貞子は幽霊である
部活の部誌に乗せていたものを転載します。
俺は夜中、コンビニへとでかけた。特に何か買うものがあったわけでもないが、寝つけず、散歩もかねている。冷たい風を肌で感じながら、おとつい発売の漫画の立ち読みをしていたら、店員の視線が痛くなってきたので、安い麦茶と50円引きシールのはられたモンブランを買った。そそくさと、また蒸し暑い外へと出た。ああ、暑いわ。やっぱり。
夜更けに出かけることは多々あったけれど、今日の帰り道はいつもと違う気がする。
何だろう、ぞわぞわとした違和感を覚えた。気が付くといつも通りの帰り道のはずの公園が薄暗い気がする。暦の上では秋になったとはいえ、まだまだ八月。Tシャツ一枚でも十分なはずなのに、肌寒く感じるのはそれも気のせいだと思いたい。いくら気持ち悪くても、この公園を通らなくてはかなりの遠回りになってしまう。それは嫌だ。しかたないか……。
俺は意を決し、公園へと足を踏み入れた。
公園の道は200メートルほどで、両サイドには木々が覆い茂っている。まばらについた電燈が、ぷつりぷつりと消えてはついてを繰り返していて、俺の中の不安を煽った。
「……」
白くぬられたトイレの外壁は長い間雨にさらされて、はげかかっている。となりにのっそりと生えた時計は二時をさしていた。水場の栓がしまっていないのか、時折、ぴちょん、と水の跳ねる音が聞こえている。
「……。」
ふと、水音に別の音が混じった。
「……ぃ」
音はトイレから聞こえてくるようだ。
「……ぁ…」
ごくりと唾を飲み込む音が響き渡る。
「…ぃよ…」
近づくにつれて、はっきりと聞こえてくるそれは
「にくいぃ…うらめしいぃ…ばかぁ……」
かぼそい女性のもので
「うぇ、うえーん」
どこか、庇護欲を誘うものだった
どうしても、放ってなんておけなかった。そして、その気持ちは俺を突き動かし、そこが女子トイレだということなど気が付く間もなく、足を踏み入れさせた。人を誘うような魔力の先、目線はずしの衝立の奥には、白いワンピースの髪の長い女性が俯いていた。
「最近の貞子は可愛いんだな」
「だ、誰!?」
思わず口から出てしまった言葉のせいで、貞子は俺に気が付いてしまったようだ。声も可愛いじゃないか。じゃないじゃない。俯いていたからか、髪が顔にかかって、彼女が貞子であると知らしめている。
「それで、君はなぜ泣いているんだ」
「そ、そんなのあなたに関係ないです!出てってください!」
「ここは公共の場だろ。出ていく必要はないだろ」
まあ、屁理屈だけどな。
「な!?ここは女子トイレですよ!?変態!!」
「変態…」
やばい。ちょっとそれは…それは突き刺さった…。そうか、ここ女子トイレだったのか…。俺は、確かに変態なのかもしれない……。
「あ、あなたが出ていかないなら、私が出ていきます!!」
そういって、俺の横をすり抜けようとする腕を、咄嗟につかんだ。ふわりと浮かんだ黒髪から覗く白いうなじが、俺の何かを刺激する。
「最近の貞子は体温もあるのか」
また、よくわからない言葉がこぼれた。
「なんなんですかなんなんですか!離してください!この、ちかん!」
「変態や痴漢と思われてもいい。それでも、君が泣いている理由が知りたいんだ」
思えば、深夜テンションというやつだったのかもしれない。普段だったら、そんなことを言えるはずもない。変態と言われた段階で、いや、すすり泣く声が聞こえただけでその場を後にしていただろう。
「…いきなり、何を」
抵抗を忘れたように、貞子が顔をあげた。初めて目線が合った。長いまつげが彼女の瞳を縁取って際立たせている。その美しさに、やっぱり彼女はこの世のものではないのだ、と思った。
「何がにくい。何をうらんでる。君はどうしたら泣き止む?」
声をかければ、瞳からあふれた雫がほんのりと色づいた頬を伝って、サクランボのように熟れた唇をすぎ、おちていった。それさえも、もったいないと思う俺は、すでにこの幽霊の術中にはまってしまったのかもしれない。
「手を、はなしてください」
もう逃げませんから、と吐息まじりにつぶやかれ、慌てて強くつかんでしまっていた腕を離した。
ベンチへと移って、またため息をつくと、貞子は口を開いた。
「私には彼氏がいました。高校に入ってからできたんです」
貞子の彼氏というとニノキンあたりだろうか?
