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孤独

蒼は、驚いていた。

いつもは来てから維月が帰るまでは滞在する維心が、僅か数日の滞在で帰って行ったからだ。

しかも、何かに憤って居るわけでもなく、ただ淡々としていた。

維月にどうしたのか聞いても首を振るばかりで答えず、十六夜はどこかに行ったまま戻らず、何かあったのは分かるが、何があったのかわからない。

蒼は、ため息を付いた。自分が悩んでも仕方がない。

そんなある日、維月が言った。

「蒼…ちょっと考えて来るわ。」

蒼は、何を言っているのかと顔を上げた。

「母さん?何を考えて来るんだよ?龍の宮でか?」

維月は首を振った。

「いいえ。人の世で。別に家出じゃないわよ、今回は旅行だと皆には言っておいて。いろいろ考え直さなきゃならないの…お金は大丈夫よ、人の時のがまだあるから。気を遮断する膜を被るから、用がある時は月に言って。聞こえるから、どうにかして返事をするわ。」

蒼は、驚いて言った。

「また、どこに居るのか分からないようにして行くの?」

維月は頷いた。

「一人になりたいって言ったでしょう。人の頃の事とか、自分の歩いて来た道を振り返りたいの。皆に知れたらどこに居るのかしょっちゅう監視されてそうで嫌なの。人の頃の姿で行くから。」

蒼は出て行こうとする維月に言った。

「せめて恒か遙でも連れて行ったら?」

維月は苦笑して首を振った。

「一人で大丈夫よ。そんなに心配しなくても、何でも一人でしてたでしょ?人の頃は。私は平気よ。」

そう言うと、維月はスッと出て行った。

蒼はもう心配だった。


義心は、十六夜から話しを聞き、あの玉は使わないと約した。十六夜にあの玉を返そうと言ったが、十六夜は、それはお前のものだからと受け取らなかった。時々は使えばいいということだろうか。義心には、十六夜の気持ちはわからなかったが、大切に持ち帰り、宿舎の自分の部屋にしまって置いた。これがあるというだけで、いつか会えるかもという気持ちにホッとする自分が居る。

急に帰ると言った維心は、特に憤っている様子でもなく、どことなく困惑しているような様子だった。十六夜は何も言わなかったが、三人の間で何かあったのかもしれない…それが、自分の絡んだことではないことを祈っていたが、十六夜も維心も何も言わないので、わからなかった。

だが、維月と夢の中とはいえ過ごした時間は、義心にとってとても大きかった。あれがあるから、これからも忍んで行ける…。義心はそう思っていた。

一方、十六夜は、維月に会えずに居た。

あんなことを言ってしまった自分に、腹が立って仕方がなかった…分かっていて、許したことなのに。今更そんなことを言われて、維月も呆れたことだろう。

なので、維月が自分にコンタクトを取れないように、月には戻っていなかった。それに、今は月の宮に維月が居るので、宮にも戻っていなかった。人型のままその辺をふらふらとして考えていたが、やはり帰って維月と話した方がいいと思い、思い切って戻って来たら、蒼が怒って十六夜を迎えた。

「十六夜!気ままにしててもいいけどさ、何日も留守にするってどういうことなんだよ!しかも母さんが帰って来てたのに…」

十六夜は、眉を寄せた。

「…維月は、帰ったのか。」

蒼は首を振った。

「母さんは、旅行に行くって出て行った。」

十六夜は驚いて、蒼を見た。

「旅行?一人でか?」

蒼は頷いた。

「一人で行くと聞かなくてな…恒か遙を連れて行くようにも言ったんだけど。人の頃のこととか、自分が生きて来た道を振り返りたいと言っていた。」と、十六夜が踵を返したのを見て、蒼はその背に慌てて言った。「それと、膜を被ってるから、場所はわからないよ!」

十六夜は振り返った。

「なんだって膜なんて…」

「誰かに監視されてるみたいで嫌なんだってさ。」蒼は言った。「いいんじゃないか?どうせ放って置いたんだし。もう三日も前に出て行ったんだぞ。維心様には伝えて置いた。数か月ぐらい掛かるかもって言うからさ…言い出したら聞かないから。」

十六夜は下を向いた。放っておいた訳じゃない。合わせる顔がなかっただけなのに。

十六夜はキッと月と見上げると、スッと光になって戻って行った。蒼はそれを見てため息を付いた。どうせ月から探すつもりなんだろう。維心もまさかまた帰って来ないつもりではないかと、それは心配して、そっと探しているらしい。蒼は、せめて居る場所だけでもわかったら教えてほしいと言われていた。だが、仮にわかっても教えるつもりはなかった。あの母は、自分の意思でないと梃子でも動かないのは知っていたからだ。


その時維月は、自分の生まれた街を見て回ったところだった。育った幼稚園がまだあるのを見てホッとし、通った小学校や中学校を見て、高校を見て、そして今夜泊る場所に向かって電車に乗って、思い出に浸っていた。まだ人だったあの頃…月と話して、黒い霧を消す力があるのを教えられ、それを使って霧を消し、そしてそうやって普通の生活から離れて行った…。

思えば、自分が人としてまともに生きていたのは、学生の頃ぐらいまでだったのだ。

人の生を生きていた時でさえ、もう自分は人として不完全だった。維月はそれを今更に知っていた。

いつの思い出の中にも、十六夜の記憶があった。十六夜は自分の人生そのもの。導いて励まして叱咤して、そしてケンカして一緒に来てくれた。あれほどに、遠く離れて生きていたにも関わらず…。

