第16話「侯爵の目」
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会議の翌日、昼間の非公式な懇談会がセレスティア王宮の庭園で開催された。
各国の使節たちが、より個人的な雰囲気で会話を交わす場だ。公開の場での緊張感は和らげられ、素の関係が少しずつ構築される。あるいは、そう見せかけるための舞台装置なのか。
レインはゼノンに従い、庭園の周囲を歩んでいた。ゼノンが各国の学術顧問たちと言葉を交わし、その間レインは傍らで記録を取る。
春の庭園は美しい。白い石壁に囲まれ、その中に様々な色の花々が咲いている。泉が中央にあり、その音が心を落ち着かせる。権力と政治の中心にありながら、この空間は別世界のような静寂を保っている。
カルドゥスの学術顧問がゼノンに話しかけた。
「昨日のご発表は印象的でした。央域の結節点の低下という仮説は、我が帝国の鉱山技官たちにも大きな関心を生じさせています」
「ありがとうございます。ただし、まだ仮説の段階ですので」
ゼノンは慎重に返答した。
「しかし重要なのは、各国が共通の問題を認識することだと思います。その上で、解決のための協力体制が作られるべきです」
その言葉は一見すると同意のようだが、実際には異議の表明だ。『各国の協力』と『統一的な管理』の違い。前者は対等な関係を保つことを意味し、後者は誰かの支配を意味する。
そしてその時、ハルヴェス侯爵がレインに近づいた。
ゼノンはカルドゥスの顧問との会話を続けており、当分は戻らないだろう。レインは単独で侯爵と対面することになった。
「アルヴェスの次男ですか。レインでしたね」
侯爵の笑顔は相変わらず温かかった。しかしその目は、レインを品定めするような冷たさを持っていた。権力者の視線。自分より下位にいる者を評価する視線。
「ご記憶ありがとうございます。ハルヴェス侯爵」
「君は学院では何を学んでいるのですか」
「星脈術の研究と、ゼノン先生の補佐を主に行っています」
「ゼノン先生は多くの賞賛を集める人物ですね。君も彼の薫陶を受けているのですか」
「はい。彼は最高の師です」
侯爵は微かに眉をひそめた。わずかな時間だが、レインはそれを見逃さなかった。侯爵がゼノンへの言及に、不快感を示した。ゼノンはファルネーゼの支配下にない独立した存在。侯爵にとって、そのような者の元で学ぶことは好ましくないのだろう。
侯爵は泉の淵に腰掛け、レインもそれに従った。周囲には他の使節たちがいるが、二人の距離は十分に離れている。外見上は、高位の貴族が若い術師に好意的に話しかけているように見えるだろう。しかしレインは、その距離の中に危機を感じていた。
泉の水が清らかに流れている。水面には花びらが浮かんでいる。平和な景色。しかしその下には、深い闇が隠れているのではないか。
「母親に似ているな」
侯爵が再び母親の話題を出した。
「エレナは優秀な術師でした。その才能と誠実さで、多くの者から信頼を集めていた。彼女のような人物は、時代の中でも稀有だ」
「ありがとうございます。母のことをそう評価していただけるのは」
「しかし彼女は、結局のところ、世界の流れに抗うことができなかった。その結果が、彼女の死だ」
血が凍った。
レインの息が止まった。その瞬間、すべてが静寂に包まれた。世界の流れに抗うことができなかった。母親の死。その背景にある力。
侯爵はその反応を見つめていた。何か満足げな表情で。
しかしレインは、前世の経験を呼び起こした。商社の役員として、多くの交渉の場で培われた感情制御。相手の言葉に動揺せず、その言葉の意図を読み、冷静に対応する。
レインは深く息を吸った。
「母の死について、詳しく知りたいです」
「それは君の父親に聞くべきだろう。私が口を出すべき事柄ではありません」
侯爵は立ち上がった。そして微かに笑った。
「しかし君に一つ忠告をしたい。世界の流れに逆らうことは、本当に危険なのです。多くの者が、その結果として滅びていく。君は、そのような道を歩むべきではない」
