表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/106

第26話「エスキナの入口」


---


死域を三日間かけて越えた。


五人が深奥域エスキナの境界に到達したとき、その瘴気は肉体を直接的に襲った。


「何だ、これは」


ノエルが身体を折り曲げる。呼吸が浅くなる。周囲に満ちる——何か得体の知れない霧のような物質。それは目に見えないが、確かに存在している。皮膚に触れると、じりじりとした痛みがある。


星脈の枯れた死域とは逆の、超過度に充満された星脈。それが最も危険な形で具現化している。濃密な瘴気の壁だ。


「脈路に負荷がかかっている」


マルクスが分析する。彼の識相が周囲を感知した。その顔は厳しい。


「これは——自然のものではありません」


アリシアが続ける。識相の力で周囲の星脈構造を調べている。彼女の目が見開かれた。


「構造があります。自然の瘴気ではない。意図的に。誰かが、ここに壁を作っている」


古代から。だから侵触したままの、目に見えない障壁。


五人の前に立ちはだかるそれは、単なる瘴気ではなく、古代の術師が意図的に設置した結界だった。


「突破できるか」


レインが問う。


マルクスが首を振った。


「無理です。この構造を相手に力ずくでは——脈路が焼き切れます」


では、どうするか。


その時、アリシアが指差した。前方に、灰色の岩が立っている。そこに刻まれた文字——古代ファルネーゼ古語での碑文だ。


「読めます」


アリシアが近づき、碑に触れた。古代語を現代語へ翻訳する知識を持つ彼女は、ゆっくりと読み上げた。


「『星脈の七つなる相。五相以上を同時に捧げよ。さすれば門を開かん。成し遂げたる者たちよ、古の福音を受け入れよ』」


五相を同時に捧げる。


レインは五人の相を確認した。


リュカ——水相。だが同時に彼の才能は特異吸収にある。つまり他者の星脈を吸収する能力だ。


ノエル——地相と炎相。二つの相を持つ稀な術師。


アリシア——識相。星脈を感知する能力。


マルクス——識相と光相。彼も二つの相を持つ。


レイン——風相。


数えれば。風相、水相、地相、炎相、識相、光相。六つの相が揃っている。


唯一足りないのは——虚相だ。


「虚相が足りない」


ノエルが言う。


虚相。最も神秘的で、最も理解されていない属性。レインはこれまでに虚相を使う術師に出会ったことがない。虚相とは、存在と非存在の間に立つもの。無を操る相とも、あるいは全てを無にする相とも言われている。


だが五人のうち誰もそれを持たない。


「周囲に星脈が満ちている」


リュカが言った。この瘴気の壁の周辺に。確かに星脈が濃く存在している。


「吸収できるか」


レインの問いに、リュカは頷いた。


「試してみます」


リュカが歩き出した。瘴気の縁に立ち、両腕を広げる。その胸に星脈が集中する。水相の術師としての彼の能力——吸収の相。通常は他の術師の星脈を吸収する。だが訓練次第で、環境中の星脈も吸収できる。


