第18話「密約」
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星脈会議の最終日が近づいていた。
ゼノンはレインに一つの指示を与えた。夜間に、王宮の特定の位置から、侯爵の動きを観察することだ。
「侯爵は公式な場での発言とは別に、各国の代表者たちと密会している。その内容は、会議の正式な記録には含まれない。しかし実際には、それが最も重要な合意なのだ」
「先生、それは正当な調査ですか」
「君の質問は正しい。しかしこの場所では、正当性は権力によって決定される。侯爵はすでに『統一的な管理体制』についての各国の了承を得ようとしている。もし君たちが知らずにそれが成立してしまえば、世界の未来は決定されてしまうのだ」
ゼノンは杖を床に叩いた。
「正当性と必要性が一致しないことがある。今はそのような時だ」
その夜、レインは王宮の回廊を移動した。月明かりを頼りに、侯爵の足跡を追った。王宮の構造は複雑で、多くの廊下が入り組んでいる。その中で迷うことなく進むことができたのは、ゼノンが事前に詳細な地図をレインに与えていたからだ。
侯爵はカルドゥスの鉱山官と会談していた。その部屋の外から、レインはその会話の一部を聞くことができた。厚い木の扉越しであるため、すべては聞き取れないが、最も重要な部分は伝わってくる。
「カルドゥス帝国の鉱山の安定は、ファルネーゼにとっても重要です。統一的な管理の下で、優先的に資源配分を行うことで、より迅速な復興が可能になるでしょう」
「それは理解できる。しかし、他国との配分の不公正さは生じないか」
「公正さは、相対的なものです。統一的な管理者である私が、すべての国家の利益を考慮して配分するのであれば、それは最適な公正さです」
その言葉に、侯爵の本質が表れていた。統一的な管理者としての権力。それは各国の利益を超越した位置から、すべてを判断し、配分する権力。事実上の独裁に等しい。
次にソレイユの代表との会談。
「海洋交易の維持は、ソレイユだけでなく、五大国全体にとって重要です。統一的な星脈管理体制の下で、海の星脈の安定化を優先的に行うことで、交易ルートの完全性を保証できます」
「それは承知しています。ただ、そのような特別な待遇を受けることで、他国からの反発は生じないか」
「統一的な管理者は、公正に配分します。ただし、より重大な課題に対しては、より多くの資源を配分するということです。それは公正です」
ここでも同じ論理だ。『統一的な管理者』による『最適な配分』。そのすべてが侯爵の裁量に委ねられることになる。
レインは緊張しながら、次の部屋へ移動した。
そこはヴェルデの精霊使いとの会談だ。
「森の精霊が警告を送ってくるということですね。それは非常に重要な情報です。統一的な管理体制の下で、精霊たちとの協力体制を強化することで、より効果的な星脈の管理が可能になるでしょう」
「しかし精霊との関係は、各地域で異なります。一元的な管理が機能するか」
「その点については、君たちの知見が不可欠です。ファルネーゼと一体となって、精霊たちとの関係を構築することで、可能になると考えます」
つまり、ヴェルデの影響力はファルネーゼの傘下に組み込まれることになる。精霊との関係も、侯爵の支配下に置かれるのだ。
最後にアリダの将軍。
「死域の拡大は、軍事的な脅威となります。統一的な星脈管理体制の下で、死域の抑制に優先的に資源を投入することで、帝国の領土的完全性を保証できます」
「つまり、我が帝国の軍事的なニーズと、星脈の安定化を同時に達成するということか」
「その通りです。統一的な管理者としての立場から、各国の最も重大な課題に対して、優先的に対応することを保証します」
アリダの将軍も、その提案に納得したようだった。
すべての密会が終わったとき、レインはゼノンに報告した。
「侯爵は各国に対して、異なる約束をしています。カルドゥスには鉱山の復興を、ソレイユには交易ルートの維持を、ヴェルデには精霊との協力を、アリダには領土の保全を」
「そうだ。それが権力掌握の巧妙さだ。各国がそれぞれ、自分たちの課題が優先的に解決されると信じるのだ。それでいながら、すべての決定権は侯爵に集約される」
ゼノンは窓から王都の夜景を眺めた。
「統一的な管理体制によって、星脈の流れが制御されるなら、実際に各地の枯渇を緩和することは可能かもしれない。その意味では、侯爵の提案は正しい」
