99 童貞の道程
「ゼータは、もう後悔したくありません」
露出された胸を手で押さえながら、ゼータはほんのりと赤い顔でそんなことを言った。
「ご主人様は、今までとても頑張ってきました。ゼータは、その頑張りを知っています。あなた様は報われるべき存在です。だから、どうぞゼータの体をご自由にしてください」
潤んだ瞳が、甘えるように太陽を見つめている。真っすぐな好意は情熱的で、普段の冷めたゼータからは想像できない妖艶さを孕んでいた。
「正直な話……ゼータには、この人形の体を触りたがる、ご主人様の気持ちが分かりませんが、それがお望みであるなら、どうぞ遠慮なく」
すっと、ゼータが太陽に身を寄せてくる。身も心も無防備になった彼女に、太陽は――意識を失いかけていた。
「ぐふっ……ぃぎ、ぁが」
何か喋ろうとしているようだが、緊張のあまり舌がうまく動いてないようである。ただただ目を見開いて、ゼータの胸元を凝視するばかりだ。
そんな彼を前にしても、ゼータは幻滅した素振りを見せない。へたれていようとも、太陽は太陽だ。むしろここでがっつくようでは太陽じゃないとさえ、ゼータは思っている。
だから、太陽が望んでいるであろう行為を予測して――ゼータは自ら、その身を寄せるのだ。
「今日ばかりは、逃がすつもりはありませんよ? ご主人様は、ゼータからご褒美をもらわなければなりません。そして、このご褒美は、ほんの前払いにすぎなくて――」
胸が、太陽の腕に押し付けられる。緊張で震える太陽は、腕にとても柔らかい何かを感じた。
「っ!? ぬ、ぉ……」
マシュマロ、という表現では足りない。だが、このふにふにした感触は他のどんな物体でも表現できない。脂肪の塊のはずなのに、おっぱいには男の心を掴んで離さない何かがあった。
(生きてて、良かった)
太陽は一筋の涙を流す。喜びのあまり、嬉し泣きしていたのだ。
そんな彼を、ゼータは優しい笑顔で受け入れる。
「気持ち悪い顔をしていますよ? こういう時は、素直になって良いのです。変に気取らずとも、遠慮せずとも、ゼータが良いと言ってるのですから、何も気にしなくて良いのです。欲望のままに、なさってくださいませ」
耳元で囁かれた声は、甘く温かい。思わずダメになってしまいそうな、官能的な響きを宿す。
だが、まだ太陽は動けなかった。夢だったおっぱいを前にして、身体が硬直してしまっていたのだ。ここぞという場面で何もできなくなるのは、童貞が童貞たる原因だろう。
「まだ動けませんか? 仕方ないお人です。それでも、逃げずに居てくれるのは、ゼータを思ってくれているからだと、分かっております」
言わずとも、ゼータは太陽を理解している。言葉など不要で、思いを読み違える心配もなく、彼女は太陽の全てを受け入れてくれていた。
「大丈夫です……安心してください。怖くありませんから」
そう言って、ゼータは太陽の顔を抱きしめた。しかも、大きな体を膝立ちにさせて、おっぱいで顔を包んだのである。おかげでおっぱいを目で鑑賞することはできなくなったが、顔全体で感触を楽しむことはできた。
初めてだった。顔でおっぱいを触るのは、赤ちゃん以来であった。
それは、まさしく母性。
すべての生物が還るであろう、母なる優しさが具現化した場所が――おっぱい。
男がおっぱいに夢を見るのは、きっと産まれた瞬間の根源的優しさを心のどこかで求めているからなのだと、太陽はここに至ってようやく気付いた。
全ての男は、誰しもが赤ちゃんに戻りたがっている。母なる女性に甘やかされ、お世話され、何も不自由なく生きることを夢に見ている。
故に、男はおっぱいを求めるのか――と、太陽は悟った。
「ゼータ、ありがとう」
震えは、いつの間にか止まっていた。おっぱいが、止めてくれたのだ。