リュカの身体が光った。


吸収される星脈。濃い青色の光が、彼に集約される。それは徐々に強くなる。周囲の瘴気が薄れていく。


「もっと」


レインが促す。


リュカの身体がより明るく光った。青色がより濃くなる。そして——黒い光が混ざった。


「何だ」


ノエルが声を上げた。その黒い光は——命相の光だ。生命力そのもの。周囲の生物の生命力を吸収している。草木のない死域の近くだから、その源は——


「森の方から」


アリシアが指差した。遠くの瘴気の壁の向こう側。そこには、かすかに緑が見える。エスキナの森から、生命力が流出している。その流れをリュカが吸収している。


リュカの吸収は止まった。


五人の周囲に集約した星脈は、六つの相の力を帯びていた。風、水、地、炎、識、光。そして——黒。命相だ。


「六相分です」


リュカが呼吸を乱しながら言う。その表情は疲弊していた。生命力の吸収は、術師の脈路に負担をかける。


だが六相揃った。


「いけ」


ノエルが叫んだ。


五人が一堂に瘴気の壁に向かって力を解放した。


六つの光が、結界に衝突した。


爆発する光。瘴気の壁が裂ける。古代から存在した障壁が、応答を示した。そして——


開いた。


門が現れた。光に満ちた出入口。古代の術師が仕掛けた仕組みが、六相の力を認めて応答した。


五人は駆け込んだ。


光が消える。振り返ると、瘴気の壁は再び閉じた。だが今度は、その向こうに何かが見える。


緑だ。


瘴気に遮られていた景色。それは——森だった。深い緑色。木々。生い茂った草。鮮やかな色彩。


「生きている」


アリシアが呟く。


レインも同じ感覚を持った。この空間は生きている。星脈が満ちている。枯れた死域とは全く逆の、溢れんばかりの星脈。


五人は森へ踏み込んだ。


瘴気に慣れた身体が、一転して濃密な星脈に満ちた空気を吸い込む。呼吸が楽になる。脈路が落ち着く。まるで帰郷したかのような安堵感。


「深奥域エスキナ」


マルクスが呟く。


古代の守護者たちが、星脈の種子を守るために作ったという奥地。七百年前の大崩壊でも失われなかった、星脈の聖地。


そこは確かに生きていた。


深奥域エスキナは、生きていた。


---


レインが足を止め、周囲を見渡した。樹齢の長い古木が、無数に立っている。その幹は太く、何百年も生きている証だ。そして——それらすべてが、星脈に満ちている。


「星脈灯がなくても見える」


リュカが言う。本来、星脈の少ない地では夜間は星脈灯に頼る必要がある。だがここでは——周囲の木々から自ら光が発せられている。星脈が自然と光を放っている状態だ。


土には苔が生え、至るところに小さな花が咲いている。到底、死域とは同じ世界とは思えない。


「古代の結界の内側。星脈の環流が特別に設定されているのでしょう」


アリシアが分析する。


「外の世界と遮断されることで、大崩壊の影響から守られた。そういうことか」


ノエルが納得する。


五人は森の奥へ進むことにした。


星脈の種子は、更に深い場所にあるはずだ。記録の間で学んだ情報によれば、エスキナの最奥部に。その場所へ向かわねばならない。


森を進むに従い、古代の建造物が見え始めた。


壊れた石造の遺跡。風化した柱。かつて栄えた構造物の名残。そこには古代文字が刻まれており、アリシアがそれを読む。


「『守護者たちの里』」


彼女の声に力がなかった。ここは、かつて星脈を守る者たちが住んでいた場所。その面影さえも失われ、廃墟と化している。


五人は歩みを進める。


森はより深くなり、古木がより密になった。光が薄れ始める。だが星脈の光は増す。周囲の木々から放たれる光が、五人を導く。


やがて——


古い建造物が見えた。石で作られた、かなり規模の大きい施設。おそらく古代の中心的な建物だったのだろう。


「ここに何かある」


レインが感じた。虫の知らせではない。星脈の流れが、この建造物に集約されている。


五人は慎重に近づいた。


入口は広く開いており、内部は薄暗かった。星脈灯を灯す必要さえない。暗さの中で、何かが静かに光っている。


その光に導かれるように、五人は建造物の内部へ進んだ。


内部の通路は、迷路のように複雑だった。


だが不思議と迷わない。星脈の流れが道を示しているかのように。あるいは古代の守護者たちが、意図的に進むべき道を星脈の光で示しているのかもしれない。


アリシアが識相で感知した周囲の構造。その複雑さ。古代の術師たちの叡智が結集した、この建造物。それは単なる建物ではなく、星脈を制御するための装置全体なのだ。


「これほどの規模だと」


マルクスが呟く。


「完成するのに、数十年かかったでしょう。あるいは数百年」


古代の術師たちの長い歴史。その間に、彼らはこのエスキナを築いた。星脈の種子を守り、それを再生させる日まで。


通路の奥にはより大きな空間がある。そこで五人は足を止めた。


巨大な円形の空間。中央に、古い祭壇が立っている。その周囲には、無数の小さな結晶体。それらはすべて星脈を放射している。


「祈りの場所」


ノエルが言う。戦士の直感。ここは信仰の中心地。古代の人々が、星脈の再生を祈った場所。


壁には更に多くの碑文がある。同じ言葉の繰り返し。古代の誓い。


「『星脈よ、甦れ。世界よ、救われよ。我らの祈りは、その時まで止まらず』」


アリシアが読む。その声は静かだが、深い感動を秘めていた。


古代の人々の覚悟。それは七百年前から、この場所で祈られ続けている。


五人は、この空間を後にした。


目指すはさらに奥。星脈の流れが最も強い場所へ。


通路は下へと続いていた。階段が。古い石造の階段が。


五人は、それを下りた。


深く。深く。大地の奥へ。


やがて、空気が変わった。星脈の匂い。それは何か金属的で、甘く、澄んだ香り。


階段が終わり、広い空間に出た時、五人は息を飲んだ。


地下の大空洞。その広さは、学院の講堂の数倍。天井は高く、壁には幾つもの水路が刻まれている。その水路から、光が。


星脈の光。液化された星脈が、水路を流れている。


「すごい」


リュカが呟く。


「古代の技術。星脈を流動化させ、制御可能にしている。現代では、考えられない」


マルクスが分析する。


その水路は、すべてが一つの方向に流れている。その終点は——


奥の壁に。その壁の奥に。


「そこだ」


レインが指差した。


五人の目が、同じ方向を向いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