第25話「荒野の道」
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深奥域エスキナへ向かう道は、想像以上に過酷だった。
冬の終わりへ向かう季節。暦の上では春が近いはずだが、アリダ荒地は時間の流れを知らないかのように荒涼としていた。地平線の彼方まで続く灰色の大地。茶色く枯れた砂利。ところどころに露出した岩肌。そして——何よりも目を引くのは、この大地に植物がほぼ存在しないということだった。
「本当に何もない」
リュカが呆然とつぶやく。五人は荷車を引いて、その不毛の地を進んでいた。北への細い道。正確には道というより、通行された痕跡程度に過ぎなかった。
レインは荷車の綱を握りながら、周囲を観察していた。星脈灯の光を頼りに進む。昼間でも空は朧げで、光が十分ではない。これは星脈が弱まっているからだ。
「星脈が死んでいる」
ノエルが呟く。戦士の感覚は正確だった。リュカが周囲に手を翳すと、かろうじて感知できる星脈がある。だが途切れ途切れだ。本来ならば大陸全体に流れる星脈は、ここでは鋭く欠落している。
数時間の行進の後、五人は一つの集落に出くわした。
兵舎のような建造物が数棟。周囲には丸太で作られた柵が巡らされている。その外側には——焦げた跡が無数にあった。火で焼かれたものらしい。灰の色をした土壌の中に、焼け焦げた木や石が転がっている。
「ここは」
アリシアが言葉を失う。
兵士たちが出迎えた。アリダ守護領の兵装を身につけた者たちだ。皮膚は日焼けしており、目つきは鋭い。だが何より印象的だったのは、彼らの疲労感だった。
「用件か」
最前の兵士が詰問するように言った。礼儀には乏しかったが、敵意もない。ただ確認の言葉だった。
「エスキナへ向かっている」
レインが答える。護衛として雇われた学生という触れ込みにしていた。実際には——いや、それでいい。その身分で十分だ。
「エスキナ。そうか」
兵士は一度レインたちを観察してから、顎をしゃくった。
「案内する。兵舎で一晩泊まって行き。毎晩が大変なことになる。夜間は魔獣が多い」
彼らは案内された。兵舎の中は、想像以上に整理されていた。だが息苦しさがあった。常に何かに備えている、そんな緊張感が満ちていた。
夜になると、その理由が明らかになった。
遠くから、うめき声が聞こえた。それは獣のものではなく、何か不定形な存在の鳴き声。複数。そして——それらが兵舎に接近する。
兵士たちは即座に動いた。星脈灯が点火され、壁に設置された幾つかの装置が光った。那はいわゆる防魔陣。星脈の力を使って異形な存在を退ける仕組みだ。
攻撃は数時間続いた。
ノエルが眉をひそめながら窓の外を見つめていた。
「星脈が枯れた場所に出てくる化け物か。レイン、あれを見てみろ」
レインが指示された方向を見た。防魔陣の光の外側。その暗闇の中で、淡く何かが蠢いている。通常の魔獣ではない。星脈が枯れた場所だけに生まれる、異質な存在だ。
朝になり、攻撃は止んだ。
兵士との会話は、五人に重大な認識をもたらした。
「ここじゃ毎日が戦争だ」
話してくれた兵士は、三十代半ばほどの男だった。目元は深い皺に覆われていた。
「荒地の境界は年々後退している。星脈が枯れた土地には化け物が湧く。ここはまだ抵抗できる場所だが、南の方ではもう防ぎ切れていない。二年前、南方駐屯地は放棄された」
ノエルが問う。
「星脈が枯れるというのは、何が原因なんだ」
兵士は肩をすくめた。
「知らん。上からの指示では『大崩壊の影響』らしいが——見ての通りだ。どんどん広がっている。二十年前はここまで北ではなかった」
その言葉の重さ。それがレインの胸に落ちた。
彼は星脈が枯れるということを、学問的には理解していた。魔法体系が破綻し、星脈の流れが停止し、そこに魔力が集まらなくなるということ。だが実際にこの目で見るのは初めてだった。
