言葉が次々と思い浮かんでいた。
でも、このセリフを言うのは……この世界の住人である加賀見太陽が言うべき言葉だ。
他世界の加賀見太陽がその言葉を口しては、ゼータを騙すことになる。
嘘をつくことも、優しさではあるだろう。
だが、それは誠実じゃない。
なんだかんだ、彼は今までずっと童貞である。その原因は、太陽がへたれで情けないからというのもあるが……何より、女性を傷つけたくないという思いが一番にあったからである。
例えば彼が、阿久津のように自分本位な性格をしていれば、童貞なんてとっくに卒業していただろう。
例えば、今――太陽がこの世界の太陽である振りをして、ゼータに迫ったのなら。
彼女はきっと、太陽を受け入れてしまうだろう。
だけどそれは、太陽が望む形ではない。
故に、彼は真実を告げるのだ。
「あのさ、ゼータ……俺は、加賀見太陽だ。それは、嘘じゃない。でも、厳密に言うと少し違うんだ」
この時ばかりは、真っすぐにゼータを見つめる。
いつものへたれさはない。へらへらとした態度も見えない。
実直なまでに誠実に、ゼータにしっかりと言葉を紡ぐ。
「俺は、別の世界の加賀見太陽なんだ」
そう言われたところで、ゼータはきっとポカンとしてしまうだろう。
太陽は自分で言っておきながら、なんて意味不明なセリフなんだと内心ではあたふたしていた。
「その、つまりだな……この世界の加賀見太陽は、まだ行方不明らしいんだ。いや、死んでるわけはないと思うんだけど、あれだ。俺は、お前の知っている俺じゃないということで、だからそれだけは理解しておいてほしいというか……」
しどろもどろな説明である。
要領を得ないその言葉は、聞く者を混乱させてもおかしくなかった。
だが、ゼータは――まったく表情を変えなかった。
ただ、彼女もまた真っすぐに太陽を見つめたままで。
「……存じております」
それから発せられた一言は、逆に太陽を混乱させるものだった。
「え? でも、お前……」
喜んでた。太陽が生きていて、とても嬉しそうにしていた。
しかし、彼女は太陽が違う世界の彼であることを、知っていたと口にしている。
「魔力の流れが、ゼータの知っているご主人様と、ちょっと違います。あなた様は、ゼータの知っているご主人様ではないかもしれません」
「そ、そうなんだっ。つまり、俺は……違うから」
「でも、ご主人様はご主人様です」
違うから、太陽はゼータの思いを受け止められない。
その役目は、この世界の太陽が担うものだから。
対して、彼女はそれでもいいと言っている。
太陽が、違う世界の太陽でも……関係ないと、見て見ぬ振りをしていた。
「あなた様は、ゼータのご主人様です……」
ベッドの上で、隣り合って座るゼータは、太陽の手をそっと握った。
震える手は、彼女の感情を物語る。
「もう、一人にしないでください」
その時、ふと太陽は以前のことを思い出した。
太陽がリリンに召喚されて、一年間姿を消していた時のことだ。
ゼータは、ずっとずっと太陽を探し続けていた。
太陽が居なくなることを、過剰なまでに恐れていた。
今も、ゼータはそうなのだ。
違うと分かっていてなお、それでいいと思い込んでいる。
あるいは、自棄になっていると言ってもいいかもしれない。
彼女はとにかく、太陽が居なくなることを怖がっているのだ。
「前は……恥ずかしくて、ご主人様にしてあげられなかったことがたくさんありました。素直になれなくて、心無い言葉を発したこともあります。全部、謝らせてください。してあげたかったことを、させてください」
彼女はすがりつく。
「どうか、それまでは……ゼータのご主人様として、ゼータを傍に置いてください」
太陽は死んでいないはずだ、とゼータは今まで信じ続けていた。
だがそれは、言葉を言い換えると……そう盲目的に信じなければ、心が壊れそうだったとも言えるわけで。
ゼータは、太陽が想像している以上に、太陽の死を恐れているのだ。
それが、太陽はイヤだった。
「信じてほしい」
不安そうな彼女の手を、強く握りしめる。
俯く彼女に、力強い言葉を紡ぐ。
「確かに俺は情けない奴だと思う。違う世界だろうと、お前をこんなに寂しがらせて……本当に、許せない奴だ。次に会った時は、殴り飛ばす」
そして彼は、はっきりと言い切る。
「でもさ、信じてくれ。俺は生きてる……死んでない。本当に、生きてるんだ。へたれだし、情けないし、いざという時にしり込みする可哀想な奴だけどさ」
太陽は、誰よりも自分がダメダメな奴であることを自覚している。
でも、だからって……
「好きな人を置いて死ぬほど、俺はバカじゃないよ。生きてるって、信じてくれ。もう少しだけ、待っててくれ。俺が、つれてくるから……その時に、いっぱい色んなことをしてやってくれ。俺はきっと、喜ぶだろうから」
笑いかけて、ゼータを元気づけるように抱きしめる。
愛している、とは違う世界の太陽には言い切れない。
でも『愛していると信じてくれ』という台詞は、違う世界の太陽でも言える台詞だ。
そんな太陽の優しさに……ゼータはポロリと、涙を零した。
「――そう、でしょうか」
「うん。そうだ……俺は、生きてる。さっきも言っただろ? 信じてくれ」
「――ゼータはまた、ご主人様にご奉仕できますか?」
「もちろん。それだけは、自信を持って言える」
「――あなた様は……本当に、最低ですね」
「うん。そうだ。俺は最低だ――って、あれ? 今の台詞おかしくない?」
ゼータは泣いていた。
でも、泣きながら……小さく、微笑んでいた。
その笑顔は、先程のような陶酔した笑みではない。
もっと、穏やかで……少しだけ悲しそうで、だけど前向きな笑顔だった。
「こんなに、大好きなんです。受け入れてくれても、良いと思います」
「残念だったな。童貞は色々と面倒なんだよ……」
「最低ですね」
ようやく、だった。
ここに至ってようやく、ゼータは太陽の知っているゼータになっていた。
「最悪です。でも、最低で最悪なご主人様のことが、大好きなんです」
「うん、それは分かってる。お前、俺の事大好きだもんな」
「はい。だから、待ってあげます」
涙を拭って、ゼータは息を吐き出す。
仕方ないと言わんばかりに……肩をすくめて、太陽にもたれかかりながら。
「早く、連れ戻してください。その時にゼータは――エッチなこと、してあげる予定ですから」
「なんだと!? くそ、羨ましい……なぁ、やっぱり俺にやっても良いんじゃないか?」
「それは、あなた様の世界のゼータにしてもらってください」
つれない態度は、いつも通りのゼータらしくて、太陽はなんとなく安心してしまった。
やっぱりゼータは、冷たくて温かくてこそ、彼女なのである。
世界が変わっても、ゼータの愛情はやっぱり変わっていなかった――




