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ヒコツバキ  作者: 湯乃屋
21/35

9月 2

 悪い夢。


朝が来れば忘れてしまう、ほんの小さな不安が見せた非現実。どうして、椿はそうと信じてしまったのだろう。


「あら?椿くん、てまりと一緒じゃなかったの」


玄関チャイムに出てきたのは目を丸くした、なのは。返す笑顔は引きつりながら、逃げるように駆けだして…息抜きに見上げる空は、やっぱりいつもと変わらないはずなのに。


昨日の出来事はまるっきり夢でした。今日も、てまりを迎えに行く、いつもと同じ朝。そう信じていたかったのは椿だけだった。




「椿を振った!?」


始業ぎりぎりに飛び込もうと一歩、踏み出した足は中途はんぱなまま、中空に止まってしまう。そんなアンバランスのまま、開け放しの扉から見る教室の中ほどに見える人の山。きっと、間違いなく、てまりを中心としているのだろう。もちろん、いい気分がする筈もないがそれ以上に誰も、椿の方など見ようともしない事が…


「振った訳じゃないよ、振られた、かな。…わたしの事は本気じゃなかったみたいなの」


「本気も何も。代表に選択権なんてないだろう、何様のつもりだ?」


「そんな言い方したら、可哀そうよ」


「てまり!裏切られた男をかばうの?」


「うん…そうね、変だね。でも、本当にもういいの。みんなにも心配かけちゃったね、わたしは大丈夫だから、椿くんを」


言葉に合わせて一気に、全クラスメイトの視線が椿に向き直る。あんなに動かなかった足が思わず、姿勢を正して唾を飲み込み、静かに一呼吸。改めて、視線を戻すと…てまりの顔が見える。一日と空けていない筈なのに、こんな…刺さる目をしていただろうか。


誰よりも強く、深く。椿も、負けないように意地を張らなければならないくらいに。口をとがらせて、素直な言葉も曲げ無ければならないくらいに。


「なんだよ、おれが悪いのかよ」


「…ウソついてたくせに。わたしの事、好きだって言ったくせに」


てまりがそっぽを向いたのと、クラス中の空気が色めき立ったのと、どちらが早かったか。が、そんなピンク色も長くは続かない。思いもかけない暴露に椿が動転して、まっ白い頭を再起動させているすきに再び一転、教室に足を踏み入れた時とは比べ物にならない程の殺気が椿一人に向けられている…


「要するに、椿が悪い!全面的に悪い!」


にじり、と掴みかかろうとクラスメイト達。にじり、と後ずさる椿。てまりは見ているだけ、助けてもくれない。当然だが…それならどうして、そんなにも泣きそうな眼をしている?


また一歩。せっかく地に付いた片足は廊下に押し出されている、多勢に無勢。非は認めるが、痛いのは嫌だ!が、天はこんな椿でも未だ見捨てていなかった!


キンコン、とジャストタイミングで始業ベルが鳴り…あれ?


「ちゃ、チャイム鳴ってるんだけど」


「関係ない!かかれっ!!」


教室内に引きずり込まれ、思わず身を固くする。混声大騒音、無数の足音…が遠い?ソロリ、と目を開けると教室内には男子ばかり。女子の怒声は、キッチリと戸締りをしてカーテンを閉めた、廊下の外から聞こえている。


「うるさい女子は排除した。さぁ代表、真剣に話し合おうじゃないか」


お前らだけはおれの味方だと信じていた!菩薩も顔負けの慈悲に満ちた手にすがり、椿は目頭が熱くなるのを見せまいとうつむくが。


「どんな仕様も無い事をしでかして愛想尽かされたんだ?ちなみに、代表に黙秘権はない。女子の群れに放り込まれたくなければ正直に答えろ」


一瞬でも信じたおれがバカだった。が、背に腹は代えられない。この場は不本意でも何でも大人しく従う他あるまい。


「…さくらサンとの事がばれたんだよ」


「女みたいな名前の…犬か?猫か?それとも無生物か?」


「女だよ!高嶺の花女子の」


「俺たち相手に見栄張らなくてもいいぜ?その回答にはいくら何でも無理がある」


「お前ら、おれを何だと思ってる?言いたい放題言いやがって。さくらサンの方がおれに惚れてんの!見て驚け、ド級の美人だ!」


最近のプリクラは機能が発達していて、携帯電話に画像が送れるのだ!画面に食いつくように、目を白黒させて群らがっているクラスメイト達に得意満面。


「ど~だ、控えおろう!ちなみに、彼女ひとりじゃないぜ?高嶺の花女子のメールアドレスは、まだまだ!」


まじかよ!と今にも食らいつかんばかりの男子たちからスマートに、携帯電話を取り上げる。羨望のまなざしを一杯に受けて椿もようやく調子を取り戻してきた!が。


「ど~うして!さくらちゃんとのツーショットがそんな所に入っているのよ?それに、他にもぉ!?」


「て、てまりちゃん?…誰だよ、鍵を閉め忘れた奴…ふ、ふん。関係ないだろ、おれの事なんか」


歯を食いしばり震えているのは、てまりの肩だけでは無い。その手に奪われた椿の携帯の蝶つがいもミシミシと悲鳴をあげて、ユーザーの椿は悲鳴も出ない。


一瞬。


…頬を伝う一粒の涙。


思わず息ができない。心臓の鼓動で立っていられない程なのに、今すぐこの場から離れたいと足が浮きそうなのに、現実は指一本も言う事を聞かない。目の前には涙を隠そうと自身のつま先を見るばかりの、てまり。


「あの」


「バカ!浮気者!もうあんたなんか知らない!!」


爆発した怒りは、椿をタコ殴りにする事で少しは…解消出来たろうか。

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