第22話「星脈の種子」
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記録の間での時間は、永遠にも思えた。
だが、実際には二時間程度。五人と、ゼノンから託された古代研究資料。それらを片手に、五人は記録を読み、解析し、そして、古代術師たちが遺した最後の謎に直面していた。
「虚相」
レインが、その言葉を繰り返す。
空間と時間への干渉。最も希少で、最も危険な属性。古代でもほぼ存在しなかったという、伝説のような相。
記録によれば、虚相の術師が現れることで、初めて星脈の種子を完全に起動させることができるという。五千年の時間。その間、星脈の枯渇は続き、大陸は衰退した。
「虚相について、古代の記録に何か記されていますか」
アリシアが、丁寧に各所の碑文を調べている。
「虚相は、本来、星脈術の七相の中でも最も根源的な力だとされている」
ノエルが、読み上げる。
「すべての相は、実は虚相の派生形態であり、虚相のみが『本来の星脈の力』に最も近いとされていた。だが、同時に最も制御が難しく、脈路を損傷する危険が最大である」
「人類の歴史で、虚相の術師は何人いたか」
リュカが尋ねる。
「記録では、五人」
マルクスが、静かに答える。
「五人。そして、その全員が、道を途中で失っている。正確には、虚相の力に呑まれた」
虚相の術師。歴史上わずか五人。そして、その全員が、力に呑まれ、破滅した。
それは、虚相という力の本質を示していた。次元を超える力。時間を操作する力。その力は、人間の脈路で完全に制御することはできない。
レインは、その記録を見つめながら、ある違和感を更に強く感じていた。
自分の存在。前世の記憶。時間を超えた存在。
それは、虚相と関連しているのではないか。
あるいは、自分自身が虚相の術師なのではないか。
その考えは、まだ完全ではない。証拠もない。だが、心のどこかで、その可能性は既に形成されていた。
そして、その瞬間、レインは思い出した。あの塔の階段での違和感。前世と現世が重なったあの感覚。そして数ヶ月前の訓練場での風相の異常。時間が二つの流れを進めたかのような現象。すべてが繋がる。ちぐはぐで、断片的だが、確かに繋がる。
虚相への入口。時間を超えた自分の存在。転生という奇跡。
それらが同じ根源を持つのなら。自分は、既にこの力に触れていたのだ。無意識に。制御できぬまま。
「種子について、更に詳しい情報は」
レインが、尋ねる。
アリシアが、最も詳細な石版を指す。
そこに刻まれているのは、種子の仕組みについての技術的な記録だ。
「星脈の種子とは、深奥域の中心に存在する結晶体。七つの相の力を結晶体として凝集させた、古代術師たちの最高傑作」
アリシアが、読解を続ける。
「この結晶体は、星脈を『吸収』『変換』『構築』する通常の三段階を超越している。種子は、直接的に星脈全体を『再生』させる力を持つ」
「再生」
ノエルが、その意味を確認する。
「枯れた星脈を、元の状態へ戻す。新しい星脈を生み出す。あるいは、星脈全体のネットワークを再構築する」
「その通り」
アリシアが、肯定する。
「種子が完全に起動した場合、その影響は大陸全体に及ぶ。星脈が枯れた地域では再生し、濃度の不均衡は解消される。理想的には、全大陸が均等な星脈濃度を持つようになるはずだ」
リュカが、その意味を直感的に理解した。
「つまり、俺たちが今直面している星脈枯渇の問題が、根本から解決される」
「その通りだ」
ノエルが、確認する。
しかし、その解決の方法に、問題がある。
種子を起動させるには、七相すべての力が必要。その中で、虚相だけは現代に存在しない、あるいは非常に希少だ。
「侯爵は、この種子について、どこまで知っているのか」
マルクスが、核心的な質問を投げかけた。
「侯爵は、学院の古代装置を再起動させ、星脈を管理しようとしている」
レインが、回想する。
「だが、種子の存在については、公式な記録には載っていない。ゼノン先生も、その詳細は不明と言っていた」
「つまり」
アリシアが、推測する。
「侯爵は、種子ではなく、学院の装置で、星脈枯渇に対処しようとしている。装置で人為的に星脈の流れを制御し、一元化する」
「そして、その権限を握ることで、国家的権力を掌握する」
レインが、侯爵の真の目的を再度確認する。
侯爵の計画は、世界を救うことではなく、自らの権力を拡大することだ。
種子の存在は、侯爵の知らぬ、別の可能性を秘めている。
「では、種子はどこにあるのか」
リュカが、最も実践的な質問をする。
「深奥域の最奥」
マルクスが、記録から読み上げる。
「エスキナの最深部。人類が到達したことのない、瘴気の最も濃い地域。古代術師たちは、種子をそこに置き、封印した。虚相の術師が現れるまで、誰も近づくことはできないように」
深奥域。未踏の最果ての地。
五人の調査は、そこへ向かうことを意味していた。
可能か。
無理ではないか。
だが、今や他の選択肢はない。侯爵の計画を阻止し、本当の意味で世界の危機に対処するには、種子の確認が不可欠だ。
その夜、五人は記録の間の外で野営した。
懐中光の下、アリシアが地図を広げた。現在の位置。学院。そして、深奥域への推定ルート。
「最短で二週間。その間、食糧と装備の確保が必要です」
アリシアの計画は、現実的で、実行可能な範囲に留めるものだ。
