変人さんと好きな食べ物
広野さんの家に居候させてもらい早くも一週間が過ぎようとしていた。今日の夕飯もスーパーの弁当だった。
「広野さんは自炊しないんですか?」
ここにきて何回食べたかの唐揚げをひとつ口に放り込み租借し終わって尋ねた。広野さんは割り箸を手 に持ったままきょとんとこちらを見ていた。
「自炊?めったにしないな・・・めんどくさいし、俺が作るよりもスーパーの弁当のほうがおいしい」
「それじゃあ体に良くないですよ、そうだ」
「何?」
「私が明日からご飯を作らせていただきます」
「君が?作れるの?」
少し不安げな顔をして言われた、失礼な私にだって作れますよ。それは心の中だけにしておこう。
レパートリーは少ないかもしれないが私にだって簡単なものなら作れるはずだ。自身はたっぷりとある。
「じゃあお願いしようかな」
「任せてください!」
明日何を作ろうかと浮足立った心持で弁当を食べ終えた。明日が楽しみだった。
次の日、さっそくエプロンを借りて台所に立った。まずは冷蔵庫の食材を確認する。
「えっと・・・」
あったのは卵と味噌と豆腐とネギだけだった、それを全部出すとあとはお酒の缶とお茶くらいしか残っていない寂しい冷蔵庫になった。
「うーん・・・」
これで思いつくものと言えばまずは卵焼きとみそ汁なのだがどう考えても朝ごはんだ、今から作るのは 夕飯だった。綿そはしばらく考えた後もうそれでいいやと開き直りまずはみそ汁から作ることにした。
しばらくすると広野さんがどこからともなく台所に現れた。
「なんかいいにおいがする」
「ふふっ・・・待っててくださいね、おいしいものができますから」
「うーん、待っとくね」
そしてまたふらりとどこかに行ってしまった。
ここで重大な悩みを私は抱えることになった。卵焼きの味付けについてである、味付けはその人によって違うのだ。私はもっぱら出汁巻き派なのだが、広野さんはどっちなんだろうか。
「広野さーん
」
聞くためにあちこち探したのだが家のどこにもいなかったので外にでも出かけたのだろう。こうなったら・・・。
「全部焼いてみよう!」
出汁巻きも甘い卵焼きもしょっぱい卵焼きも全部まとめて作ろう、私の考えた結果がこれだった。
焼き終えてテーブルに並べているとタイミング良く広野さんが帰ってきた。
「帰ってきたんですね、今焼いたばかりなんですよ」
「・・・朝ごはん?」
「いえ、夕飯です」
「それにしても・・・」
広野さんがテーブルの上のたくさんの卵焼きをぼんやりとした目で眺めている。
「焼きすぎじゃない?」
「うう・・・あのですね」
私がなぜこんなにも大量の卵焼きを焼いたのかを一通り説明しておいた。広野さんは「なるほど」と納得した様子でさっそく箸で黄色いつやつやとした卵焼きを食べた。
「どうですか?」
「甘いね」
「美味しいですか?」
「うん、おいしいよ」
「本当ですか?」
咀嚼しながらうなずいた。
「やった」
「・・・俺さあんまり卵焼き食べたことなかったんだよね」
広野さんが二つ目の卵焼きを口に入れてしゃべりだした。どこか暗い声だった。
「珍しいですね」
「でしょう?母親があんまり自炊しない人でね弁当のおかずもほとんど買ったものだったしだから当然 卵焼きも入ってないから」
「食べたことないんですか?」
「ん、あるけど友達のだったかな?それより君の作ったほうがおいしく感じるのはなんでだろうね」
「さあ、なんででしょうね」
私の心も温かい卵焼きのように温かくなった気がした。私が作った料理をほめられたのはこれが初めてだった。
「また作ってくれる?」
「もちろんですよ、毎日でも作ります!」
「あのさ・・・」
「なんですか?」
今日の夕飯はホウレンソウの入った卵焼きと鮭のムニエルにした。私が自炊し始めて三日である。
「なんで毎日卵焼きがあるの?」
不思議そうに卵焼きを箸でつかんでじっくりと観察でもするように見つめていた。
「えっだってまた作ってくれって言ったじゃないですか」
「いや、さすがに毎日はいらない」
「昨日は納豆の卵焼きで今日はホウレンソウの卵焼きですよ、明日はネギの入ったものにしようと・・・。」
広野さんは若干あきれたような顔つきで「バリエーションの問題じゃないよ」と言った。
「なんか卵焼きを食べるのが義務みたいに思えてきた・・・」
「じゃあ、明日から違うのにしますよ」
少し残念に思った。でも毎日同じものはさすがに飽きるよなと私も思った。
「だからさ週一でいいよ」
なんだかんだ言いながら卵焼きを食べながらそう言った。
「はい!そうします」
「うん」
「そういえば広野さんの好きな食べ物は何ですか?」
「前までは、刺身だったけどついこの前変わった」
「何にですか?」
広野さんは眠たげな顔でぽつりとつぶやいた。
「卵焼きかな」
「おお・・・」
広野さんの好きな食べ物は卵焼き。頭の片隅にそうメモしておいた。