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第34話「朝の光」

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事件の後処理は、想像より複雑だった。


学院運営委員会は、マルクスを厳しく追及することを決めた。地下の古代装置を、無断で操作しようとしたことは、学院の危機に直結していたからだ。


規則に従えば、マルクスの退学は免れない。


「なぜ、君はあの子を庇ったのか」


ゼノン教授が、再び、レインの部屋を訪ねた。学院の調査委員会に提出する、報告書についての質問だ。


「庇いました、ですか」


レインは、正確に言い直した。


「俺は、マルクスを庇ったのではなく。ただ、事実を述べたまでです。彼は、独断で装置を操作したのではなく、父親の命に従っていたこと。彼が、その過程で、苦しんでいたこと。そして、最終的に、俺たちの呼びかけに応じたこと」


「それでも、結果として、学院に危機をもたらした」


「その通りです」


レインは、頷く。


「ですから、マルクスが何らかの処分を受けるのは、妥当だと思います。ただ」


彼の眼差しが、深くなった。


「俺が思うのは――俺は、前世の蓮として、何度も人を支配しました。その人たちの恐怖を、無視して。だから、今の俺には、マルクスの恐怖が、見えるのです。見えたなら、それを踏みにじることは、できません」


ゼノン教授は、長く沈黙した。


「君は、良い少年だが、同時に、苦しい少年でもあるのだな」


「はい」


その会話の後、マルクスは、結局のところ、学院から一時的な休学処分を受けた。完全な退学ではなく、一年後に再入学できる可能性を残したものだ。それは、レインの報告が、少なからず影響していた。


マルクスが意識を取り戻したのは、それから一週間後だった。


レインが、医療室を訪ねた時、青年は、天井を見つめていた。その眼差しは、虚空を見ているようだった。


「マルクス」


「……アルヴェス」


青年は、ゆっくりと頭を向けた。


「俺は、どうなるのだ」


「一年間の休学処分です」


「そう、か」


マルクスは、その言葉に、何の反発も示さない。ただ、受け入れる。その様子は、かつての傲慢さとは似ても似つかない。


「良かった。最初は、退学だと思っていた」


「その可能性も、ありました」


「それでも、俺を庇った。何故だ」


レインは、正直に答えた。


「俺は、あなたの恐怖が、理解できたのです。父親に認められないことへの恐怖。自分が及ばない何かに支配されることへの恐怖。その恐怖の気持ちが、理解できました」


「理解?」


「はい。前世の蓮は、その恐怖を、他人に押し付けていました。だから、今の俺には、その痛みが、分かるのです」


マルクスの瞳に、涙が滲んだ。それは、悔恨と、感謝の涙のように見えた。


「……父上は、何と言っているのか」


「知りません」


レインは、正直に答える。


「でも、あなたが、自分の道を歩むしかないと、思うのです」


「自分の道……」


マルクスは、その言葉を、何度も反復した。


「俺は、何をすればいいのか、分からん」


「それは、時間をかけて、探すしかありません」


レインは、装置の話を始めた。古い時代の者たちも、同じように、恐怖から逃げるために、力を求めたこと。だが、その力は、彼らを支配したこと。そして、その支配から、解放されるまでに、千年の時がかかったこと。


マルクスは、その話を、黙って聞いた。


「君たちと、友人になりたかった」


別れ際、マルクスは、その言葉を呟いた。


「でも、俺は、父上の命じるままに、君たちを蹴落とそうとしていた。その矛盾の中で、苦しんでいた」


「では、これからは」


レインが、提案した。


「自分の意志で、生きてください。父上の命ではなく。自分が何を望むのか。それを、まず知ることです」


マルクスは、頷いた。その動作は、ゆっくりだが、決然としていた。


「一年後に、再入学する。その時は、違う人間として、ここに帰ってくる」


「待っています」


それが、レインの返答だった。


その後、青年は、学院を去った。一年間、故郷に帰って、自分が何者であるかを、問い直すために。


セドリック兄さんからの手紙が、その日の夜に届いた。内容は簡潔だった。


『無事でなにより。父上も安堵している。早く帰ってこい。故郷が君を待っている』


レインは、その手紙を何度も読んだ。父上の心配は、形には表れないが、確かに存在している。それが、今の彼には、理解できた。


ヴァルター先生からも、手紙が届いた。筆跡は、不安定だが、言葉は、いつもの通りだ。


『よくやったのじゃ。お前さん、人間の心が、少し分かるようになったらしいのう。それは、この世界で、最も大事な能力の一つじゃ。だが同時に、最も苦しい能力でもある。夏休みの間、しっかり心を休めるんじゃぞ』