その言葉は脅迫のようでもあり、忠告のようでもあった。しかしレインには分かっていた。これは支配欲の表現だ。侯爵がレインを自分の傘下に置きたいという欲望。そして、それに従わなければどうなるか、という暗黙の脅威。
侯爵は去っていき、レインは一人庭園に残された。
しばらくして、ゼノンが戻ってきた。彼はすぐにレインの様子に気づき、顔を近づけた。
「何があった」
「侯爵が母親のことについて話しかけてきました。そして、『世界の流れに逆らうことは危険だ』と忠告されました」
ゼノンの表情が硬くなった。
「よく耐えた。あの男は優しい言葉で人を縛る。その言葉の中に毒を忍ばせ、気づかないうちに従属させていく。最も危険なタイプだ」
ゼノンはレインの肩を掴んだ。
「君の母親を知っているか」
「はい。ですが詳しくは」
「エレナはファルネーゼの星脈術師の中でも最高峰だった。彼女は何か重要な秘密に気づいていた。それが侯爵の利益に反するものだったのだ。結果として、彼女は排除された」
ゼノンは静かに話を続けた。
「侯爵の母親に似ているという発言は、優しさの仮面をかぶった脅迫だ。『君も同じ道を歩むのか』という意味だ」
レインの心に怒りが湧き上がった。しかし同時に、冷たい理性も働いていた。
「では、何をすればいいのですか」
「従わないことだ。しかし同時に、彼に勝てる力を持つことだ。力がなければ、抵抗はただの自殺に過ぎない」
ゼノンは杖で地面を叩いた。
「君は今、本当の意味での戦いの中に踏み込んだ。これは学院での安全な環境ではない。ここは権力と利害が渦巻く場所だ。君がここで生き残るには、並外れた才能と強い意志が必要だ」
レインは頷いた。
「やります。何をすればいいかは分かりませんが、やります」
「その言葉で十分だ。ただし一つ、忘れてはいけないことがある」
ゼノンは杖で泉の淵を叩いた。
「侯爵の提案が、実は正しい可能性があるということだ。星脈の枯渇は現実だ。それに対して統一的な対応が必要であるなら、侯爵の方法論は合理的だ。しかし問題は、その合理性と正義が一致していないという点だ」
「どういう意味ですか」
「侯爵は、世界を救うために星脈を支配しようとしているかもしれない。その場合、彼の行動は正当化される。しかし同時に、彼は権力を求めているのだ。両者が同時に成立することができるのか、その見分けが君の課題だ」
ゼノンは再び庭園へ視線を向けた。
「君が侯爵と対抗するには、単なる力では足りない。君は、彼よりも優れた思考と判断力を持つ必要がある。そして何より、彼を超える目的を持つ必要があるのだ」
レインはその言葉を心に刻み込んだ。
ゼノンと共に、レインは再び庭園を歩んだ。しかし周囲の景色は、もはや美しく見えなかった。権力者たちの笑顔の下に隠れた悪意。表面的な親切さの下に潜む支配欲。
レインは何度も深呼吸した。感情を抑制し、理性を取り戻す。前世での経験を思い出す。多くの交渉の場で、相手の脅迫に対して冷静に対応した自分。その冷静さが必要だ。
「先生、侯爵が星脈管理の一元化を進めるのは、何のためですか」
「権力の掌握だ。星脈を支配する者は、この世界全体を支配できる。各国は星脈に依存している。もし侯爵が星脈の流れを操作できれば、彼は五大国すべてを従わせることができる」
「それは……可能なのですか」
「学院の地下には、古代の装置がある。もしそれが機能するなら、星脈の流れを操作することは可能かもしれない」
ゼノンは静かに答えた。
「ダリウスが地下区画に執着する理由は、そこにあるのだ。侯爵はその装置を手に入れたいのである」
レインは一歩ずつ、力強く歩んだ。庭園の白い石の道。その上で、自分の運命が変わろうとしている。
侯爵の笑みは、母を殺した男の笑みだった。
その男に対抗する力。それが必要だ。
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