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プロローグ

――そこは、惨劇の残り香で満ちていた。

散らばった大量の死体。


炎にまみれる瓦礫が大地を照らし、赤く染める。


深緑に包まれた簡素な山村は、一転して腐臭と血臭が充満した地獄と化した。


その真ん中で、一人。小さな矮躯の影がポツポツと力無い足取りで悪魔の原を練り歩く。


艶のあった黒髪は泥で汚れ、子供向けアニメのキャラクターがプリントされたパーカーは所々焦げ付き、瑞々しく幼さが残る顔は血色を失い、枯れ木のような土気色になっていた。輝いていた純粋な瞳には生気が抜け切って虚空を見るかのようだ。


煤で汚れた玩具のような小さな靴で力無く、憔悴しきった体を引き摺るようにさ迷う。


もうもうと昇る黒煙が月と星の光を遮り、空をにび色に染める。


見馴れた世界と完全に変わってしまった風景に頭がついていけず、ただ唖然とするしかなかった。


視線の先に会ったのは村の診療所だった場所。


火の手が上がり、焼け焦げて黒ずんだ屋根。


ボロボロに砕かれた外壁。


古い山村には珍しい、白い西洋式の綺麗だった家屋は変わり果てた姿を見せた。


強い臭気に頭が眩み、足を半歩引く。


――ペキッ。


踵が何かを踏んだ。


だが、足元を見ようとするが首が思うように動かない。


頭にこびりついた恐怖が頭からの指令を寸断して、身体が言うことを聞かない。


肺が脈を打つように荒い息を吐かせる。


石膏のように固まった身体に鞭打ち、無理矢理従わせる。


ギリギリと錆びた車輪のように滑りの悪い首を、捻切る勢いで首を横に振り、下を向く。


瞬間、息が凍りついた。足の下には――肉塊が転がっていた。


顎から股下までの身体の前の部位がごっそり抉られ、その肉片が周りに四散していた。


胸と腹が消失し、ぐちゃぐちゃの臓器と中の内容物が剥き出しになっている。


踏んだのは砕けた肋骨の一部だろう。


縛り付けられたように、死体の顔の上半分を凝視する。


知っている人間だった。


よくしてくれた、商店の跡取り息子。


頼りなさそうだったけど、人好きにさせる笑いをする人だった。


だが、それは前までの話。


ただ、腐敗して土に帰るだけが未来の、肉塊の集まり。


死体じゃない。


人の死に方じゃない。


人の尊厳も何も無い。


口の中に桑のような物を突っ込まれて、そのまま降り降ろす。


まるで、子供が粘土で面白い形を作って遊ぶような、無邪気で、残虐な――死。


「ヒッ……」




顔を上げて、散らばる“元”人達を見る。


頭頂から腹まで切り裂かれた友達の母親。


胴を横に両断された 診療所の医者。


顔を抉られた学校の先生。


それらの肉塊は十にも満たない少年の心を完膚無きまでに破壊するには充分過ぎた。


口の中に鉄臭い苦味を感じた。


口元から垂れる血。


胸を触るとべちゃりとした生暖かい感触が手に伝わり、手の平にべっとりと張り付いた赤い液体を凝視する。


血臭を孕む強烈な地獄の中では、少年の神経は痛みを忘れるほどに磨耗する。


致命傷を負った体で動き回る事の結果がどうなるかを予想する想像力も、その結果を教え少年を止める周りの大人も、今の少年には無かった。


胸に火箸を突っ込まれたような痛みが、少年を咳き込ませる。


地に膝を付き、口から血が勢い良く飛び出した。


少年はそのまま地に伏し、倒れ込む。


――自分も他のみんなと同じ、肉塊になるのか。


死という概念は触りだけは知っていたが、少年はそれを自分の存在する世界の外側の話だと思っていた。


だんだんと世界が霞がかっていく。


力の抜けた四肢から少しずつ感覚が薄れて行く。


死神が少年の頭上で迫り来る一瞬をまだか、まだかと心待ちにして大鎌を振り上げていた。


その時を刻むかのように、重力に従って少年の血が歪な円を描くように少年を中心にして伏した地面に広がる。


少年は昔、路上に咲いた花を摘もうと手を伸ばして、母に止められた事がある。


母は柔らかい口調で語った。


――命あるは全て、与えられた死があるの。だから、人の勝手でそれを決めてはいけないわ――


新雪のような白い肌と優しげな面持ちが特徴的だったが、その時の声音と目つきはシャッキリとしていた。


「母さん……」


今が、自分の与えられた死の時なのか。


そう問うかのようなか細い声は、無情にも母の元には届かず静寂に呑まれて消える。


だんだんと弱く、感覚が長くなって行く心臓のの鼓動。血の抜ける感覚が体を支配する。


「母……さん……っ」


必死に振り絞って紡いだ、最後に一目会いたいと少年が願う最愛の人。


血溜まりに沈む少年の命が吹き消されようとした――


「命を簡単に捨ててはいけないな。少年」


それに割って入るように軽妙な声。


不思議にしん、と鈴の音のように身体に声が満ちる。


立ち上がり、声の方向を見る。


立っていたのは、黒ずくめの男だった。


真っ黒なコートで柳のような細い長身をすっぽり覆い、ブロンドのパーマがかった長髪にシルクハットを被り、ゴーグルのような丸レンズのサングラスの下の端整な顔には常に軽い笑みが浮かんでいた。


