第32話「古代の心臓」
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最深部の広間に到達した時、既にマルクスはそこにいた。
彼は、巨大な水晶の前に立っていた。それは第31話で見た結晶とは、比べ物にならないほどの規模だった。高さは建物一つ分。幅も、縦も同様だ。淡く紫色に輝く、そのゆるやかな脈動が、四人の脈路を圧倒する。
「レイン・アルヴェス。よく来たな」
マルクスは振り返った。その顔は、青白く、額に冷や汗が流れている。
「マルクス。貴方がここに」
「父上の命だ。この力を手に入れることが、我が家の栄光と思っていた」
その声は、かすかに震えている。
「だが――」
マルクスは結晶を見つめた。
「この力を制御することは、できなかった。何度、試みても。星脈は、私の支配を拒否する。ならば、奪い取ってやる。この身が焼き尽きようとも」
結晶の輝きが、急激に増した。赤紫色に変わる。
「危ないです。離れてください」
レインが警告した。だがマルクスは動かない。その手を、結晶へ向かって伸ばしたままだ。
「我が家の栄光の為に。我が父上の為に」
結晶から、光の奔流が放たれた。それはマルクスに向かって、激しく降り注いだ。彼の体が、光に包まれる。悲鳴が――出ない。声も、飲み込まれている。
「マルクス――」
ノエルが駆け出そうとした。だがアリシアが、その腕を掴んだ。
「ここに近づいたら、全員が焼き尽きられます」
識相の警告だ。その通りだった。光の強度は、既に学院の修行室を遥かに超えている。
マルクスの体が、僅かに浮き上がった。光の中で、彼の口が開く。
「父上……」
その一言が、全てを語っていた。恐怖。後悔。そして――失敗への絶望。
レインは、マルクスの顔をじっと見つめた。
その瞳に映るのは、何か。栄光への欲望?いや、違う。
恐怖だ。
強大な力の前での、無力さへの恐怖。父親に認められないことへの恐怖。自分が及ばない何かの前での、純粋な怖れが、そこにはあった。
レインは、前世の記憶を呼び起こした。商社の役員として、部下たちを追い詰めた日々。成果を上げられない者を、切り捨てた時代。彼らの顔も、こうした恐怖で歪んでいたのだろう。
だが、当時のレインには、その恐怖が見えていなかった。見たくなかったのだ。
「貴様たちも、同じ道を歩むのか」
結晶の声が、再び響いた。星脈そのものの声だ。
「制御しようとする。奪おうとする。支配しようとする。全ての者が、同じ道で挫折する」
「いや」
レインが呼ぶ。
「違う」
彼は一歩、前に出た。リュカが、懐中石を掲げる。光が、レインの前に広がった。
「マルクスは、怖かったんです。父親に認められないことが。力を手に入れられないことが。自分が及ばないものに支配されることが。だから、支配しようとした」
「それが、何だ」
「貴方も、同じなのではないですか」
厳しく、レインが言った。
「自分が理解できないものを、支配しようとしている。自分が及ばない何かに、制御されることを恐れている。その恐怖から逃げるために、この装置で、星脈そのものを牢獄に閉じ込めようとした」
結晶の脈動が、一瞬止まった。
「古い時代の者たちも、同じでした。この装置を造った者たちも。みんな、恐怖から逃げていた」
マルクスの悲鳴が、また上がった。だが同時に、結晶の光が、わずかに減速した。
「マルクスは、一人じゃない」
リュカが前に進む。その吸収能力が、暴走する星脈エネルギーを、どん欲に吸い込み始めた。
「俺たちが、いるじゃん」
「貴方の恐怖は、理解できます」
アリシアが、静かに呟いた。識相で、マルクスの脈路を感知している。
「私も、常に不安です。常に、足りないと感じています。だからこそ」
「だからこそ――」
ノエルが、大地に拳を打ち込んだ。地相と炎相が、激しく交錯する。
「俺たちで、ここを止める。マルクス、一人で背負わせたりしないんだよ」
マルクスの瞳が、焦点を合わせた。その中に、何かが映った。仲間たちの姿。自分に手を伸ばそうとする、四人の少年少女。
「何だ、これ……」
その声は、別人のものだった。マルクスの本心だ。
