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143 ゼータさんは余裕でございまして

「んっ。お父様が、魔王をやっつけましたわ」


 魔王城にて。

 静かにお茶を嗜んでいたルナは、消滅した魔王の魔力を知覚して声を上げた。


「流石はお父様ですのっ。魔王なんて余裕ですわね」


 一応、魔王はルナの祖父にあたるのだが、ルナからしてみたら然程関心がないようだ。彼女の頭の中は、常にお父様のことでいっぱいである。それ以外の思考などない。


「やっぱり素敵ですわ……そう思いませんこと? ゼータお姉さま」


 話を向けられたのは、ティーテーブルを挟んでカップを傾けているメイド人形。

 名をゼータという。彼女はゆったりとお茶を飲みながら、いつも通り平坦な声を発した。


「左様ですか。まぁ、ご主人様に勝てる相手なんてこの世のどこにもいませんから、当たり前かと」


 太陽に全幅の信頼を寄せるゼータは、不安の様子を一切見せない。

 それはルナも同様だった。


「そうですわねっ。お父様は一番強くて逞しいですわ……相手が誰であろうと、何であろうと、負けるわけはありませんの」


 鼻息を荒くする彼女は、ゼータとは違って太陽について熱く語る。

 こちらは信頼というより、盲信というべきか。ファザコン思考は相変わらずである。


「むふふっ。これでお父様は、魔族からも英雄と称えられますわ……何せ、シリウスとかいうオカマ野郎を倒したんですものっ」


「……男性魔族からは称えられるでしょうね」


 城下町で最も迷惑な存在といわれていたシリウスも、太陽のせいで気を失っている。男性魔族たちは日々シリウスの魔の手に怯えていたので、太陽を称えるだろう。


 そう思って、ルナはほくそ笑んだ。


「いいですわ。お父様は崇められるべき存在で、みんなが敬うべきお方ですの……エルフに続いて、あの腐れ王女、あと魔族もお父様の存在を知覚しましたわね。いい調子ですわ」


「ルナちゃんの計画通りみたいですね」


 全てはルナの手のひらの上である。

 大好きなお父様は、全生物から崇拝されなければならない。そんな狂信的な思想の下に実行された『太陽英雄化計画』は、着々と進んでいた。


「万事問題なく。さて、今からお父様は……小休止ですわね」


 最愛の父の魔力を感知して、状態を探るルナ。

 その目は赤く輝いていた。


 魔王の血統にみに発動する、魔眼である。太陽に殺された魔王は『先見の魔眼』を持っているが、ルナは『感知の魔眼』を持っていた。これで魔力を感知しているのだ。


「あっ。お父様、アルカナとエリスお姉さまに押し倒されてますわねっ」


 ルナは思わず立ち上がりそうになる。彼女は大好きなお父様を、誰にも渡すつもりはなかった。ミュラも邪魔したのである。当然、今も邪魔しに行こうとしたのだが。


「……そうですか」


 対面に座るゼータが、あまりにも余裕そうにしているものだから、ルナはなんとなく恥ずかしくなった。

 なんというか、ゼータからは『余裕』を感じたのである。


「あ、あのっ。ゼータお姉さまは、イヤではありませんの? お父様のこと、大好きですわよね? 他の女性に、奪われても……大丈夫ですの?」


「大丈夫です」


 ルナの言葉に、ゼータは悠然と答えた。

 その態度は優雅で、焦りや不安など一切ない。なおもゼータは、太陽のことを信頼しきっているのだ。


「何故なら、ご主人様はゼータ以外の女性に奪われたりなどしないからです」


「そ、そんなことが、どうして断言できますの?」


「知らないのですか? ご主人様は、ゼータのことが大好きなのですよ?」


 彼女に疑念はない。

 太陽の愛を、ゼータはしっかりと受け止めている。その上ではぐらかしてはいるが、少なくとも見て見ぬふりや勘違いなどしていなかった。


「どうせゼータは、ご主人様の一番です。それが絶対である限り、他の女性にふらふらされようとも、多少は大目に見てあげます。ゼータは物分かりの良いメイドなので」


 さらりと言う彼女の言葉に偽りはない。虚勢もなく、ただありのままの事実を述べているように平然としていた。


「……そう、ですのね」


 そんなゼータに、ルナは言葉を詰まらせる。

 大好きなお父様を独占したい、という自分の心が途端に幼稚だと感じたのだ。


 恥ずかしくもなったのだろう。ちょっと落ち込んだように俯き、ティーカップを撫でていた。


「じゃあ、ルナも我慢しますの。大人しく待っておきますわ」


「…………ルナちゃんは、ルナちゃんの好きにされて良いと思いますが」


「でも、確かによくよく考えてみると、お父様は喜んでいますわ……そっとしておくのが、一番だと分かってますの」


「…………」


 ゼータは、落ち込んでいるルナをジッと見つめていた。

 まるで、その心を見透かすかのように凝視している。


「大丈夫ですよ」


 それから紡がれたのは、こんな言葉だ。


「ご主人様はルナちゃんのこと、邪魔になんて思っていませんから。ルナちゃんが嫌いだなんて、そんなこともありませんから」


「――っ」


 ゼータの言葉に、ルナは目に見えて狼狽えた。

 いつも横柄な彼女にしては珍しい、弱った態度。


「……でも、ルナは、お父様が望んで生まれた子供では、ありませんの」


「だからって、物分かりのいいお人形のように振る舞わなくてもいいです。お人形はゼータだけで十分かと。ルナちゃんは、子供らしく……わがままにしていてくださいませ。きっと、ご主人様も、それをお望みですから」


 ふと、ゼータは微笑んだ。

 柔らかな、愛情深い笑みに、ルナはゆっくりと顔を上げる。


「やっぱり……ゼータお姉さまには、敵いませんわ」


 ルナは降参して、今度こそ立ち上がった。

 ゼータの言葉通り、彼女は彼女の思うままに、わがままを振る舞うつもりのようだ。


 親子そろって、ゼータに対しては弱かったみたいである。


「そうですのっ。ルナは、ルナの思うままに、お父様に尽くしますわ……大好きって言ってくれるように、頑張りますのっ。ゼータお姉さま……ありがとうございました、ですの!」


 直後、ルナは【影移動】の魔法でこの場から消えた。

 きっと、太陽の下に行ったのだろうなと予測して、ゼータは息をつく。


 ティーカップをソーサーに置いた彼女は、やれやれと肩をすくめて小さく呟くのだった。


「ルナちゃん。心配不要ですよ……ご主人様は、ルナちゃんが生まれなければ良かった、なんて思うような酷い人ではありません。だから、そんなに意地になって、役に立とうとしないでも良いです――なんて言っても、聞いてくれませんよね。まったく、親子そろって仕方ない人たちです」


 世界でただ一人、ゼータはこの一連の騒動の顛末を知っている。予測している。

 だから彼女は焦ることなく、慌てることなく……くだらない親子喧嘩のような茶番が終わるのを、優雅に待つのだ――

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