「では、侯爵に従うべきですか」
「それは簡単ではない」
ゼノンは杖を床に叩いた。
「学院の地下には、古代の装置がある。星脈を操作する可能性を秘めた装置だ。侯爵はそれを手に入れたい。もしそれが機能するなら、彼は本当に星脈を支配することができる」
「それが可能ですか」
「可能性がある。しかし同時に危険性もある。その装置を一人の人間が支配すれば、その人物が滅びれば、システム全体が崩壊する可能性がある」
ゼノンはレインを見つめた。
「君の課題は複雑だ。侯爵の提案は合理的だが、同時に危険性を持っている。即座の救済と長期的な安全性。両方を満たす方法が本当にあるのか」
レインは自分が置かれた状況を理解した。
侯爵の提案が成立すれば、星脈の問題は一時的に解決される。リュカの父親のような漁師たちの苦しみも、緩和されるだろう。その意味では、侯爵の方法論は正しい。
しかし同時に、それは侯爵の絶対的な権力の確立を意味する。その権力が正義のために使われるか、それとも支配と搾取のために使われるか、その保証はない。
そして母親の死。侯爵がそれにどの程度関わっているのか、レインは確認していない。しかし確認すれば、侯爵の支配下にあるファルネーゼという組織と対立することになる。
「正しい答えが存在しないことがある」
ゼノンの言葉だ。
「それでも選ばなければならない。君が今、何を選ぶのか。その選択が、やがて大きな歴史を作っていくのだ」
レインは室内で立ち上がった。窓から見える王都。その中で、複雑な政治的な力が動いている。侯爵の野心。各国の利害。民の苦しみ。
すべてが同時に存在し、相互に作用している。
レインはゼノンから事前に聞いていた話を思い出した。学院の地下の古代装置。それは単なる歴史的な遺物ではなく、星脈を操作する可能性を秘めたものだ。その装置を手に入れることで、侯爵は本当に星脈を支配することができる。そしてダリウスは、その装置を求めて学院の地下深くまで侵入しようとしていた。
すべてが繋がっていた。侯爵の野心。ダリウスの行動。学院地下の秘密。そして母親の死。
その中で、レインは何を選ぶべきか。
侯爵に従うこと。その結果として、世界は統一的に管理される。星脈の枯渇は緩和される。民の苦しみは軽減される。しかし権力は一人に集約される。そして母親の件は、ずっと謎のまま残る。
あるいは、侯爵に対抗すること。しかしその場合、世界の混乱は続く。各国は対立し、民の苦しみも続く。しかし権力の独占は避けられる。そして真実を追求することができる。
どちらが正しいのか。どちらが正義なのか。
レインは思考に沈んだ。前世での経験を思い出す。商社の役員として、多くの決定を下した。その多くは、利益と損失の計算に基づいていた。しかし完全に正しい決定をしたことは、一度もない。常に何かを失い、何かを得た。
ゼノンはレインの迷いを見つめていた。
「答えはない。しかし選ばなければならない」
王都での星脈会議は、最終的にハルヴェス侯爵の提案する『統一的な星脈管理体制』の成立をもって、終結することになるだろう。
各国は合意した。ファルネーゼの学院が中心となり、星脈の管理と復興に当たること。その過程で、各国は必要に応じて資源と人員を提供すること。すべての決定権は、統一的な管理者、つまりハルヴェス侯爵に委ねられること。
表面的には、それは正当で合理的な決定だった。
しかしレインは知っていた。その決定の背後に隠れた野心。その正当性の下に秘められた権力への渇望。
星脈会議は終わった。しかしレインの戦いは、ここから始まるのだ。
学院へ戻る馬車の中で、レインはゼノンに問った。
「先生、本当に正しい答えはないのですか」
「ない」
ゼノンは杖の先で馬車の床を軽く叩いた。
「ただしな。完全に正しくない答えでも、進め続けることで、正しさに近づくことはできるのだ。それを『歩む』と言う。君の人生は、これからそのような歩みになるだろう」
レインは窓から後ろを振り返った。王都はしだいに遠ざかっていく。しかし王都での経験は、レインの心の中に深く刻まれている。
権力の本質。民の苦しみ。正義と合理性の葛藤。
それらすべてを背負いながら、レインは学院へ戻っていく。
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