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168 とりあえず殴ろう

「はぁ!? 何泣いてるだよ、王女様! 泣きたいのはこっちなんですけどっ」


 加賀見太陽は叫ぶ。

 目の前には、口に手を当てて涙を流す王女様がいた。ぺたりと地面に座り込んでいる。


 泣きたいのは太陽の方だった。


「あ! もしかして転移魔法で強制的に俺を呼んだな!? くそっ、なんで今なんだよ……せめてあと数分待ってくれていたら、俺は今頃――」


 想起するは、ゼータの裸。

 あともう少しで、太陽は大人の階段を駆け上がるはずだった。


 せっかく、ゼータも受け入れる用意をしてくれていたのだ。

 結果的には、彼女の思いも裏切ることになっていたので、太陽は深いため息をつく。


「今頃……はぁ。俺もそろそろ、童貞卒業したかったのに」


 肩をすくめて、やれやれと息を零す。


 はっきり言って、場にそぐわない態度だった。

 現在、謁見の魔には三人の人物がいる。


 一人は、絶望していた王女様。


 一人は、童貞を卒業できなくて絶望している加賀見太陽。


 そして、もう一人は……アルカナを絶望に陥れていた、張本人。


「加賀見太陽……お前、生きてたのか!?」


 不意の怒鳴り声だった。

 声の方向を振り向けば、そこには男性が一人。


 その男の容姿は、一言でいうと『不健康そう』である。

 お腹は出ており、顔も脂っぽく、髪の毛もボサボサに長く伸ばされている。肌も荒れており、あまり清潔感があるとは言えなかった。


 そのくせ、目は異様にギラギラしている。

 何か小汚い欲望が、その瞳には宿っているような気がした。


 あと、見覚えがなかった。


「…………えっと」


 あっちは太陽の名前を知っていたので、恐らくは顔見知りなのだろう。

 だが、太陽の記憶にこんな男はいない。


「誰?」


 考えても分からないので、仕方なく聞いてみることに。

 そうすれば、男は激昂したように唾を吐き出すのだった。


「お、お前……!? 俺を、忘れたのか!」


「え? うん。あのさ、出会う人全てが自分のこと覚えてるなんて思わない方がいいぞ? 世の中ってさ、自分に対して思ったより興味を持ってないんだから」


「黙れ! 相変わらず生意気な奴め……二度も殺してやったはずなのに、どうして生きていると聞いているのだ!?」


 殺してやったと、男は言った。

 太陽が死んだのは、天界で神様と戦った時と……あとは――太陽が転生する前。


 地球で一度、彼は殺されている。


 クリスマスイブのことだ。

 ラブホ街で、通り魔に襲われそうになっているカップルを助けようとして、太陽は死んだ。


(あの時も、確か――ナイフを持っていた男は、こんな感じで薄汚かったような)


 と、ここでようやく、太陽の脳みそは奴の姿を思い出す。


「お、お前はあの時の! クリスマスイブなのにモテなくて一人寂しく通り魔やってた、可哀想な人か!」


 あの日は自分も一人寂しくカップルにイヤがらせして憂さ晴らししていたことは棚に上げて、太陽は男に哀れみの視線を向ける。


 その態度が、男は気に入らなかったらしい。


「黙れ! 俺は、モテなかったわけじゃない……あいつが、俺の幼馴染を! 奪った……だから殺そうとしたのだ!」


 通り魔だと思っていたが、どうやら普通に殺人犯だったらしい。

 明らかに、太陽よりも常識がないことは明白だ。恨みを買えば、どうなるか分からないことは太陽も理解していたはずだ。


「あれ? そういえばお前、カップルの女の方狙ってたよな……もしかして、男の方が幼馴染だったのか!? 女の方に嫉妬してたのかよっ」


 しかし太陽は相手を煽る。

 男はこめかみに欠陥を浮かべて、いよいよキレそうになっていた。


「違う! 俺は、あいつと結婚するはずだった……一生、一緒に居ようと、小さなころに約束だってしたのに!」


「はいはい、どうせ夢の中っていうオチだろ? 分かってる分かってる、はっきり言っておくけどその話つまんないぞ?」


「な、舐めるなよ……クソガキ!」


 瞬間、男は爆発した。

 比喩ではない。怒りと一緒に、男の体から火炎が吹き上がったのだ。


「おっと」


 太陽は無意識に、王女様を守るように前へ出た。

 爆風が謁見の間を襲う。王女様は太陽が守ったので無傷だったが、部屋の方はどうにもならなかった。


 崩壊が進む。音を立てて天井が崩れ、陽光が差し込んできた。

 尋常ではない破壊力。その爆発は、まるで加賀見太陽のごとし。


「……その炎って」


 男の炎を浴びて、太陽は眉をひそめた。

 感覚が、自分の炎とそっくりだったのである。


 まずそこがおかしい。加えて言うなら、前の世界で太陽を殺した者が、現在太陽の目の前にいる。そこも不自然だ。更に、太陽は一度こそ殺された記憶があるが……奴は、『二度殺した』と明言している。


 二度目の記憶は、やはり太陽になかった。


「――っ!? 何故、死んでいない……お前にはもう、火炎耐性能力はないはずだろ!」


 一方、男の方も太陽が無傷で驚いているようだ。

 何かが噛みあっていない。男の太陽に対する認識と、太陽の認識には齟齬がある。


「なぁ、王女様? 俺って、いつ死んだか分かる? いや、あの男の妄想って可能性も捨てきれないんだけどさ。一応、それっぽい記憶があるなら、教えてくれない?」


 あまり発言に信用はならないが、男よりは多少マシなはずの王女様に現状を問う。


「……太陽様は、死にました」


 しかしアルカナは、男の発言を裏付ける言葉を口にした。


「一ヵ月前に、死にました……あの男に奪われた炎によって、焼かれている姿を――アルカナは、目にしました」


 ――太陽は焼死したと、アルカナは言う。

 ついでに、あの男が太陽の炎を奪ったことも教えてくれた。


「……マジか」


 ちょっとよく分からないが、太陽はとりあえず頷いておく。

 男の発言だけなら妄言だと唾棄ことができるが、アルカナにまでそう言われると、少し気になってくる。


「おい! お前って、俺の力奪ったのか?」


 あまり考えるのは苦手なので、太陽は率直に聞いてみた。

 炎をまとう男は、太陽を見ながら薄気味悪い笑みを浮かべる。


「ああ……俺は、お前を殺したじゃないか。力を奪って、お前の炎で、お前を殺したんだよ! ようやく思い出したか、クソガキ!!」


 何やら説明してくれたが、太陽にはやはり身に覚えがない。


 あまりにも、話が見えなかった。

 だから太陽は、考えるのをやめた。


「なるほど……理解できないことは、理解した」


 大きく頷いてから、太陽は男を見据える。


「とりあえず、お前をぶん殴ってからゆっくり考えるとしよう。話はそれからだ」


 色々と状況は理解できていない。

 だが、倒すべき敵は理解できている。


 なので太陽は、ひとまず相手を殴ることに集中するのだった――

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