「また会ったね。少年」


男が地獄に持って来たのは妙な程の穏やかさだった。


地獄の濁った空気を払い、爽快な野原にいるように、男は平然と立っていた。


「嘆いても意味は無いよ」


騒然とした空気を鎮めるような雰囲気を纏って、歩み寄る。


「卑下してはいけない。悲観してもいけない。これはあるべきにして神が行った“選定”だったんだ」


腕を案山子のように大きく広げ、唄う。


「そう、神は紡ぐのは苛酷な蕀の運命。

それを人に纏わせては死ぬか生きるかの振るいにかけ、たった一粒の砂金を探す。

ただの砂は編み目から落ち、落選する――なんとも笑える話じゃないか。

平等を唱える筈の神が、その時点でこの世界に差別を作ってしまったんだから――

嗚呼、なんて矛盾!

なんて混沌!

我らが救いを乞うて来た神は人の作りし偶像なのか!

落選者を救う為の方便でしかないのか!

だが、それは違う。

神は存在する。

それは何故か?

逆に考えて見よう。

神がいるとして、欲したのは砂金じゃ無くて大地を創るための砂だとしたら?

自分を崇める弱い子羊だとしたら?

神は、自分の存在を確かにするために、わざと“選定”と言うシステムを作り、自らの手で、落選者を作っていたら?

――神は確かに存在する。

矛盾を抱え、歪んだシステムの中で人の死や生を操り、自分を最も高位の存在だと、醜く酔いしれる。

子羊達はそんな神に騙され、心酔し、崇めさせる愚かな道化(ピエロ)の役を当てられた。

だが――君は違う」


大袈裟に手を振り、言葉を身体で表現する。


まるでオペラのように語られる唄に、釘付けになる。


「君は牙を持つ権利がある故に、神の律から外された。君は世界にその才覚を与えられたんだ。神にその牙を向け、世界の自由を手に入れる為に。神に爪を立てるもの。まさに――…」


――悪魔。


神に地獄に堕とされ、這い上がって来た反逆者。


不文律達の英雄。


歪んだ聖を犯す者。


「少年よ。今から君に選択をして貰う」


男の懐から現れる一冊の本。


B4大の大きさを持つ、ハードカバー装丁の本だった。


何より目を引いたのはその表紙。そこにはタイトルを押しのけ描かれる、緑に包まれ、慈しまれる銀色の少女の姿。


絵の中から飛び出して来るのであらば、幻想的で神秘性を孕んだ精緻な神象を思わせる美貌に、誰もが頭を垂れるであろうような美しさだった。


少年は一時それに魅入られて、死の淵である事を忘れ頭を上げ、目を丸くして見入った。


「これはパスポートだ」


男はしゃがみ込み、本の少女を良く見せるようにして語りかける。


「コレは君を人の境界から外す物だ。

コレを手に取れば、君は人以上になれる。

コレを手に取れば、君は人では背負いきれない十字架を背負う。

コレを手に取れば、君は今を生きられる。

コレを手に取れば、深き更なる苦界の未来に堕ちる」


そっと、男は少年に耳打ちする。


「――コレを手に取れば、母さんの所に行ける」


少年の中で電撃が走った。


少年にそれ以上の言葉は入らなかった。


少年は血に濡れた小さな手を伸ばし、男が持つ本を求める。


「……!!」


ほとんど痺れて冷たくなった手。それこそ少年が動かせる最後の器官。


地に這いずる芋虫のような姿に恥も外聞も存在しない。


常に自分の傍らに存在した母の柔らかな面影。


それだけが少年の脳裏を描き、少年を命を燃やす。


腕を引きちぎらんばかりに腕を伸ばす。


「――おめでとう」


少年の血まみれの指が本の少女に触れる。


本が光り輝いて少年を包む。


それは正に、神の(キリスト)の受胎を聖母(マリア)に宣告する天使(ガブリエル)のように――


「少年、君は選ばれたんだ」








こうして、俺は神に嫌われた。







「さぁ、幼き少年は神が紡いだ運命を脱ぎ捨て、代わりに悲劇と苛酷な生き方をその背中に焼き付けた。

――世界は少年にどんな宿命(ステージ)を用意するのか

少年はどのようにして乗り越えるのか。

それとも、世界が揺さぶる荒波に飲まれるのか。

え?その前に私は誰かと?

私は……“宣告の天使”であり、幕間に踊る道化でもある存在。


――そろそろ開幕のお時間です。


長らく御客様には、私達の演じるドラマにお付き合いお願いします。


それでは、皆様方、存分にお楽しみあれ」


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