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第11話「母の丘」


---


夜が深まった時、レインは学院の高い塔へ登った。


そこから見える景色は、昼間とは異なり、月光に浸された一種の別世界だ。星々が瞬き、その光が地上に落ちている。


エレナが死んでから、一年半が経過していた。


時間は確かに傷を癒していた。その痛みは、もはやかつてのような鋭さを持たない。だが、それでも存在している。悲しみという感情は、ただ消えるのではなく、形を変えて心の中に溶け込んでいくものなのだ。


レインは、星々を眺めながら、前世の記憶を思い出していた。


あの人生での、自分の息子。その子が幼い時代、自分はどれほど彼に関わったのか。


ほとんどなかった。


仕事が忙しかった。出世のためには、家庭よりも会社を優先する必要があった。そう思い込んでいた。そして、その選択は、妻との関係も壊してしまった。


離婚の時、息子は母を選んだ。当然だ。彼にとって、自分は、ほぼ存在しない者に等しかったのだから。


その人生の終わり。四十七歳で、一人で死ぬことになった。家族もなく、深い人間関係もなく。


そして、この人生。


転生して、エレナという母親を得た。彼女は、完全に異なる人物だった。仕事のためにではなく、純粋に息子を愛する人間。その愛は、非常に素朴で、同時に深いものだった。


彼女を失った時、初めて自分が本当に何かを失ったことを理解した。


前世では、失うべき何かがなかったのだ。


「母さん」


星に向かって、レインはそう呼びかけた。


「俺は、前の人生で、たくさんの人を傷つけた。仕事の競争相手たち、部下たち、そして何より、家族を。そのすべてのために、寂しく死ぬことになった」


月光の下で、自分の言葉が虚空に消えていく。


「ここでは違った。お前と、こんなに多くの時間を過ごすことができた。その時間がなかったら、俺はどうなっていたのか」


その問いに対する答えは、自分でも知っている。


同じ道を歩んでいたはずだ。力への執着。成功への渇望。そして、その果ての孤独。


だが、この世界での自分は、異なる選択をしてきた。


五人の仲間。その関係を大事にしようとする姿勢。そして、母の死を通じて得た、人間関係の真の価値。


「ハルヴェス侯爵」


レインは、別の名を呼んだ。


「あの人も、前世の俺と同じなんだ。成功に取り憑かれた人間。力を求める者。その執着が、彼を駆動させている」


ハルヴェス侯爵への感情は、複雑だ。


彼はエレナを殺した。その事実は、決して許されるべきものではない。だが、レインは彼を完全に憎むことができない。


なぜなら、彼は、前世の自分の鏡像だからだ。


もし、この人生での選択が異なっていたら。もし、五人と出会わず、力への渇望に駆動されていたら。僕も、あのような人間になっていたかもしれない。


その可能性は、完全には否定できない。


「だから、俺は侯爵を憎みきれない」


塔の上で、レインは呟いた。


「同時に、許すこともできない。ただ、その先にある選択肢を、示そうとするだけだ」


星々が瞬き続けている。その光は、遠い過去からやってきたものだ。もう消えた星からの光も、その中に含まれている。


つまり、レインが見ている現在は、実は過去の幻影に過ぎないのだ。


それでも、その光は美しい。失われたものの光は、特に。


「これからも、母さんのために。そして、俺自身のために、進み続けるしかない」


レインは、塔を降りた。


---


翌日、ゼノン教授の研究室で、レインたちは星脈枯渇の原因についての研究を続けていた。


教授の机には、複数の古文献が積み上げられていた。


「ふむ。この古代史記録に、興味深い記述がある」


教授がレインに示したのは、非常に古い文献だった。


「古代文明が最終段階に入った時、複数の記録に『星脈の声が遠くなった』という表現が現れている」


「星脈の声?」


レインが問うと、教授が説明する。


「古代の術師たちは、星脈を『生きた存在』として認識していたらしい。その『声』を聞いながら、術式を構築していたという記述だ」


それは、現代の魔法理論にはない概念だった。


「その『声』が遠くなったというのは」


「つまり、古代文明と星脈との繋がりが弱くなった、ということかもしれない」


教授の推測は、非常に示唆的だ。


「古代人たちが星脈を過度に消費したのではなく、むしろ星脈そのものが、人間界から距離を置き始めたのではないか、という可能性だ」


それは、枯渇という概念とは異なるものだった。


消費ではなく、分離。星脈がこの世界から遠ざかっているのではなく、むしろ、この世界と星脈の繋がりが弱まっているということなのだろうか。


「その場合、対策は」


「未知だ」


教授が簡潔に答えた。


「古代文明も、その分離に対抗することはできなかった。だからこそ、滅びたのだ」


重い結論だった。


「では、レインたちはどうすればいいのか」


レインが問うと、教授は深く考えた。


「あるいは、その分離を逆転させることができるかもしれない」


「逆転?」


「つまり、星脈と人間の繋がりを、再び強める。古代文明よりも深いレベルで」


それは、今までに考えたことのない解決策だ。


「ですが、それはどのようにして実現するのか」


「それが、君たちが見つけるべき答えなのではないかな」


教授が微笑んだ。


その夜、レインたちは学院の食堂で、教授の言葉について議論していた。


「つまり、星脈と人間の繋がりを強める。そういうわけだな」


