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第35話「星を読む者」

---


故郷の屋敷に帰宅した時、レインを迎えたのは、父上の厳しい表情ではなく、セドリック兄さんの笑顔だった。


「お前だけは、大事なことをやった」


兄は、その言葉で、弟を抱きしめた。その腕には、温もりがあった。


「学院での一年間のことは、全部聞いた。よくやった。母さんも、きっと喜んでいる」


セドリック兄さんの言葉は、励ましではなく、単なる事実の陳述だった。だからこそ、レインの心に、深く刺さった。


父上は、長く沈黙していたが、やがて、その手を、レインの肩に置いた。


「一年で、お前は随分と大きくなった。別の意味で」


それ以上の言葉は、ない。だが、それで十分だった。


---


夏休みの日々は、予想外に穏やかだった。


レインは、毎日、山へ行った。母さんの丘へ。その場所で、一年間の出来事を、静かに反芻した。


リュカのこと。漁師の息子であり、吸収能力の才を持つ少年。彼の直感型の思考が、理論型のレインを補完した。その二人が手を取った時、初めて、古い装置の停止が可能になった。


ノエルのこと。大地と火を操り、常に行動を優先する少年。彼の決然とした行動が、レインの慎重さを支えた。地相で広間を支えた時、その少年の覚悟は、言葉を超えていた。


アリシアのこと。全ての属相でA評価を受ける、完璧な貴族の娘。だが、彼女の本質は、完璧さではなく、他者を理解したいという、その願いだった。識相で弱点を特定した時、彼女は、初めて、自分の力が何の為にあるのかを、理解したのだろう。


そして、マルクスのこと。父親の命令に従いながら、同時に、その命令に苦しんでいた少年。彼の恐怖を見つめた時、レインは初めて、自分の前世の過ちが、どれほど多くの人を傷つけていたのかを、完全に理解した。


四人は、秋に、また会う。その約束が、この夏の、唯一の確実な光だった。


---


八月の末の夜。


レインは、部屋の机の上で、書簡を書いていた。


『リュカへ。


夏休みは、思ったより長い。毎日、丘へ登っている。母さんに報告するために。この一年間で、俺は、たくさんのことを学んだ。人の心の複雑さ。人の恐怖の深さ。そして、それでも、人は一人ではなく、誰かと繋がることで、初めて前に進めるということを。


お前との絆が、なければ、装置を停止させることはできなかった。お前の吸収能力と、俺の理論。その二つが揃った時だけ、あの水晶を制御できた。


秋に、また会おう。今度は、もっと多くのことを、話し合える気がする。


── レイン』


別の紙に、ノエルへの手紙も書いた。


『ノエルへ。


地相で広間を支えた時、お前の覚悟が、伝わってきた。お前は、いつも、考えるより先に行動する。それが欠点だと、俺は思っていた。だが、古い装置の前では、その行動こそが、最も必要だった。


考えすぎれば、動けない。感じたままに動く。その勇気が、俺たちを救った。


秋に、また会おう。その時も、お前を信じる。


── レイン』


最後に、アリシアへの手紙。これが、最も書き難かった。


『アリシアへ。


君の識相は、本当に素晴らしい。古い装置の弱点を特定できたのは、君のその力がなければ、不可能だった。


だが、それ以上に、俺が思うのは、君が、徐々に、他者を理解しようとしているということだ。最初、君は、完璧さを追求していた。だが、今の君は、他者の不完全さの中に、美しさを見出そうとしている。


だからこそ、君は――たまには笑った方がいい。似合うから。


秋に、また会おう。


── レイン』


三通の手紙は、それぞれの故郷へ、送られた。返答は、すぐには来ないだろう。だが、秋が来れば、四人は、また揃うのだ。


---


九月の初頭。


レインの帰学の準備は、整った。


見送りに来たセドリック兄さんは、妹の姿をしていないことに、一瞬の戸惑いを見せた。だが、すぐに理解した。妹は、もうここにはいないのだ。あの日の装置の中に、妹の面影は消えた。代わりに、少年は、別の何かを手に入れたのだ。


