第4話「マルクスの過去」
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放課後、図書室に戻った際、レインはマルクスと一緒だった。
五人で利用する自習室ではなく、学院の図書室。そこは、一般向けの書架に囲まれた、静かな場所だ。
マルクスは、古い本を手に取り、その表紙をじっと見つめていた。何か特定の著作を探しているわけではなく、ただ、本の側に静かにいたいのだろう。
レインは、彼を誘った。
「マルクス。外に出ませんか。星脈感知の修行をしましょう」
マルクスは、本を棚に戻し、レインに従った。
学院の庭園の奥、他の生徒たちが来ない場所。そこで、二人は並んで膝をついた。
星脈感知の訓練は、基本的には一人で行うものだ。だが、二人で行うこともできる。互いに感知した星脈の流れを確認し合い、その差異を修正していく。そうすることで、より精密な感知能力が磨かれるのだ。
「では、同時に感知してください」
レインが呼びかけた。
二人は、眼を閉じた。
地中の星脈。その流れを感じ取る。吸収の段階。術師の体を通じて、周囲のすべてが共鳴する。
数分後、二人は眼を開いた。
「北西の方向、深さ三腕下で、濃い脈流が感じられますね」
レインが、自分の感知を述べた。
「ああ。同じ場所を感じた。だが、その流れの方向性について、お前と俺の読みが、わずかに異なる」
マルクスが、光相術師としての正確な分析を述べる。
二人は、その差異について、詳しく話し合った。何が観測の誤差であり、何が実際の星脈の複雑性に起因しているのか。その判別には、経験と論理の両方が必要だ。
そうしたやり取りの中で、やがてマルクスが話し始めた。
「俺は、こうして友人たちと修行をしたことがない」
突然の告白であった。
「そうですね。侯爵家では、訓練は個別に受けるのでしょう」
レインが、穏やかに返す。
「ああ。個別に。完璧に。父は、俺に何度も言った。『ヴァレンス侯爵家の嫡男は、他者を上回る力を持たねばならない』と。そのため、最高の教育を与えた。最高の師を雇った。だが、決して友人たちとの修行は許さなかった」
マルクスの声は、静かだが、その底に何かの痛みを抱えていた。
「なぜですか」
「『友人との修行は、弱まる』という考えからだ。他者と比較することで、甘えが生まれる。完璧であるべき嫡男には、そうした甘えは許されない。常に一位であること。常に最強であること。その圧力の下で、俺は育った」
マルクスは、地面に手をつき、その土の感覚を確かめている。
「だから、学院に入学した当初、俺は四人のことを『ライバル』としか見ることができなかった。すべてを『競争』の場として捉えていた。自分が勝たなければならないと、常に思っていた」
「では、何が変わったのですか」
レインが問う。
マルクスは、一呼吸置いた。
「夏だ。父が、俺に学院を辞めろと命じた。その時初めて、俺は拒否した」
マルクスの瞳に、一瞬、光が宿った。
「『父上。僕は、ここにいたいです。四人とともに』と」
その言葉を発するまで、マルクスはどれほどの葛藤を抱えていたのか。侯爵家の嫡男としての訓練、親への絶対的従順という刷り込み。それらの全てに背くことの恐怖。
「父は、何と答えましたか」
「沈黙だ。何も言わなかった。ただ、俺を見つめていた。その眼には、怒りがあったのか失望があったのか、今も判明しない」
マルクスは、空を見上げた。
「だが、その沈黙の後、父は何も言わなかった。学院を辞めよという命令も撤回されなかったが、新たな強制も来なかった。ただ、その沈黙が続いている」
「それは、受け入れたのではなく」
「わからない。かもしれない、だ。だが、俺は選んだ。父の期待ではなく、自分の気持ちに従うことを」
マルクスが、レインを見つめた。
「お前は、そんなことはないんだろう。お前の親は、そこまで強制していない」
「いいえ。僕の両親は、良い人たちです。だが、違う形の期待を寄せていました」
レインが、穏やかに答える。
「その期待に応えることは、簡単なことではありませんでした。だが、それはマルクスが受けた圧力とは、質が異なるのだと思います」
「かもな。だが、結果として、お前も俺も、親の期待と自分の道の間で揺らいでいる。その点では、同じだ」
マルクスが立ち上がった。
「だから、だからこそ、ここにいたいんだ。親の期待ではなく、自分たちの道を歩める場所。四人と共に、未知のものに挑戦できる場所」
レインも立ち上がった。
「その気持ち、わかります。とても、よくわかります」
レインの言葉には、前世の記憶が透けて見えていた。息子たちの期待に応えることで、自分の人生を失った父親。その後悔が、レインの現世での選択を、より確実なものにしていた。
「だから、俺たちは、ここにいるんだ」
マルクスが、はっきりと言い切った。
「五人でいるんだ。互いに支え合い、互いに成長する。それが、親の期待ではない『自分たちの道』なんだ」
秋風が、二人を吹き抜けた。
庭園の木々は、すっかり色づいている。もう、冬は近い。そして、季節は確実に移ろい、新しい時代へ向かっていく。
レインは、思った。
前世では、自分の息子たちに何を与えていたのか。期待。圧力。そして、それらを言葉にしない形で押しつけていた。子どもたちは、それに応えようと必死だった。だが、その応え方が自分たちの『道』を塞いでしまっていたのかもしれない。
マルクスの父親もまた、同じことをしていたのだろう。嫡男への期待という名目の下で、その子の『選択肢』を奪っていた。
だが、マルクスは拒否した。
その勇気は、レインにも大きな影響を与えている。
「ありがとう、マルクス。君の話を聞いてくれて」
レインが、彼に礼を述べた。
「なぜ礼を言う」
「君は、自分の苦しさを言葉にしてくれました。それは、君が俺たちを信頼しているという証です。その信頼を受け止めるのは、とても大切なことです」
マルクスは、一瞬沈黙した。そして、わずかに唇が動いた。
「友人たちと、こうして話すことが、こんなに良いものだったとは」
彼の言葉は、呟きに近かった。
「侯爵家では、決してこうした会話は生まれなかった。親との会話は、命令と報告だけだ。兄弟との会話も、競争と比較しかない。だから、こうした『感情の交換』が、こんなに心地よいものだとは、知らなかった」
「その感情の交換は、これからも続きます。君が五人目である限り」
レインが、確約した。
「ああ。そして、俺も五人の一員でいることを、誓う」
マルクスの瞳に、新たな光が灯っていた。それは、恐怖の影に重ねられた、確実な『意志』の光だった。
二人は、庭園を後にした。
廊下で、他の三人と合流する。リュカは、相変わらず明るく。ノエルは、相変わらず不機嫌そうに。アリシアは、相変わらず冷静に。
その『相変わらず』が、実はどれほど大切であるか。マルクスは今、初めて理解しているのかもしれない。
食卓に着く五人は、もはや『四人のグループに一人を追加した』ような存在ではなく、完全に『五人の一つの集合体』として機能していた。
レインは、その機能の中に身を置きながら、内心では別の重みを抱えていた。
星脈の枯渇。世界の終わり。それらの秘密の上で、彼は五人との時間を過ごしている。
その矛盾、その葛藤は、レインの心の中に、深く沈殿していくのだった。