リュカが呟く。


「ですが、その方法が不明です」


マルクスが指摘する。


「古代文明でさえ、それを実現できなかった」


「だからこそ」


アリシアが声を上げた。


「古代文明とは異なるアプローチが必要なのです。古代人たちがしたことではなく、新しい方法」


ノエルが拳を握った。


「つまり、俺たちが新しい道を切り開く必要があるってわけか」


それは、確かにそうなのだろう。


ハルヴェス侯爵への対抗も重要だが、同時に、より大きな課題が、五人の肩にかかっていた。


星脈と人間の繋がりを再び深める。その方法を見つけ、実現する。


その挑戦は、まだ形も見えないものだ。だが、それが存在することだけは、確かだ。


---


その夜、レインは再び塔の上にいた。


星々を眺めながら、母のことを思い出す。


彼女は、そのような大きな課題が存在することすら知らずに、この世を去った。


だが、その死がなければ、自分はこの課題に気づくことすらなかったかもしれない。


人生とは、そのようなものなのだろう。


失うことによって、初めて何かを得る。悲しみによって、初めて真実が見える。


「母さん。俺たちが、この世界を救ってみせる。お前の死を無駄にしないために」


塔から、レインの声が消える。


---


その後、レインは静かに寮へ戻った。


階段を上りながら、複雑な心情を整理していた。


この人生での僕は、前世の自分とは異なる選択をしてきた。そして、その選択の結果として、非常に異なる人生経験を得ることができた。


だが、その異なりが、新しい課題をも生み出してしまった。


星脈枯渇。その現実。そして、それに対する対策の責任。


それらは、誰かに与えられた責任ではなく、レインたちが選びとった道の先にある必然だ。


寮の部屋に入ると、机の上に手紙が置かれていた。


父上からの便りだ。


差出人は、アルヴェス家の当主・レイの父親、レオン・アルヴェスである。その手紙には、定期的な学院での様子をうかがうという形式が取られていた。


レインは、その手紙を開いた。


『レイへ。学院での生活は順調のようだな。その話を聞いて、母さんも喜んでいるはずだ。いつかは、お前も家門を継ぐことになるだろう。だが、今はまず、学院で学ぶべきことをしっかり学べ。』


父親の言葉は、いつも同じ形式だ。それでも、その中には、確かな親としての愛情が感じられる。


前世での自分にはなかった、そのような愛情。


この世界でのレインは、その愛情を受け取ることができた。そして、母親の愛情も。


その経験は、レインをより強い人間にしてくれている。


だが、同時により複雑な人間にもしている。


力を求めることは悪いことではない。成功を目指すことも、誰もが持つ欲望だ。だが、その欲望が人の本質を変えてしまう時、それはもはや人間の欲望ではなく、欲望に支配された人間となる。


ハルヴェス侯爵は、その支配を受けている。だが、彼を完全に非難することはできない。なぜなら、レイン自身もまた、その支配に抗いながら生きているのだから。


機会さえあれば、力への渇望は再び頭をもたげるかもしれない。その可能性から完全に自由になることは、おそらく不可能だ。


だからこそ、意識的に抗う必要がある。


その抗い続ける限り、レインは自分でいられるのだろう。


手紙に返信を書き始めた。


『父上へ。学院での生活は、充実しています。優れた講師たちと、素晴らしい仲間たちに恵まれています。彼らとの時間を通じて、自分が本当に大事にすべきものが何なのか、ようやく理解し始めています。』


その言葉は、本当だ。


学院での経験、五人との出会い、そしてエレナの死。それらすべてが、自分を形成してきた。


『いつか必ず、家門のためになることができるよう、ここで全力で学びます。』


それも本当だ。ただし、「家門のため」という言葉の意味は、父上が想像しているものとは異なるかもしれない。


手紙を完成させて、封をした。


明日、これを学院の使者に託して、家に送ってもらおう。


その時、ノックの音がした。


ドアを開くと、マルクスが立っていた。


「すみません。少し話があるのですが」


「いい。入ってくれ」


マルクスが部屋に入る。


彼の顔色は、少し疲れているように見えた。


「父上からの手紙に返信を書いていました」


彼が静かに言う。


「返信の中に、改めて父上に対する情報を少し含めました」


「情報を?」


「はい。古代装置について、父上が何を考えているのか。その意図をより明確にするための質問です」


マルクスは、父親を試そうとしているのだ。


「父上の返答で、彼の次の動きがわかるかもしれません」


それは、危険な賭けだ。だが、必要な賭けでもあった。


「わかった。その返答が来たら、すぐに僕たちに知らせてくれ」


「承知しました」


マルクスが礼をして、部屋を出ていく。


その背中を見送りながら、レインは思った。


彼は、本当に父親と向き合おうとしている。その苦しさの中で、自分自身を確立しようとしている。


その努力は、必ずや報われるはずだ。


窓から外を眺めると、夜明けが近づいていた。


新しい日が始まろうとしている。


星脈枯渇という課題。ハルヴェス侯爵という敵。そして、五人で力を合わせることの意味。


すべてが、複雑に絡み合っている。


だが、それでいい。複雑だからこそ、人生には意味がある。


明日も、訓練がある。


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