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第8話「闇の使者」


---


「新任講師の赴任通知が来た」


ゼノン教授は、朝の授業が終わった後で、五人に告げた。学院の広場で、五人で星脈術の実習をしていた時のことだ。


「ダリウス・クレイン。政治学の補佐講師として、本日より赴任される。年齢は三十代半ば。貴族出身で、爵位は男爵」


教授の口調は淡々としていたが、どこか警告じみた響きがあった。


レインの注意はすぐに、マルクスに向かった。


彼の顔色が変わっていたのだ。


血の気が引いたというわけではない。むしろ、何かが一瞬、彼の瞳の奥で光ったように見えた。即座に制御されたその光は、何かを認識したことの証だった。


「マルクス」


レインが彼の名を呼ぶと、マルクスは力なく頭を振った。


「後で、五人きりで話があります」


その声は、いつもの丁寧さを失っていた。代わりに、何かの緊張が込められていた。


訓練を切り上げた後、レインたちは学院の隠れた場所——古い樹の根元で形成された小さな空間——に集まった。外部からは見えにくく、星脈術の小さな干渉があれば、外部からの感知も阻害できる場所だ。


アリシアがすぐに感知を開始した。周囲の五歩以内に人がいないかを確認するための作業だ。


「安全です」


彼女の確認を受けて、マルクスが口を開いた。


「ダリウス・クレインは、父上の側近です」


その一言は、静寂を連れてきた。


「側近?」


リュカが問う。


「つまり、侯爵の……」


「はい。あの男は、父上の諜報と工作の中心を担う人物です」


マルクスの声は抑制されていたが、その中に激情が潜んでいるのが感知できた。


「母上の死の際の、諸々の工作。背後にいるのが父上だと僕が確信できたのは、主にあの男の手口の痕跡があったからです。彼は非常に慎重で、非常に冷徹です」


ノエルが身を乗り出した。


「つまり、あいつは親父の駒か。ここまで送り込まれた」


「おそらく」


マルクスが頷く。


「古代装置に関する情報。あるいは、それへのアクセス。父上はそれらの奪取を諦めてはいないと思われます」


古代装置。その言葉が、レインの中に緊張を走らせた。


以前、五人で停止させたあの装置。その存在を知るものは、限定的だった。学院の最高首脳部、そして五人だけのはずだ。


「古代装置への接触経路を再確保する。その名目が『政治学補佐講師』であり『調査』なのだと思われます」


マルクスが続ける。


「彼は、このような『名目』の中に身を隠すのが上手です。表向きは正当な権限で、実質は諜報と工作。あの手法は、父上が好む方式です」


レインは、ゼノン教授のことを思い出した。


教授は、ダリウスの名を告げる時に、何かの警告を込めていたのだろう。年齢や出身などの情報は、本当の警告ではなく、むしろ五人に考えさせるための材料だったのかもしれない。


「レイン」


アリシアがレインの名を呼んだ。


「どうしますか。ダリウスの行動を監視しますか。それとも、直接的に阻止しますか」


「監視だ」


レインはすぐに答えた。


「今ここで彼を排除しようとしても、正式な講師権限がある以上、完全には対抗できません。ゼノン教授でさえ、それは難しいでしょう。だから、彼の動きを監視し、古代装置に接近しようとする時点で、その行動を制止する。その方が確実です」


リュカが賛成する。


「そっちの方が、簡単だしな」


「それでは」


マルクスが話を続けた。


「レインからも一つ、重要な情報があります」


彼は一呼吸置いた。その間に、覚悟が顔に浮かぶのが見える。


「父上は、お母さんの死で、貴族院の信頼を失うかもしれないと思っていました。だから、対抗馬として私を利用したのです。『父上は息子の教育に力を入れている』という名目を作り、貴族社会の中での立場を保とうと試みた」


彼の言葉に、ノエルとリュカが注視する。


「ですから——」


マルクスの瞳が、直接的に僕を見た。


「父上は、おそらく僕をまだ利用できる駒だと思っています。諦めてはいないということです。ダリウスがここに来たのも、その布石なのかもしれません。僕を懐柔するための」


リュカが舌を打った。


「最低だな。自分の息子を」


「そういうことなのです」


マルクスの声が、さらに低くなった。


「だから、これからの行動について、五人は完全に情報を共有する必要があります。隠し事があれば、ダリウスの目に付き、父上に報告されます。その時は、この連携も崩れます」