「校舎内でさまよっていたところを見つけてもらって、案内してもらいました。私の運命の出会いだったんです!」
運命を語る彼女は楽しそうで、聞いたのは俺のはずなのに、気分が悪くなってくる。
「いつしか、私たちは付き合うようになりました。毎日一緒にすごして……着実に仲を深めていったころ、あの女が現れたんです。」
表情が一転して、鬼のような形相となった。コロコロと表情が変わるさまは微笑ましい。てか、かわいいぞ、おい。誰だ。この貞子を悪霊にしたやつ。
「あの女が現れてからというもの、彼と私の時間は減っていきました。あの女がずっと彼の隣りに居座るせいで…。どんな時も、私を優先してくれていたはずの彼が、あの女と楽しそうに食事をしている姿を見た時には…怒りが抑えきれなくなりました。」
幽霊も食事するんだな…。あの女というやつも気になるが、大方トイレの花子さんあたりだろうか。
「あの女、ついに私の書いた彼への手紙を燃やそうと企てたんです。彼はあの女に騙されて、手紙を差し出しました。でもね、彼が幸せに暮らしてくれるならいいのよ、私なんかわすれられても。でも、あの女だけは許せない。私が毎日、彼にあてて書いていた思い出の手紙を燃やそうっていうのよ?ひどいわ。うらめしい…。」
彼と女について話す間本当にコロコロと表情がかわる。握りしめたこぶしから、血が流れてきそうで痛々しい。そっと手を添えて開かせた。
「今日は彼とデートの予定だったの。彼の好きな白いワンピースで待ち合わせ場所にむかったら、そこにはあの女と仲良さげに寄り添う彼がいたわ。くやしくて、くやしくて…。そして気が付いたら、ここにいたの」
いつに間にか、彼女の眦からは水気は消えていた。
「そうか、つらかったんだな。ああ、その性悪女に、見返してやるなんてどうだ。たとえば、もっといい男をみつけて、見せつける、とか。君は可愛いから、きっとすぐ次は見つかるよ」
まあ、貞子(霊)に次っていうと、限られるかもしれないが。成仏して次の男と幸せになれるなら、それが一番だろう。それに、この子の来世を待つっていうのも、なかなかにロマンチックかもしれないしな。
「じゃあ、次の相手はあなたにするわ」
ぽつりとつぶやかれた言葉に、耳を疑った。
「わたし、あなたを好きになることにする」
「わんだほー」
いけないけない。また変な言葉がこぼれてしまった。でも、願ったりかなったり(?)なのかもしれない。
「君とは夜にしか会えないだろうけど、いいのか?」
「夜にしか……。そうですよね。でも、わたしそれでもいいです」
強い瞳がこちらを見た。どきりと高鳴った鼓動が彼女に聞こえていないことを祈る。
「これから、あなたに付いていってもいいですか」
「ああ、いいよ。憑いてこい」
とりあえず、さっき買ったモンブランを与えてみる。霊体でも、食べられるのか…?
「モンブランって食べられるか?」
「はい!食べられます!」
ありがとう、といって、蓋をあける貞子。キラキラと輝く瞳からは、もう、雫が落ちることはなかった。
作中の不思議ポイントを捕捉しますと、
貞子の言っている、彼氏は貞子の勘違いです。←重要
貞子が勝手にストーキング行為をしているだけなので、実際には付き合ってません。この後の主人公がどうなるかは、ご想像にお任せいたします。
ちなみに、夜道に幽霊がいると思ったら、それは大抵、生きている人間か見違いです。作中ヒーローのようにいきなり腕を掴んだりしないでください。セクハラです。