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第17話「ソレイユの風」


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星脈会議の三日目。レインは迎賓館の庭に立っていた。


王都での日々は目まぐるしく流れていく。昨日も会議があり、今日も会議がある。各国の代表たちが、星脈の危機について議論を続けている。その中で、侯爵の提案はしだいに形を整えていた。『統一的な管理体制』『共同調査プログラム』『星脈術師の派遣制度』。すべてが侯爵の権力を強化する方向で動いている。


そして昨夜、ゼノンはレインに一つの指示を与えた。


「王都の市場に行ってこい。各国の民がどのような状況にあるのか、見てこい」


レインは会議の記録係という名目で、王都の自由度を得ていた。その利を活かし、市場へと足を向けた。


セレスティアの市場は、五大国の商人たちが集まる場所だった。様々な言語が飛び交い、異なる衣装を着た人々が行き来している。ここは権力の中心と同じ王都にありながら、全く異なる世界だ。


カルドゥスの鉱夫が酒を飲んでいた。彼らの顔には疲労と不安が刻まれている。鉱山の産出量が減少したことで、仕事を失った者たちがいるのだろう。


ソレイユの漁師たちも、同様に困窮している。海の星脈が弱まり、漁獲量が減少している。かつては豊かだった彼らの暮らしが、今では危機に直面しているのだ。


レインは静かに観察していた。権力者たちの議論と異なり、ここにあるのは素朴な苦しみだ。数字や計画ではなく、食べ物に困る人間たちの現実。


その時、一人の中年の漁師がレインに話しかけた。


「あんた、学院の弟子か」


「はい。ゼノン教授の補佐をしています」


「そうか。なら聞いてくれ」


その漁師の目には、懇願の光があった。


「海が枯れようとしている。魚は減り、漁獲量は三割まで落ち込んだ。これじゃあ、俺たちは食えない。くら下の者たちもそうだ。王都の偉いさんたちは何をしてるんだ」


レインは返答に詰まった。政治的な言葉で、この漁師の苦しみを説明することはできない。


「対応を検討しているはずです」


「検討? 検討してるうちに、俺たちは飢え死ぬ。今すぐに何かをしてくれないと」


その声は切実だった。権力の渦中では見えない、現実の苦しみがそこにある。


翌日、レインはゼノンに報告した。市場での見聞。漁師たちの苦しみ。彼らの懇願。


ゼノンは静かにそれを聞いていた。


「そうか。それが現実だ」


「先生、侯爵の提案は、その苦しみを解決できるのですか」


「解決できるかもしれない。侯爵が星脈を支配し、その流れを操作できるなら、各地の枯渇を緩和することは可能だ。その意味では、彼の提案は正当性を持つ」


ゼノンは窓から王都を眺めた。


「しかし同時に問題がある。彼がそのような力を手に入れたとき、彼は民のためにそれを使うのか、それとも自分の権力を強化するために使うのか。その保証はない」


その時、騎士が迎賓館に訪れた。


「レイン・アルヴェスさんを探しています」


「何ですか」


「ソレイユの使節団が、あなたに会いたいとのことです。特に、使節団の長が」


レインは戸惑った。なぜソレイユの使節団がレインに会いたいのか。昨日の市場での会話が知られたのか。それとも別の理由か。


レインはゼノンに目で問った。ゼノンは微かに頷いた。その頷きの中に、何かを知っているような意味が込められているように感じられた。


ソレイユの使節団が滞在している館へ向かうと、一人の中年の商人が出迎えた。彼の顔は、今朝市場で見かけた漁師に似ていた。


「初めてお会いします。私はマルティン・ドローヴァル。ソレイユの交易首席です」


「レイン・アルヴェスです。何のご用ですか」


「実は、我が使節団に同行している者の中に、あなたが会った者がいると思われます」


マルティンの背後に、一人の漁師が現れた。市場で話しかけてくれた男だ。しかし今、彼は異なる装いをしていた。ボロボロの衣装から、ソレイユの使節団の一員として相応しい衣装に。


「私はリュカの父です」


レインは息を呑んだ。


リュカ。学院で仲間として過ごしている者。彼の父親が、この王都に来ているとは。


「お世話になってます。リュカから手紙で、いろいろと聞かせてもらいました」


リュカの父、パウル・ドローヴァルは温かい笑顔で言った。


「世話になってますじゃなくて。うちの息子を守ってくれてありがとうございます。あいつは弱い面もある。だからこそ、信頼できる仲間が必要だったんです」


「リュカは強い人です。勇敢で、仲間を守ることを第一に考えています」


「ああ。そうなってくれたのは、あんたたちのおかげだろう。親の責任として、感謝しないといけない」


パウルは肩を落とした。


「ただね、海が枯れようとしてるんです。魚が減って、漁獲量も落ちてる。このままだと、ソレイユの民は食えなくなっちゃう」


「それは、会議でも議論されています」


「議論?」


パウルの目が曇った。


「議論してるうちに、飢え死ぬ奴らが出るんだ。王都の偉いさんたちは分からないのかな。数字じゃなくて、人間の命の問題なんだ」


マルティンが静かに話を継いだ。


「ソレイユとしても、現在の状況は深刻です。ハルヴェス侯爵の提案する『統一的な管理体制』については、一定の理解をしています。ただ、その過程で民の苦しみが無視されることのないよう、懸念しています」


「侯爵の提案は、確かに合理的です。しかし」


「しかし、実施に時間がかかる。その間、私たちは苦しみ続けるのです」


パウルが言った。


「あんたの先生、ゼノン教授は、この危機をどう考えてるんですか」


レインは思い出した。ゼノンの言葉。『権力は常に、悪いことを良いこととして実行する』。そして『その言葉が真実を含んでいるのか、完全な欺瞞なのかを見分けることが重要だ』と。


「先生は、複数の視点から問題を考えるべきだと言っています。即座の救済と、長期的な解決。両方が必要だと」


「それですね」


パウルは頷いた。


「俺たちは海の民だ。今すぐに食う物が必要だ。同時に、来年、その次の年も食える保証も必要だ。その両方を満たす方法がないのか、それを考えてほしい」


マルティンが付け加えた。


「もし可能であれば、ゼノン教授にお会いしたいのです。ソレイユとしての懸念を直接お伝えしたいのです」


レインはゼノンに報告した。ソレイユの使節団の懸念。そしてリュカの父親の訴え。


ゼノンは黙ってそれを聞いていたが、やがて言った。


「会おう。ただし、これは慎重に進める必要がある。侯爵に知られれば、ソレイユの立場は危うくなる」


ゼノンはレインを見つめた。


「君は気づき始めている。権力者の言葉の裏にある真実を。今、その感覚を磨く必要があるのだ」


その夜、レインは睡眠を取ることができなかった。リュカの父親の言葉が心に残っていた。『俺たちは海の民だ。今すぐに食う物が必要だ』。その切実さ。その絶望。


学院では、星脈の問題は学術的な課題だった。しかし王都では、それは人々の命に直結する問題だった。権力者たちの議論の中で、その現実が見落とされているのではないか。


レインは自分の役割を考えた。学術助手という名目。ゼノンの補佐。記録係。しかし実際には、ゼノンはレインを何か別のものとして位置づけているようにも思える。


王都での日々は、表面的には星脈会議という公式な場で進んでいた。しかし同時に、その陰で、複雑な思惑と現実の苦しみが絡み合っていた。


侯爵の野心。各国の利害。民の苦しみ。すべてが同時に存在し、相互に作用している。


星脈の問題は、数字ではなく人の顔を持っていた。


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