第28話「守護者の記憶」
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泉の底を見つめると、何かが沈んでいるのが分かった。
拳大の結晶体。しかし光をかすかに放つ。星脈の種子。人工的に作られ、古代の術師たちが育て、最も神聖な場所に沈められた、あの存在だ。
「取らないといけるのか」
ノエルが問う。
泉の深さは浅いように見える。だが何か不気味な感覚がある。単なる水ではなく、濃密な星脈に満ちた液体。触れば何が起きるか、予測できない。
レインが一歩前へ出た。
「取ります」
彼は泉の縁に立ち、胸中で決意を固める。五人の中で、最も星脈と深い繋がりを持つ者は誰か。転生者たる自分以外にいない。
泉へ足を踏み込んだ。
水は冷たい。だが冷たさだけではない。星脈が直接脈路に作用している。その密度の高さ。強度。全身の細胞が反応する。
もう一歩。もう一歩。
膝まで水に浸かる。腰まで浸かる。
星脈の作用は益々強くなる。脈路が熱くなる。いや——それは熱ではなく、星脈の力が脈路を通じて全身を駆け巡っている感覚だ。
水底に足をつけた時、レインは息を飲んだ。
泉の底には——刻印がある。古代の術式。星脈を収束し、保護する仕組み。その中央に、種子が鎮座している。
レインはそれに手を伸ばした。
指が結晶体に触れた。
瞬間——
まず現れたのは、古代の記憶ではなく、別の感覚。
時間の流れが、二重に見える。泉の底に在る現在のレインと、同時に、何百年も前のこの場所に立つレインの姿。古代と現代が、重なっている。その瞬間、レインは自分がこの場所に、この泉に、この時間に存在していたことを『思い出す』。だが、それは前世の記憶ではなく、まさに虚相による時間の重複。過去と現在が同時に存在する錯覚。否、錯覚ではなく、虚相にとっては事実。
その混乱の中で、流れ込む。
記憶が、景像が、感覚が。一気に頭部に押し寄せる。
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七百年前。大崩壊の時代。
薄暗い室内。古代の建造物の奥。守護者たちが集められている。数十人の術師たち。その顔は悲壮だ。
彼らの前には、輝く種子。新しく作られたばかりの、星脈の救世主。
その時代、世界は崩壊していた。
星脈体系が破綻し、大陸全体が魔力を失いかけていた。七相の相が不均衡となり、世界の星脈は暴走寸前。各地で異変が起きており、人類は滅亡寸前だった。
守護者たちの長——古代の最高位術師が、決断を下した。
「星脈の種子を、ここに埋める。我々は、その目覚めを見守る」
その計画は危険だった。種子の完全覚醒には、七つの相すべてが揃う必要がある。虚相を含む、すべての相。だが虚相は、既に失われている。古代でさえ、虚相の完全な理解と操作は不可能だった。
だから、守護者たちは試みた。
六相の力で、種子を半覚醒させる。その力を以て、大崩壊を一時的に抑止する。そして、いつか七相が揃う時代を待つ。
その時、種子は完全に目覚め、世界を救う。
儀式が始まった。
守護者たちは、全力を集約する。六相の力。風、水、地、炎、識、光。すべてが種子へ注がれた。
種子が光った。
強い光。最初は制御できていた。だが——
六相だけでは足りなかった。
虚相がないことで、不均衡が生じた。その不均衡が、種子に作用する。暴走を始める。
守護者たちが叫んだ。だが対処は遅い。
種子からは、激しい波動が放出される。星脈が荒ぶり、周囲の建造物が揺れた。そして——
爆発。
星脈の爆発。大崩壊そのものが、此処で起きている。
守護者たちの絶叫。悲鳴。吹き飛ぶ術師たち。
だが、長は動かなかった。
古い術師。白髪で、背は曲がっているが、目は澄んでいた。彼は種子に両手をかざし、全身の力で制御しようとした。
虚相がないなら。相を与えられないなら。
彼は別の方法を試みた。
自らの脈路を種子に繋げる。自らの星脈を、種子の不均衡を補うために。命を賭けて。
その時、長の身体は光った。
虚相ではない。だが彼の自己が、種子と同期した。人間と星脈の結合。古代禁忌とされた術。それを彼は成し遂げた。
