第19話「学院の異変」
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学院の廊下を歩くリュカの足が、いつもより重かった。
朝の授業を終えた生徒たちが教室から出てくる。例年と違う光景がそこにはあった。実技の練習で星脈を吸収しようとした何人もの生徒が、困惑の表情を浮かべている。
「変だぞ」
ノエルが、リュカの肩に声をかけた。複相術師である彼の感知力は、リュカよりも敏感だ。
「星脈が……薄い。吸い込もうとしても、前みたいに入ってこないんだ」
リュカが、自分の感覚を言語化する。彼は風相の術師であり、吸収精度では学院でも指折りだ。その彼が感じる違和感は、軽視できない。
学院の地下封印区画から漏れ出す瘴気のせいだろうか。それとも、ダリウスの暗躍と関係があるのか。
廊下の向こうで、アリシアが彼ら二人に近づいてくる。彼女の表情は、いつも以上に真摯だった。
「星脈濃度が、降下しています」
アリシアの言葉には、確実な根拠がある。彼女は識相の術師として、星脈の変動を最も敏感に感知する一人だ。
「どれくらい」
ノエルが尋ねる。
「通常比で、約二割程度。五日前との比較では、さらに低下が続いている」
二割。それは偶然では説明できない。学院全体の星脈濃度が、確実に低下しているのだ。
マルクスが、階段の上から降りてくる。彼の光相は、特に微細な変化に敏感だ。彼の顔も、三人と同じ懸念に満ちていた。
「地下で活動があった。昨夜と、その前の晩も」
マルクスが、低い声で告げる。彼はこの五日間、自分の父親であるダリウスを監視し続けていた。
レインが星脈会議に参加するため、学院を離れてからの四日間。ダリウスの行動は、確実に活発化していた。彼は夜間に地下へ降り、何らかの作業を行っている。マルクスが後を追おうとしても、巧妙に監視をかわされていた。
「封印区画か」
ノエルが確認する。
「おそらく。だが、地下のルートは複雑で、完全には追跡できていない。秘密通路があるのか、それとも……」
マルクスが言葉を切った。その向こうにいるのは、レインではない。四人だけで判断を迫られている。
「見に行く」
リュカが、決断した。
その言葉は、宣言というより確信に満ちていた。リュカは、のんきに見える外見とは異なり、実は最も直感的に状況の本質を捉える者だ。
「待つ必要はない。今、確認するべきだ」
ノエルが続く。複相術師として、地下の複雑な層構造も感知できる。
「かな」
アリシアが、短く肯定を返す。彼女のその一言は、全員の決意を固めた。
四人は、地下へ向かう階段に足を向けた。
学院の地下封印区画への入口は、図書館の一角に隠されている。古い錆びた扉の向こう。通常、生徒が入ることは許されない場所だ。だが、今のマルクスたちにとって、許可を求める時間はない。
扉を開く。懐中光を手に、四人は地下に降りていく。
地下第一層は、古い書庫である。大崩壊以前の文献が、眠らせられている。冷たく、湿った空気。星脈の感知も、地上よりも複雑に交錯している。
さらに奥へ。
通常は立ち入り禁止とされている第二層。ここから先の構造は、四人も完全には把握していない。
「こっち」
ノエルが、導く。複相術師としての彼の感知力が、星脈の流れを遡る方向を示している。星脈の集中している箇所へ。つまり、地下の最奥へ。
壁には、古代語の刻文が残されている。レインなら読み解けるであろう文字も、四人にはその詳細は不明だ。だが、その意味は否応なく感じられた。
「警告だ」
マルクスが呟く。
封印区画の入口には、古代術師たちが残した防衛機構が存在する。それは通常は静かに眠っているはずだ。だが今、その機構が不安定に作動している。
古い魔法陣が、かすかに光を放っている。本来なら外部の者の侵入を察知して、激しく反応するはずの防衛術式。それがぼんやりとした光を放つのみ。
「封印が、弱まってる」
リュカが、直感で呟く。