「んっ……声は、出さないでくださいませ。その、くすぐったいです」
漏れ出た吐息に、ゼータが甘い声を上げる。途端に太陽は興奮してきて、意を決した。
このチャンス、逃したら次はない。
そう、覚悟を決めて。
「……触っても、いいんだな?」
深呼吸の後、太陽は問いかける。
そうすれば、ゼータのおっぱいはプルンと震わせて答えてくれた。
「はい……で、でも、少し恥ずかしいです。申し訳ありませんが、後ろからで――良いのですか?」
ふと見上げたゼータの顔は、もう真っ赤であった。彼女もまた、太陽を前に何かを感じていたのである。普段よりも素直になっているゼータを前に、太陽はゴクリとつばを飲み込んだ。
「うん、分かった……ありがとう」
おっぱい抱擁を解いた後、そのまま後ろを向いて太陽にもたれかかってきたゼータ。太陽からおっぱいは見えなくなったが、手は自由に動くのだ。
そのまま、手さぐりに。
太陽は、汗ばむ手を動かして――
ああ、振り返ってみれば、素晴らしい人生だったと太陽は笑う。
走馬燈を見た。童貞であるが故に、必至すぎて気持ち悪い自分の過去を見て、太陽は少し大人な笑みを浮かべていた。
そうだ。今の太陽は、大人の階段を一歩だけ上ったのである。
「ふぅ……」
賢者モードになった太陽は、遠い目で空を見上げた。どこまでも澄み渡った青空は、まさしく今の彼の心を表しているようだ。
傍らには、上気した顔で肩を上下させているゼータが、メイド服を直している。
それから、ぽつりと――こんなことを、口にした。
「ごめんなさい……ゼータは、思ったよりエッチだったのかもしれません」
早口の言葉は、太陽の反応を待たずに続きが放たれる。
「もし、ご主人様のご主人様が、まだあったなら――そのまま、最後まで、いってたかもしれません」
言いにくそうに、そっぽを向きながらも……トロンとした表情を浮かべるゼータを見て、太陽は息子の不在を大きく嘆いた。
「くっそ……はぁ。なんで、こんな時に家出したんだか」
「……でも、丁度良かったです。ゼータも、もしかしたら我慢できなくなってたかもしれませんので、これはこれで都合が良いです」
湿った声を発するゼータは、おもむろに太陽の手を握る。
今度は、目と目をしっかり合わせて、彼女はこんなことを言うのであった。
「続きは、屋敷に帰ってからです。だから、絶対に戻ってきてください。ゼータからのご褒美は、まだまだ用意しておきますから」
そう。これこそが、ゼータの『約束』だった。
絶対に戻ってきてほしい。その強い思いから、彼女はこんな行為に及んだのである。
一途で、情熱的で、まっすぐな思い。太陽はそんな彼女を愛おしく思って、強く手を握り返した。
「約束する。絶対に、戻ってくる」
「……はい。信じております」
そうして、彼女はにっこりと笑うのだった。
満面の笑みに、太陽は思わず見とれてしまう。人形じみた彼女が浮かべたその笑顔は、今まで見たどんなものよりも破壊力があったのだ。
「お前、やっぱり俺のこと大好きだろ」
思わず口にしたセリフに、ゼータは表情をそのままに切り返す。
「はい。大好きです」
初めての肯定は、太陽にとっても予想外で。
「――っ」
言葉を失った彼の心は、ドキドキと鼓動していた。
異世界に来て、ここまで思ってくれる相手が出来た。その事実に、太陽はとてつもない幸福を覚える。
(絶対に、生きて帰る)
その決意は、より強固なものになっていた。
「では、そろそろ戻りましょうか」
そうして、ゼータは歩き出す。しっかりとした足取りで、心配は何も要らないと言わんばかりに。
繋がれた手は、ずっと離れることなく――
//連載100部突破&200万PV突破&前日譚公開しました!
詳しくは活動報告に記載しております。




