8月 1
人間、誰でもウッカリは起こしてしまうというもの。ただそれを、ここ一番でやってしまうか否か。どちらかと言われると椿は…やってしまうだろう。と言うか、やらかしてしまった。
「な、何で、てまりちゃんとさくらサンが一緒に居るんだ!?」
マンション自慢のエントランスを抜けて、エレベーターに向かう後ろ姿に、思わず植え込みの陰に隠れる…が。椿は一体全体、何をウッカリしてこんな、まさかの鉢合わせをしてしまったのか。
そう、確か…
昨夜。お盆も例年通り過ぎて気が付けば、貴重な夏休みもあとわずか。振り返れば、てまりとお祭りに行ったり、さくらと花火を見に行ったり。あからさまな二股行為は、今は棚にあげておいて。ずっと気にはなっていた、そう!宿題に全く全然手を付けていないのだ。
それで。同じ宿題を早々に済ませた、てまりにお願いして…いや。カリキュラムが椿たちより進んでいる、さくらに泣き付いたのか?その辺りが思い出せない。何しろ昨夜は面白いロードショーがやっていたのだ。
その結果が、見ての通り。今となっては椿自身、どちらを待っていたのかも思い出せなくなっている。
「って、しまった!今日は妹が家に居るのだった…アイツの事だ、まともな対応をするとも思えない、急がないと!」
六階最奥、角部屋。
ことごとくの連絡メールが、てまりとさくら、一括送信されていて、二人は揃って携帯電話画面を睨みながら、椿の家のインターフォンを見上げている。当の椿はエレベーターエントランスの、やっぱりニセモノの観葉植物の陰に小さくなっている。
「ど、どうしよう、こんな所まで来ちゃって…迷惑じゃないかしら」
「向こうからのお誘いなんだぜ、歓迎されて当然!でなきゃひっぱたいてやる」
「でもわたし、自信ないわ。ご両親にちゃんとごあいさつ出来るかしら」
…椿は一体、彼女たちに何と言って呼んだのだ?メール確認。
「…それは、ボクが一緒に居る時点で無いだろう。いい、確認するよ?今日はボクたち椿くんの家に呼ばれました。夏休みの宿題が全然終わらないので手伝って欲しいって、そういう内容だったろ?でもって、ボクは文系」
「で、わたしが理数。それは分かってるんだけど…やっぱり緊張しちゃう!お願い、さくらちゃんインターフォン押して!」
「はいはい」
たっぷりと余韻を持たせて、押されたボタンは音も軽く。思わず閉じてしまった瞳をゆっくりと開けると、回されるドアノブの音と共にすき間が開いて…!
「えっと、お兄ちゃんならさっき出かけたけど…だれ?」
目をこれ以上ないくらいに丸く、それから首を動かして顔を合わせて、もう一度、確認。
「つ、椿くん!?そ、そういう趣味だなんてちっとも知らなかったわ」
「待てよ、てまりちゃん。よく見て、小さいだろ。それに女の子じゃないか。さてはキミ、ニセモノだな?」
「…漫才の押し売りなら間に合ってますから」
顔をのぞかせた少女椿。妹の、まいは電光石火で扉を閉めて、後には夏とは思えないくらい寒々しい風が吹くばかり。
相当きつい性格だから気をつけてって…メールで連絡しておくべきだった。と言うか、椿としてはそんなに、あっさり出てほしくなかったんだけどな。
ともあれ。
さくらの必死の挽回により何とか。妹の、まいに居間まで通してもらった二人。さくらはげっそりとやつれて、いつもの華やかさも曇り。てまりに至ってはショックのあまり真っ青に縮こまっている。そして椿はというと。
「おにいちゃん。最近ちっとも遊んでくれないから、おかしいと思ってたら、二股かけてたのね?」
「これはその~成り行きと言うか。そうだ!来週、水族館に連れて行ってやるから、な?」
「お兄ちゃん、あたしの事好き?あのお姉さんたちより好き?あたし、イルカのぬいぐるみが欲しの」
「も~。まいちゃんが一番好きだよ、だからお兄ちゃんを匿って」
途端に顔を真っ赤にして、えへへと笑う顔は本当にうれしそうで。純粋に好いてくれている事は兄としてうれしいのだが…従っておかないと後で何をされるか。
ともかく!これで何とか時間を稼げるはず。まいが彼女たちの気を逸らしているうちに何か、作戦を練らなければ。
……
そんな事などつゆ知らず。
居間で二人は、宿題という本来の目的も、さっきまでの緊張も何もかも忘れて目の前の、ジュースを運んで来てくれた、椿そっくりの妹に夢中になっていた。
「ね、まいちゃんは今何年生?椿くんとはいつから一緒に住んでいるの」
「お姉さん変な事聞きますね。まいは生まれた時からお兄ちゃんの妹です」
「てまりちゃん、何ボケてるの。じゃさ、まいちゃん?お兄ちゃんの好きなタイプって知らないかな」
「お兄ちゃんは、まいの事が一番好きなんです!…なんて。お姉さんが聞きたいのは、まいの次にお兄ちゃんが好きな女の事でしょう?」
とたんに、生気を取り戻す二人。いや、あれは殺気と言った方が近いか。選りにもよってなんて話題を始める気だ!
「まいだってもう、子どもじゃ無いです。お兄ちゃんが、ちょっと目も当てられないくらいに浮かれている事、それが女の所為だって事、知ってます。その女は…」
ぐっっと、顔を寄せる三人。こっそり気づかれないように、でも聞き捨てならない!一瞬ぶつかった、まいの瞳は踊るように、あの目をしている時はとびきりのイタズラを思い付いた時…貧血に襲われている場合じゃない、どうか神様!
「では、情報そのいち。お兄ちゃんは春ごろから浮かれている。」
これには、てまりが思わずほおを染める。
「てまりお姉さん、暑いですか?それとも…うふふ。情報そのに、お昼は大体一緒に居る。でもってプールに思い入れがあるとか無いとか」
今度は、さくらが青くなり、てまりの口はしが震える。
「さくらお姉さんは寒いですか?まだまだ行きますよ、続いてそのさん!生徒会関係者である」
てまりがどんよりと、さくらを睨む。あわてて首を振るが、そうすると他に誰が…?
てまりも、さくらも、椿までも、思わず眉間に指を当てて考え込む。いくら何でも、全くの口先三寸では無いだろう。では一体、誰の事を言っているのだ?
…はたと、思い付いた。美しき生徒会副会長。だが、それはあまりにも。まいは、椿に修羅場をくぐれと言うのか!?急いで、彼女たちの方に目を向けると気のせいか熱い!熱源は…てまりの髪が怒りに震えて逆立って見える?万事休す!
「それでぇ、極度のアガリ症でメガネを掛けていて。二年の特進クラスだって言ってましたけど。心当たりあります?」
「…なぁんだ。まいちゃん?それ、多分生徒会長の梨木一葉くん、男の子の事だわ」
そうだたんですかぁ?それじゃぁ安心ですねっ!そう言ってのける、まいの顔はすがすがしく。対する、てまりはぐったりと更にやつれ、さくらは傾いて何とか踏みとどまっている。椿も…一時は、どうなる事かと思ったが。
って、そっちに気を取られてる場合じゃ無いって!