アリシアが頷いた。


「つまり、あなたの父親の存在が、この五人の弱点になる可能性があるということですね。だからこそ、完全な透明性が必要だと」


「はい」


マルクスが確認する。


「なので、これからは、どんなことでも構いません。私に関わる父上の行動、あるいは推測。そのすべてについて、五人で共有します。秘密は持たない」


ノエルが重く頷いた。


「わかった。なら、お前が親父の息子だってことはもう関係ねえ。お前は俺たちの仲間だ」


その言葉に、マルクスの表情が少しだけ柔らぐ。


「ありがとうございます。ノエル」


レインたちは、古い樹の根元の空間から出た。


その途中で、レインは後ろから歩くマルクスの背中を見つめていた。


彼は、親友が父を持つ悪人だったという事実と、毎日向き合わなければならない。その苦しみは、言葉では説明できないものに違いない。


だが、彼はそれと向き合っている。


その姿勢が、本当の強さなのだろう。


帰路、アリシアがレインに近づいた。


「ダリウスへの対策について、案があります」


「聞きます」


「識相での感知範囲を拡張して、彼の動きを常時監視する。彼が古代装置の封印に接近しようとする瞬間に、すぐに察知することが可能です」


それは、アリシアにとって相当な負荷になるだろう。識相の常時展開は、集中力を大きく消耗する。


「それは大変では」


「問題ありません」


彼女は淡々と返答した。


「これは、五人の安全のための行動です。その程度の負荷は、当然の代価だと思っています」


アリシアらしい返答だ。彼女は、感情よりも論理を優先する傾向がある。だが、その論理の根底にあるのは、確かな仲間意識だ。


学院の塔が見えてきた。その中に、新たな脅威が加わった。


だが、同時に、五人の結束も深まった。


新しい局面へ向けて、レインたちは動き始める。


その時が来るまで、レインたちは準備を整える必要がある。


---


夜中、レインは学院の図書館にいた。


新しく赴任した講師に関する情報を探していたのだ。


政治学補佐講師という名目で赴任する男。貴族出身で、爵位は男爵。それ以上の情報は、学院の公式記録にはなかった。


だが、特定の貴族家の側近であるなら、何かしらの手がかりはあるはずだ。


古い貴族の記録。それに目を通していくと、ダリウスの名が現れた。


『男爵爵位を得たるダリウス・クレイン、ハルヴェス侯爵家の顧問として記録される』


五年前の記事だ。その後の記事をさらに探すと、彼の活動の痕跡が消えている。


つまり、表立った活動はしていない。それが、側近としての本質なのだろう。


レインは図書館を離れた。


月が高い位置にあった。その光が、学院全体を照らしている。その中に、新しい陰がやってきた。


この光の中で、五人は何をするのか。


それは、これからの選択にかかっている。


翌日、新しい講師は学院に現れた。


イレーネ教官の説明によれば、彼は政治学の補佐講師として、高学年の選抜生に講義をする予定だという。表向きは、貴族出身の彼だからこそ、実際の政治的な動向を授業に反映させることができるというのが、その名目だった。


レインは、講義を見に行った。表向きの理由は「政治学への興味」である。


講堂の後ろに立ち、ダリウスを観察する。


彼は確かに優秀な講師だった。生徒たちを引き込むような語り口で、貴族社会の現状と課題について、実践的に説いている。その説明は明晰で、聞き手を圧倒するほどの説得力がある。


だが、レインは彼の目を見ていた。


講義をしている時でさえ、彼の視線は常に講堂全体を観察している。誰がどの位置にいるのか。どの生徒が高い関心を示しているのか。そうした情報を、彼は自然に収集している。


それは、講師というより、情報収集者の目だ。


講義が終わった後、彼は学院の主要な施設を見学するという名目で、学院内を巡回した。その過程で、彼は確実に、古代装置が封印されている地下への経路を確認しようとしていた。


アリシアの識相が、その動きを捉えていたはずだ。


放課後、五人で再び集まった。


「確認しました」


アリシアが淡々と報告する。


「ダリウスは、講義終了後、学院の地下施設へのアクセス経路を探っていました。特に、古代装置の封印区画付近の構造図を、図書館で確認していました」


マルクスが眉をひそめた。


「やはり。父上は動いています」


「でも、図書館の構造図は、どこにでも置いてあるし、『調査』の名目なら見ても不自然じゃん」


リュカが指摘する。彼の言葉は正しい。ダリウスの行動は、表面的には全く問題がない。


「だからこそ、危険なのです」


マルクスが続ける。


「父上の側近の仕事というのは、その性質上、完全に正当な行動の中に潜んでいます。違法な接近ではなく、合法的な範囲内での接触と確認。その積み重ねが、最終的には意図の達成に繋がるのです」


ノエルが拳を握った。


「つまり、あいつは『正しい動き』で、学院を乗っ取ろうとしてるわけか」


「その可能性は高いです」


レインは、戦略を考えていた。


ダリウスの動きを止めるには、彼に「調査を続ける価値がない」と判断させるか、あるいは「調査を続けられない状況」を作るか。


いずれにせよ、現段階では直接的な対抗は避けるべきだ。それは、五人の存在そのものを、ハルヴェス侯爵に教えることになる。


「アリシア。ダリウスの行動監視を継続してください。彼がいつ、どこで、何を確認しようとしているのか。その全てを記録してください」


「了解しました」


「リュカ、ノエル。学院の日常の中で、ダリウスに関する情報を集めてください。他の生徒たちは、彼をどう思っているのか。講義の評判はどうなのか。そうした情報です」


二人が頷く。


「マルクス。お前は、父上からの連絡を待ってください。もし何かしらの指示が来たら、それを僕たちに報告してください」


「承知しました」


マルクスの表情に、葛藤が浮かぶ。


彼は、父親からの指示を待つことで、父親がどれほどダリウスを信頼しているのか、あるいはどれほどの意図を持っているのかを、知ることになるだろう。


それは、彼にとって辛い行為に違いない。だが、必要な行為でもある。


「では、作戦はここまでです。各自、自分たちの役割を果たしてください」


五人は散った。


その夜、レインは再び星を眺めていた。


この新しい講師の赴任によって、学院は新しい局面に入った。


表向きは平和な学院生活。だが、その底流では、複数の勢力が動いている。ハルヴェス侯爵の側近。学院の最高首脳部。そして、五人。


その三者が、いつ、どこで衝突するのか。


それは、まだわからない。


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