種子の暴走が、止まった。
だが長の身体は、同時に消滅しかけていた。星脈と人間の完全な同期は、人間の身体を焼き切る。
長の最後の言葉。それは弟子たちに向けられた。
「力で星脈を制御しようとした。だが星脈は制御されるものではない。共に生きるものだ。相手を支配するのではなく、理解し、共存せよ。それが、真の術師の道だ」
その言葉の後、長の身体は星脈と化した。
そして種子は、静かに眠りに落ちた。
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記憶が途切れた。
レインは泉から飛び出した。
全身が震えている。吐き気がある。だが精神ははっきりしていた。見たもの。感じたもの。それはすべて、古代の守護者たちの経験だった。
「レイン」
ノエルが支えた。
レインは膝をつく。胸が激しく高鳴っている。
「何が見えた」
マルクスが問う。
レインは、見たものを話した。
七百年前の出来事。大崩壊の原因。守護者たちの決死の努力。そして——長の言葉。
五人は沈黙した。
星脈を支配するのではなく、共に生きる。
力で制御するのではなく、理解し、共存する。
それは——今の侯爵の計画の正反対だった。
侯爵は、古代装置を使って星脈を一元管理しようとしている。すべての星脈を統制し、その力を手にしようと。
だが古代の最高位術師でさえ、その方法は間違っていると気付いた。
「種子の位置は」
アリシアが問う。
「分かった」
レインは泉を指差した。
「底に、ある。あの結晶体が種子だ」
だが、もう一つ。
記憶の最後に、見えたもの。その場所の座標。古代の術師たちが、記録した。
「心臓の泉。それが種子がある場所の古い名前」
それはここではない。
レインが泉の水を掬った。底の刻印を見つめた。そこには更に奥への道が描かれている。隠された通路。古い装置。
「ここは保護の場。本当の種子は、更に奥にある」
五人は再び歩を進めることにした。
古い建造物群を通り抜け、森をさらに北へ。星脈の流れに従い。
やがて、見えた。
巨大な木の前で。その幹の根元に、開いた穴が。その奥に、階段が。
地下へ降りる階段。古代から存在していたもの。
五人は、それを下りた。
階段の途中で、アリシアが立ち止まった。
「何か感じます」
その識相の感知は、正確だった。階段の壁に刻まれた、古い術式。それは保護の力を放っている。このエスキナ全体を守るための、古代の結界。
「崩壊していますが」
マルクスが分析する。
「七百年の時間により、その力は大幅に減少しています。もしかすると、これ以上保つかどうか」
つまり、エスキナの守護も終わりに近づいているということだ。古代からの守り手が失われ、古い結界も廃れ始めている。
五人は階段を下り続けた。
深くなるに従い、空気が変わる。もはや自然の大気ではない。星脈そのものが空気と化しているかのような、濃密さ。
呼吸が重くなる。だが同時に、脈路は活性化する。星脈が直接、身体に作用している感覚。
階段が終わり、通路へ。
その通路の壁には、更に多くの碑文がある。古代ファルネーゼ古語で、何度も繰り返されている。
「『虚相を求めん。虚相なくして、完成はなし。七百年の後、虚相の力、此の地に集う』」
アリシアが読む。その声は、掠れていた。
虚相の力。それが鍵だ。古代からそう記されている。
五人は通路を進み、最終的な空間へ到達した。
地下湖。
その光景に、誰もが沈黙した。
水面に映る星脈の光。その底に沈む、巨大な結晶体。それが、脈動している。
「生きている」
レインの呟きは、他の者たちも同じ感覚を持つことを示していた。
種子は、確実に生きている。
だが——その光は弱い。
アリシアの識相で感知すると、その脈動は不安定だ。時間とともに、その力は消費されている。
「どのくらい」
ノエルが問う。
レインが答える。
「推測ですが。あと数十年。あるいは、もっと早いかもしれない。この状態では、急速に衰弱していく」
絶望。
だが同時に、覚悟。
五人は、この瞬間のためにここに来たのだ。
地下湖へ進むために。
その先に何があるのか。失敗か、成功か。
それは、これからの行動にかかっている。