その言葉を読んで、レインは初めて、自分がどれほど疲れていたのかを、自覚した。


疲れは、身体的なものではない。脈路の枯渇でもない。それは、心の疲れだった。他者の感情を理解することの、その重さ。マルクスの恐怖を見つめることの、その辛さ。古い時代の悲哀を、ほんの一瞬だが感知することの、その悲しさ。


そうした負荷が、この少年の心に、積み重なっていたのだ。


---


夏休みの前日。


レインは、学院の裏山へ登った。かつて、母さんと共に見た丘だ。


道を覚えている。一年前、母さんと登った時の足取りを、完全に再現できる。それは、単なる記憶ではなく、母さんの温もりを、もう一度感じたいという、心の求めだった。


丘に着いた時、麦畑は金色に輝いていた。秋に近づいているのだ。風が、その穂を優しくなでる。


「母さん」


レインは、呟いた。


その声は、地上に吸い込まれた。返答はない。だが、返答があってはならないのだ。母さんは、ここにはいない。ここに在るのは、彼女の思い出だけだ。


一年前。ここで、彼は、何を思っていたのか。


前世の蓮は、既に人生を終えていた。この転生が、最後の機会だ。この人生で、何かを成し遂げなければ。そうした焦燥感が、あったのだろう。


だが、今は、違う。


「俺は――少しだけ、人の心が分かるようになったかもしれません」


その言葉は、母さんへの報告であり、同時に、自分自身への問い掛けでもあった。人の心が分かる。だからこそ、何ができるのか。


その答えは、未だ、明確ではない。だが、少なくとも、他者を支配することではない。他者を理解し、その恐怖に寄り添うこと。その先に、何か別の道があるのだろう。


風が、吹いた。麦穂が、なびく。


それは、返答ではない。だが、レインには、それで十分だった。


母さんの想いは、常に、この丘に在る。これからも、ここに在り続けるのだろう。何十年、何百年が経とうとも。


そして、自分も、いつかは、この丘に帰ってくるのだろう。その時、自分は、どう変わっているのか。それは、今の彼には、想像もつかない。


---


その丘に立つと、遠く、故郷の方向が見える。いや、見えるはずはない。地理的に、そんな距離ではない。だが、心が、その方向を求めていた。


「母さん」


レインは、呟いた。


一年前。ここで、彼は、母さんを失った。それと同時に、自分が何者であるかを、問い直す旅が、始まった。


その一年間で、多くのことが起きた。友人たちとの出会い。様々な修行。そして、装置との対面。


「母さん。俺は――少しだけ、人の心が分かるようになったかもしれません」


風が、吹いた。麦穂が、なびく。


それは、返答ではない。だが、レインには、それで十分だった。


母さんの想いは、常に、この丘に在る。これからも、ここに在り続けるのだろう。


---


学院の正門の前。


荷物を纏めた四人は、そこに立っていた。


「また秋に会おうぜ」


リュカが、両腕を広げた。その笑顔は、太陽のような輝きを放っている。


「鈍らねえようにしろよ」


ノエルが、呪詛のように呟く。だが、その瞳には、優しさがある。


「お元気で」


アリシアが、静かに言う。


四人は、別れた。しばらくの間、彼らは離れることになる。だが、その離別は、永遠ではない。秋が来れば、また会える。その確信が、彼らの心にはあった。


---


馬車に乗ったレインは、学院を離れた。


道は、故郷へ続いている。懐かしい風景が、一つ一つ現れる。やがて、故郷の丘が見えた。


「ただいま――母さん」


レインは、呟いた。


その声には、この一年間の成長が、全て詰まっていた。


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