「種子の確認のみ。回収は目指さない。情報を得ることが目的」
レインが、無謀を避けるための明確な制限を設定する。
五人の一人が欠けても、この危機には対応できない。ゆえに、五人全員が無事に帰ることが、最優先条件だ。
「虚相について」
マルクスが、まだ引っかかっていることを言う。
「虚相の術師が、本当に現れるのか。あるいは、現れるべき者がいるのか」
その質問は、レインへの暗黙のメッセージでもあった。
虚相と転生。時間の超越。
レインが虚相の術師である可能性。
「分かりません」
レインが、正直に答える。
「ただ、古代の記録が、虚相の術師の出現を『待つ』と表現しているのは、意味があるかもしれません」
「待つ」
ノエルが、その言葉を反復する。
「受身ではなく、同時に待望。虚相の術師が現れることを、古代術師たちが信じていたということか」
「あるいは、知っていたのかもしれません」
アリシアが、最も可能性の高い推測を述べる。
古代術師たちが、虚相の術師の出現を予言したのか、それとも、そのような者の出現を意図的に仕組んだのか。
その詳細は、今は不明だ。
だが、明確なのは、古代から現在へ受け継がれた問題。それが、今、レインたちの前に立ちはだかっているということだ。
明け方、五人は出発準備を整えた。
深奥域への道は、未知で、危険で、そして誰かはそこで命を落とすかもしれない。
だが、あえてその道を選ぶ。
「五人で行く」
レインが、その決意を再確認する。
その時、ゼノン教授が現れた。飄々とした師匠は、地下の記録の間まで追跡してきたのだ。
「記録を読んだか」
ゼノンの問いに、レインが頷く。
「古代術師たちの計画。星脈の種子。そして、虚相について」
「そして、何か気づいたか」
ゼノンの問いは、より深いレベルのものだった。
レインは、虚相と自分の転生の関連性について考察していたことを伝えるべきか、躊躇った。
だが、そこはゼノンだ。彼の眼差しは、レインのその迷いさえも見透かしている。
「虚相と、転生について。その関連性について、仮説を持っています」
レインが、慎重に言葉を選んで答える。
「虚相は時間と空間への干渉。転生は時間の超越。その点で、何らかの関連があるのではないか。あるいは、自分自身が虚相の術師である可能性について」
ゼノンが、静かに笑った。
「よく気づいた。ただし、その仮説は、危険でもある」
「危険ですか」
レインが、尋ねる。
「虚相の力に呑まれた五人の術師。彼らの共通点は何か、知っているか」
「記録では、道を失ったと」
「そうだ。だが、より正確には、自分が何であるかを失った」
ゼノンが、静かに続ける。
「虚相の力は、人間の根本的なアイデンティティを揺るがす。時間を操作する力を持つとき、人間は『今この瞬間に在る自分』という確実性を失う。過去と未来が、現在と同じくらい真実に思える。そのとき、人間は『今を生きる』ことができなくなる」
その言葉は、レインの心に深く刺さった。
自分は、確かに過去の記憶に支配されている。前世の知識が、現世での判断に影響している。
虚相の術師になることは、その傾向をさらに強化することになるのではないか。
「では、どうすれば」
レインが、つい実用的な質問をしてしまう。
「知ることだ」
ゼノンが、回答する。
「虚相の危険さを知り、その上で選択する。呑まれるのではなく、意識的に虚相の力を使う。それができれば、虚相の術師は完成する」
「意識的に」
レインが、反復する。
「あるいは、虚相の力を使わずに、種子を起動させる方法を見出すか」
ゼノンが、別の可能性も示唆する。
「古代術師たちは、虚相なしに種子を起動させることは不可能だと考えた。だが、それは古代の知識だ。おそらく、何か彼らが見落としていた可能性がある」
五人の中で、アリシアが古代の記録を再度見つめている。
その彼女の表情が、何かを発見したことを示唆していた。
「虚相の力が不足した場合、代替として機能する相があるかもしれません」
アリシアが、静かに言う。
「複合的な術式。複数の相を同時に扱うことで、虚相の一部の機能を代替する」
「複相術師」
ノエルが、その可能性を理解する。
複数の相を同時に扱える術師。古代でも稀だが、存在した。そして、現在。
レインは、既に風相と識相の複合術師だ。
他の四人は、それぞれ個々の相に特化している。
だが、五人が完全に力を統合した場合、どうなるのか。
「その線も、探る価値があるな」
ゼノンが、微かに笑った。
「お前たちは、古代術師たちができなかった『五人の協力』を持っている。古代の最高術師たちは、それぞれが個々に強かったが、五つの相を一つに統合する『チームワーク』を知らなかった」
その言葉は、レインたちに対して、単なるエンカレッジではなく、戦略的な可能性を示唆していた。
古代の失敗。現在の可能性。その差は、『一人で完璧さを目指す』から『五人で不完全さを補い合う』への転換にあるのかもしれない。
朝日が、古代遺跡を照らし始めた。
記録の間に眠る、五千年の歴史。その歴史の先へ、五人の星は動き始めた。
ゼノンは、彼らを見送った。
飄々とした師匠の表情には、確かな確信があった。
「頑張ってくれ。お前たちなら、古代の失敗を乗り越えられるかもしれない」
その言葉は、風に消えた。
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