「何で、こんなことを」
「後で説明します。まずは――」
レインが、両手を広げた。
「一緒に、ここを出ましょう。四人で」
光が、再び激しく盛り上がった。マルクスの体が、より強く光に包まれる。
「できるのか。貴様たちに」
結晶が問う。
「できます」
レインは、言い切った。
「理由は――」
彼は仲間たちを見つめた。
「俺は、もう一人じゃないから」
結晶の光が、最高潮に達した。広間全体が、紫色に染まる。レインの脈路が、かつてない高さで共鳴する。それは苦痛ではなく、むしろ解放だった。この大いなる力と、直接対話している感覚。
だが、それだけでは足りない。
「マルクス。貴方は、何を求めていたのですか」
レインは、光の中へ声を投げた。
「父上の認証ですか。それとも、家の栄光ですか」
返答はない。だがマルクスの脈路が、激しく動揺していることが、レインには感知できた。
「どちらでもない。本来は」
レインの分析は、続く。
「貴方が本当に求めていたのは、誰かに自分を見てもらうことだ。自分が何者であるかを、理解してもらうことだ。父上は、その期待を歪めた。だから、力で、支配で、認証を得ようとした」
「だから?」
かすかな声。マルクスの声だ。
「それなら、別の道がある」
リュカが、叫ぶ。
「認証なんて、そんなもんいらねえじゃん。俺たちは、既に貴方を見てる。貴方がここにいることを、知ってる。そんで、それで十分だ」
「そんな単純じゃ――」
ノエルが、遮った。その言葉は粗野だが、本質的だった。
「シンプルなんだよ。力がある、ないじゃなくて。誰かと繋がってる、その事実だ。マルクス、貴方は今、俺たちと繋がってる。ここにいる」
アリシアが、静かに付け加えた。
「貴方の恐怖を、理解します。その恐怖を、背負うことができます。もし、許されるのなら」
マルクスの体が、わずかに光から解放された。だが、完全にではない。装置は、まだ彼を放そうとしていない。
「離さんぞ。この者は、支配されるべき者だ。星脈をコントロールしようとした者は、星脈によって支配される。それが、古い掟だ」
結晶が、宣言する。その声は、限りなく冷酷だ。
だがレインは、その言葉の中に、何かを読み取った。それは、怒りではなく、悲哀だ。古い時代から、ずっと、人間たちの支配欲に苦しめられてきた、その怨嗟。
「貴方も、恐怖しているのですか」
レインが、問う。
「人間が、再び支配しようとすることを。再び、同じ過ちを繰り返すことを」
結晶の光が、瞬間、揺らいだ。
「もし、そうなら。貴方の恐怖も、マルクスの恐怖も、俺たちの恐怖も、みんな同じです」
レインは、続ける。
「だからこそ、此処で止めましょう。恐怖の連鎖を。支配の欲望を。誰かが、その重荷を背負うのではなく。四人で、一緒に、背負う。それ以外に、道はないと思うのです」
結晶は、沈黙した。
その静寂の中で、リュカの吸収能力が、着実に暴走する星脈エネルギーを吸い込んでいく。ノエルの地相が、装置全体を支えるために、大地と共鳴する。アリシアの識相が、四つの脈路を調和させようとしている。
そして、レインは、古い言語で構築されたその装置の根本へ、自分の脈路を接触させた。
やがて、マルクスが、光から解放された。
彼は地面に落ちた。意識はあるが、全身が焼けたように痛んでいる。だが、生きていた。光に包まれたまま、あるいは星脈に支配されたままでなく、自分の身体に、自分の意識が戻っていた。
「貴様たちの覚悟、受け取った」
結晶が呟く。その光は、わずかに落ち着きを取り戻した。まだ暴走しているが、あの激しさは失われている。
「だが、完全な停止には、更なる力が必要だ。四つの星脈が、此処で一つになる時――初めて、古い枷が解かれるだろう」
「四つの星――」
レインは、仲間たちを見つめた。
リュカの吸収能力。ノエルの地相と炎相の二重相。アリシアの識相の正確さ。そして、自分の分析能力と構築精密度。
その四つが、一つになった時。
初めて、この装置を停止させることができるのだ。
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