第23話「星杯戦・決勝」
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決勝戦の闘技場は、それまでのどの試合よりも、観客で満ちていた。
王族の席には、王妃陛下と皇太子が。貴族席には、名だたる貴族家の当主たちが。一般席は、ぎっしりと詰まった民間人たちで埋まっている。
レイン・アルヴェスの対戦相手は、マルクス・ハルヴェス。侯爵家の嫡子。チーム構成は、学園の有力者で固められている。
ベルが、鳴った。
試合開始。
マルクスの戦略は、至ってシンプルだが、有効だった。レイン個人を、完全に隔離する。リュカ、ノエル、アリシアと、レインの間に、壁のような攻撃の流れを作る。
その壁の構成員は、全員が三年生。経験と力に優る術者たちだ。五人一組の彼らは、これまでも多くのチームをこの戦術で圧倒してきたに違いない。個を完全に支配し、連携を断絶させる。その方法論は、実に効果的だ。
マルクス自身は、その壁を維持しながら、詠唱の準備をしていた。おそらく、大規模な光系統の術。時間をかけて、その魔法を完成させる戦略だ。完全な詠唱を終わらせれば、レインのチーム全体を一撃で焼き尽くせるだろう。
「雑魚どもに足止めさせられている間に、本命を放つか」
レインは、その戦略を瞬時に理解した。
だが、対応が難しい。壁のような攻撃を崩さなければ、マルクスに接近できない。だが壁を崩すのに、時間がかかる。その間にマルクスは詠唱を終える。
数学的に言えば、詰んでいた。
壁を崩すのに必要な時間は、マルクスの詠唱が完了するまでの時間を上回る。つまり、正面からでは間に合わない。必ずマルクスが先に完成させる。
だが――
リュカが、何度も攻撃を試みるが、相手の火術者に受け止められる。ノエルも、ダメージを与えられない。アリシアも、相手の水術者に防がれ続けている。
そしてレイン自身は——
「アルヴェス、お前の母親について、知ってるか?」
マルクスの声が、闘技場に響いた。
突然の言及に、レインの思考が一瞬乱れた。
「辺境の没落貴族が、王都で大きな顔をするとはな。お前の母親も——哀れなものだ。あの女が死んだのは、身の程を知らなかったからだろう」
レインの血が、沸騰した。
それは、精密な計算ではなく、感情だった。怒りだ。感情的な、荒っぽい怒り。
母親、エレナ・アルヴェス。前世では知り得ない存在だ。だが、この世界で、彼女はレインの母だ。その母が、侮辱される。その存在が、否定される。
「お前が、母さんについて——」
声が、震えている。
レインは、初めて経験する感情に、戸惑った。前世でも、こんなことはなかった。怒りはあったが、こんなに一身に、他者を思う怒りは。
そして、その怒りの中で、別の側面も動いていた。冷徹な分析だ。マルクスの狙い。その戦術の意図。相手の感情的な動揺を引き出し、判断能力を奪う。
「落ち着け、レイン」
リュカの声が、届いた。
だが、レインは落ち着けない。母親、エレナ・アルヴェスの事を、侮辱される。それは、単なる感情の動揺ではなく、存在そのものへの否定だ。
それでも、レインは考えていた。
同時に、怒っていた。
両者が、並存していた。
怒りの中で、分析を続ける。感情に支配されながら、同時に冷徹に戦況を判断する。
それは、前世のレインにはできなかったことだ。感情と理性を分離する術を持っていたが、両者を統合することはなかった。だが今のレインは違う。両者が、同時に存在し、同時に動く。その矛盾の中で、初めて、完全な自分が存在する。
母の面影を思い出し、その不当な扱いへの怒りを感じながら。だが同時に、自分たちの戦略を再計算していた。
マルクスは、レインの精神的な動揺を狙っている。その隙に詠唱を完成させ、一撃で全てを終わらせるつもりだ。
だが——
「リュカ」
「あ、あ、わかった!」
言葉を交わさず、リュカが反応した。
これまでの稽古で、何度も繰り返した動き。リュカが、敵の水術者に対して、複数同時吸収をかけた。対応に追われた相手が、壁の一角を緩めた。
その瞬間。
「ノエル」
「任せろ」
ノエルが、その隙を使って、マルクスの近くまで前進した。詠唱を中断させるだけで十分だ。
だが、ノエルは直撃しない。むしろ、わざと外して、マルクスの左側を攻撃した。
なぜなら——
「アリシア」
レインが、指示を出した。
アリシアが、右側から攻撃を放った。マルクスは、その二つの挟撃から逃げるために、後退する必要があった。
その移動ルートは——
「レイン、行け!」
ノエルが、叫んだ。
レインは、ノエルが作った隙間を通り抜けて、マルクスに接近した。距離は、五歩分。近い。
マルクスの目が、怒りに満ちていた。
「愚かなことを」
光系統の攻撃を、中途で放った。本来の完成形ではないが、それでも威力はある。
だが——
「今だ、みんな」
レインは、友人たちを呼んだ。
リュカが、複合吸収を放つ。ノエルが、火と土の融合攻撃をぶつける。アリシアが、制御の水を統合する。
そして、レイン自身が——
全てを纏める風を、放った。
四つの属性が、螺旋を描く。光系統の攻撃を包み込み、それを『ひねった』。マルクスの光が、四人の力に支配され、逆方向に放射された。
マルクスの詠唱は、完全に崩れた。光の術者の集中を失わせることで、他の術者たちもバランスを失った。
壁は、瓦解した。
四人の攻撃が、マルクスのチームを圧倒した。
ベルが、鳴った。
試合終了。勝者は、レイン・アルヴェスのチーム。
レインは、その場に膝をついた。
手が、震えていた。
それは、疲労ではない。怒りの余波だ。マルクスの言葉が、まだ脳裏に残っていた。
だが同時に、その怒りを、友人たちが支えてくれたという事実も。
最も危機的な瞬間、自分が感情に支配されそうになった瞬間、リュカ、ノエル、アリシアが何も言わず、ただ動いてくれた。「レイン、考えるな!」「感じろ!」その言葉が、レインを引き戻した。
怒りと分析。感情と計算。その両者が、同時に存在した。それでもなお、友人たちとの信頼が、全てを統合した。
「お疲れ」
リュカが、レインの肩に手を置いた。
ノエルと、アリシアも、近づいてきた。四人の体は、全員傷だらけだ。スタミナも、ほぼ切れている。だが、全員が、その場に立ち続けていた。
観客席から、歓声が上がった。
レインは、その歓声の中で、マルクスを見た。敗北者の目だ。
だが、その目は、通常のそれではなかった。
単なる屈辱だけではなく、何か、もっと危険な光が宿っていた。
それは、自分の父親と同じ目だ。
かつて侯爵が見せた目と同じだ。屈辱が限界に達した者の、何かをせずにはいられない焦燥。
「あの目は、危険だ」
レインは、呟いた。
だが今は、その危険を引き受けるつもりはない。今は、勝利を。今は、友人たちとの時間を。
「何か言ったか?」
リュカが、聞いた。
「いや。何でもない」
四人は、闘技場から出た。観客席の拍手が、ずっと響いていた。




