家出少女とお母さん2
遠くで誰かの話し声が聞こえる。何を言っているかは聞き取れない、だけど声が誰のものかはわかる。広野さんと母だ。どうして二人が一緒にいるのだろうか、私は朦朧とした意識の中思った。
薄っすらと目を開く、起き上がると頭が痛む。頭痛に耐えながら起き上がると広野さんと母が同時に私を見た。
「あ、起きたんだ。具合はどう?」
「少し頭痛がします・・・」
「そう、もう少し休んでなよ」
「はい」
情けないことに少し雨に打たれただけで熱を出してしまったらしい、もう少し休ませてもらうと体を横にしたとき今まで忘れていたことを思い出した。
「瑠璃、この人にお世話になってたのね」
「うん」
母が私に尋ねる、私は母の顔を何となく見たくなかったので背を向けて答えた。
「どうも、娘がお世話になりまして…」
「いえいえ」
そんな大人のやり取りを背中越しに聞きながら私は憂鬱な気分で目を閉じた。きっと私の熱が下がればここを出ていかなくてはいけなくなる、もう広野さんと会えなくなる、寂しいと思うのは私だけなのだろうか。きっとそうに違いないんだろう、広野さんは私のことをきっと厄介な居候としてしか見ていないと思うから。
「本当、なんとお礼を言っていいか…」
「そんな、お礼を言われるほどではないです」
「瑠璃はもう少ししたら連れて帰ります、あまりご迷惑をおかけしてもいけませんので」
「いや…今晩はもうここに泊まらせて、明日帰ったほうがいいと思います。話したいこともあるので」
「そうですか、じゃあお願いします」
母は帰るようだった、帰りがけに一言私に言った。
「それじゃあ、お母さん帰るからね。お大事に」
お大事に、という言葉が他人行儀に聞こえて私と母との距離が遠くなっているのが分かった。いや、私が家を出ていく前からかもしれない。
「瑠璃」
広野さんの声が静かな部屋に響いた。
「横になったままでいいから聞いて」
私は広野さんのほうに向きなおる、いつも通りの広野さんが座っている。
何を話すのだろうか、気になって仕方がない。
「瑠璃はお母さんのことが嫌いなのか?」
「…よくわかりません」
「そう、でもきっと大丈夫。これから仲良くなっていけば…」
「もう仲良くなんてできませんよ、きっと」
広野さんが言うより早く言った。
「どうして?」
「私が家出する前から、お母さんとはあまり仲良くなかったんです。だから、今更無理なんですよ」
「でも、君のお母さんはこうしてちゃんと心配して迎えにも来てくれた、それにずっと君のことを心配していたと思う」
そんな言葉を聞いても私の心は動かなかった。きっともう遅い、私と母は昔の様には戻れない。
「もう、無理なんですよ。お母さんと私の間には深い深い溝ができてるんです」
「だったら溝をゆっくり埋めていけばいい」
「そんなの…」
優しく微笑んで広野さんは言う。
「それができるのが家族じゃないのか?」
そうかもしれない、家族には切っても切れない絆があるとどこかで聞いた気がする。もしそうならばまだ間に合うのだろうか。
「そうかもしれませんね」
「僕も昔は親と仲が悪かったんだ」
「そうなんですか?」
「うん、でもまた元通りになった。だから大丈夫」
「…はい」
私も母に傷つけられた。でも同じくらい私も母を傷つけたのかもしれない。そう思うと胸が痛む。
広野さんは私の頭に手を乗せた、暖かくて大きな手。初めて会った時を思い出す、泣いている私を慰めてくれた手だ。
「君と過ごせて楽しかったよ」
「えっ…」
「料理もおいしかったし、僕の小説も読んでくれたし、話し相手もできて楽しかった」
「…本当ですか?」
「うん、嘘は言わないよ」
うれしかった、そう言ってもらえて心が温まるのを感じた。涙が滲んだ、悲しみの涙ではなく喜びの涙だった。
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
その日は広野さんが私のために料理をふるまってくれた。おいしそうなオムライスだった。
「病人にオムライスってどうなんでしょうか?」
「ほかに作れそうなものなんてなかったし」
「おかゆとか…」
「いただきます」
「話聞いてくださいよ!」
「それだけ言えるんだったら元気だ、ほら、食べてみてよ」
「…いただきます」
口に入れるとふんわりと優しい味がした。
「おいしい!」
つい大声で感想を言うと広野さんは嬉しそうに微笑んだ。
「それはよかった」
いつも通りの日常だった、けれども私と広野さんが過ごす最後の時間だった。
次回最終話です!