維月は暮れて行く日を見て、開いたドアから駅のホームに降り立った。

長らく歩いて居なかった人の世の混雑した流れの中。維月にはそれすらも懐かしかった。誰も自分を見ないし、誰も自分を気にする風でもない。維月は小さなボストンバックを一つ持って、予約を入れた旅館へと急いだ。

タクシーに乗って驚いたのだが、最近の車は音がほとんどしない。何で動いているのかと思うが、数十年離れていた人の世の進化を、ネット上でしか知らなかった自分に戸惑った。紙幣も変わっていたが、蒼は維月用に別に銀行口座を作って、そこへ維月のお金を入れてくれていたので、そのカードさえ翳せばどこででもお金には困らなかった。最近では、金を持ち歩くことは稀であるようだ。

昔から変わらずそこにある宿にチェックインした維月は、部屋に案内されて、畳の匂いを懐かしんだ。美月の里の屋敷にはあった座敷が、月の宮にも龍の宮にもない。畳に身近に接する機会がこの数十年なかったのだ。

人の世は、自分の知っていた頃とはすっかり変わってしまっていたが、それでも人の気遣いや人の間の常識が懐かしい。話し方も、構えるほどに堅苦しいことはない。

私は人だった…。

維月は人の中で、そう実感していた。


維心はひたすらに空を見上げて気を集中し、維月の気配を探った。また、どこかへ行ってしまうのではないか。また、戻らぬつもりなのではないか…。

維心はただそれを心配していた。帰って来るのなら良い。気が済むまで旅をしておっても。ただ、どこに居るのか、気配だけでも探らせてくれれば…。

まったく読めない維月の気に、維心は気落ちして下を向いた。なぜに、我らは三人であったのか。十六夜より先に維月に出逢えていたのなら。自分のほうが先に生まれて生きておったのに…。こんなことで、維月の心を煩わせなくとも良かったものを。

維心が月を見ていると、月から十六夜が降りて来た。維心は険しい顔でそれを見つめた…十六夜。あれから長く月の宮にも月にも帰らずに居たと聞く…どれほど、我に文句を言いたいことだろうか。

十六夜はそんな維心の斜め前に浮くと、意外にも取り乱さず言った。

「…維心。オレは、なんだか自信がなくなった。こうやって三人でやって行くことに。」

維心はじっと十六夜を見た。

「どういうことだ。もう、我には維月に手を触れるなと言うのか?」

十六夜は地面に降り立つと、思い詰めた顔をした。

「わからねぇ。オレだって、出来たら維月と二人でゆっくり生きて行きたいには違いねぇが、そういう訳にもいかねぇのが神の世で、オレ一人じゃ維月を満足に守って行けるかってぇと難しいだろうし。お前が居たから助かったこともたくさんある。だからそんなことは思っちゃいねぇ…だが、複雑なのは確かなんだ。体云々より、維月はお前が好きだろう。だからな、ああいう行為だって、他のヤツだったら仕方なくって感じなのに、お前にはそうじゃないから、そういう記憶は見たくなくってさ。あいつは間違いなく、お前を愛してて自分からお前と一緒に居たいと感じてる…だから、他の奴には余裕なオレも、お前にはいつも、どことなくライバル意識みたいなのを持ってて焦るんだ。」

維心は、じっと十六夜を見ていたが、フッと力を抜いた。

「…何を言っている。我よりも力を持っていて、我よりも維月の傍近くで育って行くのを見守っていて、維月の人格が作られる間見ていられた主を、我がどれほどに劣等感を持って見ておるのか知らぬはずはあるまい。どんなに努めても追い付けぬと、いつも悔しい思いをしておるのに。」

十六夜は、ため息を付いた。

「…なんだってお前は維月を選んだんだろうな。オレがずっと傍に居るのは、知ってたってのによ。」十六夜は、月を見た。「維月とケンカする前の夜、あいつに月になってよかったのかって聞かれた。でも人のままだったら死んでたと言ったら、黄泉がえりしなかったら、人のまま死んで、誰にも会わずに、記憶を無くして新しく転生したって…。」

維心は、表情を暗くした。それは、我とも出逢わなかったということだ。十六夜は続けた。

「…あいつは、人のまま生きて、人のまま死にたかったのかも知れねぇ。オレが耐えられなくてあいつを呼び戻して欲しかった。維心、お前があの時黄泉がえりを断っていたなら、お前はあいつを愛することもなく、維月もあっちで人の生涯を終えてゆっくりしていただろう。あの日維月と言い合いになったのも、前日のそんな事とか頭の中でごっちゃになって、つい口から出ちまって…あれからオレなりに考えていたから、維月がどこかへ出て行ったのすら知らなかった。月から探しても呼んでも答えは無いし…今何を考えて、どこに居るのかって思う…。」

維心はそれを聞いて、もっと不安になった。人…。維月は人だった。神でも人でもないと悩んでいた時もあった。確かに人のままなら、こんな状況にはならなかった。我が入り込むことも無く、十六夜ただ一人を想ったまま、あちらへ逝って、そして転生して一からやり直して…。

そんな想いを持ったまま、今頃どこかを旅しているのか。維心も焦る気持ちを抑え切れずに月を見た。

「十六夜…我も探す。主も探してくれ。見つかったからと連れ戻したりはせぬゆえ。ただ…維月の無事を確認して、居場所を知って安心したいだけなのだ。」

十六夜は頷いた。

「わかってるよ。ずっと探してるが、見つからないから、ただ、お前に愚痴りに来ただけだ。じゃあな。」

十六夜は、月へと戻って行った。

維心は引き続き、気を飛ばして維月の気配の欠片でも見つけられないかと探し続けた。

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