事実、その通りだ。ダリウスが何晩も地下で行っていた作業は、この封印を意図的に弱体化させることだったのだろう。
四人は、慎重に進む。
防衛機構はぼんやりとした反応を示すだけで、直接的な干渉はしない。封印が弱まった結果、機構の制御機能も不十分になっているのだ。
さらに奥へ。
そして、彼らは目の当たりにした。
地下最奥の大空間。そこには、古代の装置が鎮座していた。巨大な結晶体。光を失いながらも、かすかに脈動している。その周囲には、複雑な幾何学模様の魔法陣が刻まれている。
ダリウスが、その近くで何か操作を加えていた痕跡が見える。彼は、この装置に何らかの術式を施そうとしているのだ。
「これが……」
アリシアが、言葉を失った。
巨大な古代装置。学院の最奥に眠る、大崩壊以前の遺産。
マルクスの顔が、複雑に歪む。自分の父親が、この装置を動かそうとしているということ。その意味を、マルクスは理解していた。
学院にいたレインたちとは別の情報が、ここにある。レインは侯爵から「星脈管理の一元化」という計画を聞かされた。だが、その具体的な手段は、この装置だったのだ。
「お前たちは、来てはいけない場所に来た」
声が、背後から聞こえた。
四人が振り返る。
ダリウスが、そこに立っていた。暗い地下で、彼の面立ちは冷徹に見える。その存在感は、空間そのものを支配しているようだ。複相術師としての力が、彼の周囲に淡く滲み出ている。
「父上」
マルクスの声が、震えている。家族の敵。学院に潜む裏切り者。だが同時に、自分の血を分けた親。その複雑な感情が、マルクスの言葉に込められていた。
「マルクス。お前は……何のためにここに」
ダリウスの質問は、実は尋問ではない。むしろ、失望を含んでいた。父親としての期待が砕かれたことへの、静かな悔恨。
「レインに言われた。お前を監視しろと」
マルクスの言葉は正直だ。彼は、この瞬間、自分の父親と正面から向き合っている。隠蔽するか、言い訳するか。そうした選択肢も存在した。だが、マルクスは真実を語ることを選んだ。その選択は、自分の父親への不信と同時に、レインとの絆を示すものでもあった。
「そうか。あの少年は、よく分かっている」
ダリウスが、微かに笑った。その笑みは、冷ややかで、何か決定的なものを含んでいた。
「四人では、俺を止められん。知っているな」
ダリウスは、地下の装置へ手を向ける。
その瞬間、地下が震えた。
装置が、覚醒した。かすかだった脈動が、次第に強くなっていく。そのエネルギーは、地上へと伝わっていく。
学院全体が揺れた。
この時点で、レインはまだ帰還していない。学院長も、ゼノン教授も、レインがいない状態での危機に直面することになった。
四人は、地下で何かが動き始めるのを感じた。
マルクスが、光相を放つ。その光は、地下奥のさらに先へ照らしていく。
「その先に何がある」
ノエルが、鋭く尋ねる。
ダリウスは答えない。だが、マルクスの光が照らし出したもの。
地下最奥の空間の向こう。そこに、何かが目覚めようとしていた。
古い結晶体が、徐々に輝きを増していく。それは装置ではなく、何か別のもの。
封印が弱まった結果、その中に眠っていたものが、目を覚ましかけているのだ。
リュカが、地下から上へ駆け出した。
「学院長に報告する。今、ゼノンに言う」
その判断は正しかった。四人だけで、この危機を対処することはできない。
アリシア、ノエル、マルクスも続く。
地下を離れ、階段を上る。彼らの足音が、廊下に響く。
学院の各所で、生徒たちが異変に気づいている。星脈の揺らぎ。地下から伝わってくる、得体の知れない圧力。
四人は、学院長室へ向かった。
この時点で、誰もが一つの真実に直面していた。
レインの不在は、もう許されない状況になってしまったということを。
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