この地は、それを物語っていた。
兵舎を出たとき、レインは一度後ろを振り返った。兵士たちの疲弊した表情。彼らは毎日、この戦いを続けている。国家からも忘れられ、補給も十分でなく、それでも死域の侵食を食い止めようと。
歩みを進める中で、五人は更に南下する。するとより顕著な死域が見えた。
岩肌が完全に露出した大地。砂利さえもない。完全な灰色。まるで世界から色が失われたかのようだ。そこでは風も強い。ただただ吹き付け、埃が舞う。
その中では、星脈灯も光を失う。
リュカが試してみた。星脈灯を灯そうとして——できなかった。
「星脈が完全に死んでる」
彼の呟きは、実感的だった。
「これ、本当に生まれ変わることがあるのか」
マルクスが呟く。その問いに、誰も答えられなかった。
アリシアが識相を展開した。周囲の星脈の流れを感知する。すると——彼女は息を飲んだ。
「見えません」
「何も」
「死域の中は——何も感知できません。星脈の流れが完全に遮断されています」
それがどういうことか。星脈が脈動する。生きている。だがここではそれが完全に停止している。
五人は沈黙のまま、灰色の大地を進んだ。
昼間でも光は薄い。太陽があるはずなのに、雲が厚く垂れ込めている。いや——それは雲ではなく、何かほかのものかもしれない。星脈が枯れた場所の空気は濁っている。
レインは歩きながら考えていた。
星脈の種子が眠るエスキナ。それを目指すために、五人はこの死域を越えなければならない。だが目の前に広がるのは、世界の終わりの光景だ。
もし種子が目覚めなかったら。もし星脈の再生が叶わなかったら。
世界はこうなる。完全に。
灰色の大地が、永遠に続く。
やがて夕方になり、五人は岩石の陰に身を寄せて一夜を過ごすことにした。死域の中では火も薄く燃えるだけだ。魔力の補給もできない。星脈灯さえ、徐々に光を失っていく。
レインはその光の衰えを見つめながら思った。
これが、星脈枯渇の最終形。
これが、侯爵の計画が進めば、やがて全ての土地が辿る運命かもしれない。
風が吹く。灰が舞う。
その音は、まるで地球が息をしなくなったかのような、不気味な沈黙だった。
灰の大地が、世界の未来の姿だった。
岩に背中を預けたレインは、次の朝に備えて目を閉じた。だが眠りは深くない。いつでも目覚められる、浅い眠りだけだ。
星脈灯の光が、徐々に弱まっていく。その変化を感じながら、レインは考え続けていた。
この地は、世界の縮図だ。星脈が枯れるとは、こういうことなのだ。光を失うこと。温度を失うこと。生命を失うこと。
侯爵の計画が本当に世界を救うのなら、このような状況は二度と起きないはずだ。だが侯爵の方法が正しいのかどうか、レインには判断できない。
古代の長の言葉が、脳裏に浮かぶ。
「力で星脈を制御しようとした。だが星脈は制御されるものではない。共に生きるものだ」
共に生きる。
支配ではなく、共存。
レインはそれが本当に可能なのか、疑問に思う。人間の本質は支配欲だ。力を手にすれば、それを使いたくなる。それを制御できるのは、どれほどの者だろうか。
五人のうち、マルクスだけは、その試練を既に経験している。父の支配から逃れることで。だがその過程で、彼は傷つき、苦しんだ。
他の四人には、その経験がない。
だからこそ、五人の旅は重要なのかもしれない。支配と共存の間の、正しい道を見つけるために。
朝になった。
死域の空気は、更に冷え込んでいた。足元の灰が硬くなっている。氷に近い。星脈灯の光は、完全に消えていた。
五人は荷車を引き、再び歩き始めた。
目指すはエスキナ。その深奥部に眠る、星脈の種子。
その道の先に何があるのか。解決があるのか。それとも、さらなる問いだけなのか。
すべては、未知だった。