「また、秋に帰ってこい」


セドリック兄さんの言葉は、単純だったが、確かな愛情が満ちていた。


「はい。必ず」


馬車に乗ったレインは、学院へ向かった。


道沿いの景色が、一つ一つ、懐かしいものになっていく。やがて、学院の正門が見えた。


その門の前には、三人が待っていた。


リュカは、日焼けしていた。漁師の仕事を手伝ったのだろう。その肌は、より健康的な色合いになっていた。


ノエルは、手に包帯を巻いていた。鍛冶の仕事を再開したのだ。火と鉄との格闘の痕が、その身体に刻まれている。


アリシアは、変わらぬ優雅さを保ちながら、わずかに、その表情が柔らかくなっていた。


「お前、来たな」


リュカが、笑う。その笑顔は、太陽そのものだ。


「鈍らねえようにしたか」


ノエルが、拳をレインの肩に打つ。痛いが、愛情が満ちた痛みだ。


「……お帰りなさい」


アリシアが、静かに呟く。その瞳には、何か別の色が、宿っていた。


四人は、学院へ向かった。


秋の風が、彼らの頬を撫でた。その風は、母さんの丘から、吹いてきたのだろう。


学院へ入る前に、リュカが足を止めた。


「な、レイン。お前、あの野郎のことを知ってるか」


「マルクスですか」


「ああ。秋に、帰ってくるらしい」


その言葉に、レインは、特に反応しなかった。予測していたことだ。


「そっか。良かった。そいつも、又一緒に、頑張ろう」


リュカは、そう言い切った。その言葉に、複雑さはない。ただ、仲間が増えるという、シンプルな喜びだけがあった。


ノエルも、頷いた。


「一人で背負わせたりしないんだよ。お前も、そう言ってたじゃん」


アリシアは、何も言わず、ただ、前へ進んだ。だが、その背中は、肯定を示していた。


四人は、学院へ向かった。


秋の風が、彼らの頬を撫でた。その風は、母さんの丘から、吹いてきたのだろう。


---


初日の夜。


レインは、友人たちと、宿舎の共有部屋で、一日を振り返った。


リュカは、相変わらずの調子で、漁で獲った大きな魚の話をしている。その話には、尾ひれはあるかもしれないが、その活気は本物だ。


ノエルは、黙って、菓子を食べながら聞いている。だが、時々、相槌を打つ。その言葉の端々に、優しさが隠れている。


アリシアは、紅茶を飲みながら、彼らの様子を見つめている。その眼差しには、何か別の光が宿っていた。


「レイン。お前、見つめてばかりだな」


ノエルが指摘した。


「すみません。思いにふけっていました」


「何を考えてた」


リュカが、好奇心満載で聞く。


「この一年間が、本当だったのか。それとも、夢だったのか」


その言葉は、深い。


「本当だ」


アリシアが、静かに言った。


「我々は、本当に、一緒にここで、時を過ごしました。それは、疑いようのない事実です」


レインは、その言葉に頷いた。


その夜、四人は、星を見上げた。


学院の塔から見える星々は、この一年間、変わっていない。だが、それを見つめる彼らは、完全に変わっていた。


---


数日後。


マルクスが、学院に現れた。


その姿は、前のマルクスではなかった。目付きが変わっていた。何かを見つめながら、同時に、自分の内面と向き合っている、そうした瞳だった。


「アルヴェス」


マルクスは、レインの下へ来た。


「心配をかけた。感謝する」


その言葉は、素直だった。傲慢さはない。だが、弱さもない。単なる事実の陳述だ。


「貴方は、どうされるのですか」


「一年間、父上と向き合った。その結果」


マルクスは、わずかに、笑みを浮かべた。


「父上も、俺も、同じ恐怖に支配されていたことに、気づいた。それなら、その恐怖を、共に乗り越えるしかない」


「そうですか」


「だから、俺は、学院に戻った。独りで。ではなく」


マルクスは、その先を言わずに、ただ、レインと、その背後の友人たちを見た。


「よろしくお願いしたい。今度こそ」


リュカが、ノエルと一緒に、マルクスの肩を叩いた。


「こらこら、また来たな」


「鈍っぱいな。少しは利口になったか」


アリシアは、何も言わず、ただ、微かに笑った。


その笑みは、この一年間で、初めて見せたものだ。


---


夜間、レインは、一人、学院の塔から、星を見た。


星脈術の知識を持つ彼には、星が、単なる光ではなく、星脈の結晶だと見える。それぞれが、異なる周波数を放ち、異なる情報を秘めている。


古い時代の者たちは、これらの星脈を読むことで、世界を支配しようとした。だが、支配は、コントロールを生み出し、コントロールは、抵抗を生み出す。その果てが、大崩落なのだ。


では、星を読むことの、本来の意味は何か。


レインは、考える。


それは、星脈そのものを、理解することだ。支配することではなく。その複雑さを、その美しさを、その悲哀を、理解する。そして、その理解から、共生の道を探る。


「星を読む者」


レインは、呟く。


かつて、それは支配者の称号だった。だが、これからは、別の意味を持つのだろう。星脈の心を理解する者。世界の複雑さを受け入れる者。そうした者たちの称号として。


塔から見える学院の景色。その先の町。その先の国。全てが、星脈で繋がっている。


一年前、レインは、その繋がりを感じていなかった。だが、今は、違う。


母さんとの繋がり。友人たちとの繋がり。世界全体との繋がり。それらが、一つの大きな流れとなって、彼を包み込んでいる。


「ただいま、母さん」


レインは、星へ向かって、呟いた。


それは、故郷への帰宅の言葉ではなく、この世界への帰還の言葉だったのだ。転生者として、新しい人生を生きる者として。


その言葉が、星へ吸い込まれた時、一つの星が、特に強く輝いた。


それは、気のせいではなく、現実だ。


古い時代から、ずっと、母さんの星は、変わらぬ光で、この世界を見守り続けていたのだ。


---


── 第二部『星を読む者たち』了 ──



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