119 アルフヘイムは今
ある時まで、とある一族はそれなりに充実した生活を送っていた。
他者に認知されない結界の中で、ひっそりとした暮らしを送っていた。
ただ、その一族は人間に対して強い憎悪を抱いていた。
だから戦争をしかけた。
自分たちの種族は上位種で、人間など劣等種だとばかり思い込んでおり、負けるわけがないと慢心していたのである。
結果、傲慢な彼らは一人の人間に負けることになった。
加賀見太陽とかいう、ふざけた化物を怒らせてしまったがために、完膚なきまでにボコボコにされた。
この哀れな一族の名は――エルフ。
見目麗しくも残虐な一面を持ち、そして今は衰退した種族である。
彼らはつい一年ほど前まで、フレイヤ王国の属国になっていた。
幼い子供を人質にとられ、人間に対して復讐することもできず……ただ自国の再興のために粛々と生きていたである。
ただ、つい一年ほど前に現れた、一人の幼女によってエルフは人間国から解放された。
人質にされていた子供達も戻り、エルフの誰もが再興に希望を抱いていた。
そんな矢先である。
魔物の大群が、エルフの住まうアルフヘイムを執拗に狙うようになったのは。
「アールヴ様! また、外壁の一部に魔物が攻めてきました!」
アルフヘイム、かつて中枢施設だったバベルの塔の残骸近くにて。
みすぼらしいボロ小屋の前に、ボロボロの身なりの兵士がやってきていた。
「陛下! いらっしゃらないのでしょうか!?」
「……もう陛下ではない。妾をそのように呼ぶな」
少しして、小屋から現れたのは一人の美女。
体のラインがはっきりと分かるようなドレスを着た、見た目エロイ妖艶な女性である。
特に大きなおっぱいと、スリットからチラ見えする太ももが良い。
また、首元に装着された首輪も、どこか背徳的な感情を想起させるような淫靡さを醸し出していた。
だが、目の下に浮かぶ黒いクマと、精気の抜け落ちた顔がせっかくの美女を台無しにしていた。
「またかや? また、魔物が押し寄せて来てるのか?」
「はっ。それはもう、暴れまわっております」
「なんてことじゃ……仕方ない。とりあえず、休憩中の部隊を出撃させよ。臨時報酬は妾の保有する資産から出す」
「了解しました!」
兵士はアールヴの指示を聞いて、即座に走り出す。
彼女はその後ろ姿を見送った後、うんざりしたように息を吐き出すのだった。
「もう嫌じゃっ。毎日毎日、飽きもせずにネチネチやって来おって! 獣風情がっ」
悪態をついてもしょうがない。
彼女は小屋の中へと戻り、ベッドに頭から飛び込むのだった。
アールヴ・アルフヘイム元陛下はとてもお疲れになっていた。
何せ、人間共の手を離れたと思ったら、今度は魔物が毎日やって来るのである。
外壁に押し寄せては、一部を破壊して立ち去っていく。
時折空を飛ぶ魔物も来るので、外壁を越えないよう兵士たちと協力してアールヴが戦いに出ることもしばしば。
はっきり言おう。
このままではヤバいと、頭の良いアールヴは思っている。
「シルトも頑張ってくれてはいるが、些か人手不足じゃし……ヒュプリス家の親子は存外使えん。妾って人材育成下手すぎじゃな」
自虐じみた笑顔を浮かべて、彼女はゴロンと転がる。
その際、大きなおっぱいがプルンと揺れた。
アールヴは煩わしそうにそれをわしづかみにして、もみもみしてみる。
「……男っ気のない妾には不要なものじゃ。まったく、若い頃にもう少し跡継ぎのこととか考えておけば良かったものをっ。なんと、愚かじゃったのか!」
人間に負ける前は、自分が生物の頂点に立っている気分だった。
自分より優秀な生物はいない。だから、体を捧げても良いと思えるような相手もいない。だいたい、配偶者など不要。自分は一人で、エルフを導いていける。
そう傲慢に思っていた結果が、これだ。
「妾も、落ちぶれたものじゃな」
住んでる場所はボロ小屋である。いや、本当はもっと普通か、あるいは少し豪華な建物を造ることは可能だった。だが、自戒のために、あえてこのような小屋にしてもらったのである。
もう、これ以上エルフを落ちぶれさせないよう。
戒めとして自分が一番質素な生活を送り、これ以上の失敗はなきように努めているのだ。
だが、現状はあまりにも芳しくない。
このままだとエルフは滅びる。
攻めてくる魔物の数が多すぎるのだ。
「兵士の皆も……いつまで、金銭で動いてくれるものか」
私財にも限界があるし、何より兵士の気力もそろそろ危ない。
毎日毎日、戦いに駆り出されて疲弊してないわけがないのだ。
頭の良い彼女は、現状がいかに追い込まれているのか理解している。
「こういう時、おとぎ話なら英雄でも現れてくれるのじゃろうが……現実は、厳しいものじゃ」
思わず口走ってしまった、そのセリフの直後である。
「アールヴ様! アールヴさまぁあああああああ!!」
先ほど来たであろう兵士が、もう一回声を張り上げていた。
戻ってきたのだろうか。何か緊急の事態が起きたのかもしれない。
アールヴは身だしなみを整えて、うんざりした胸中を表に出さないよう無表情を装いながら、扉を押し開く。
そして見えたのは、声を張り上げた兵士と――
「よっ。久しぶり、元気してる?」
――化物だった。
「…………ははっ」
アールヴは、乾いた笑みを浮かべることしかできない。
先ほど、英雄が来ることを願っていた彼女だが……来たのは、なんと化物だった。
やっぱり現実は甘くないなと、笑うことしかできなかったのである。
「あははははは!」
突然に爆笑するアールヴ。目の前の化物は怪訝そうに首を傾げている。
しかしアールヴは笑い続けた。
「ははは!! おい、そなたは早く行け……いいから、行け!!」
兵士にこの場を立ち去らせてから、アールヴはようやく笑うのをやめる。
「お、おい? どうしたんだ?」
なおも戸惑っている彼を前に……アールヴは、ぺたりと膝をついてへたれこんでしまうのだった。
「ぐすっ……もう、イヤぁ」
そして――アールヴは何もかも耐え切れなくなって、泣き始める。
「まさかの号泣!? おい、ちょ……マジかよ。ミュラ、どうすればいい!?」
「さぁ? でも、アールヴ様の心情も察してあげたら? そりゃぁ、昔ボコボコにされた相手が目の前に居るんだから、泣きたくもなるんじゃない?」
二つの人影を前に、アールヴはぐすぐす鼻をすする。
ストレスがたまっていたせいもあってか、彼女はこのまましばらく泣き続けるのだった。




