表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/106

第18話「拳と理屈」

---


 試合当日の朝、事件は起きた。


 練習場に集まったのはレイン、リュカ、アリシアの三人だけ。時間は試合開始の一時間前だ。ノエルがいなかった。


「どこへ」


 レインが走った。ノエルの部屋へ。


 着いてみると、ノエルは部屋にいた。だが、その右拳は腫れ上がっていた。血が少し滲んでいる。爪の間にも何かが詰まっているようだ。


「何があった」


「奴らが来た」


 ノエルは冷静に答えた。感情的ではなく、事実として。


「昨日、リュカを馬鹿にしていた奴ら。あの上級生だ。今朝、廊下で同じことをやってるのを見て、殴った」


 レインは状況を理解した。


「学院の規則では、暴力行為は禁止だ。反則負けになる。上級生ならなおさら厳しい処遇を受ける」


「わかってる」


 ノエルは拳を握った。そのたびに痛みが走っているはずなのに、顔には出ない。


「だが、黙ってられなかった。あいつらがリュカを踏みにじるのを」


「それで足りるのか。その拳で問題が解決するのか」


 レインは声を荒げた。「お前の行動は、お前の心を満足させただけだ。リュカの状況は何も変わらない。むしろ、チーム戦では足手まといになる。負ける可能性が高くなった」


「そうかもな」


 ノエルはレインを見た。その目には、迷いがない。


「だが、お前のやり方もある。完璧な計画で、相手を論破する。俺のやり方も、ある。感情で、拳で応じる。その両方がある」


「感情的では問題が解決しない」


「正論だ。だが、な」


 ノエルは立ち上がった。「お前は友人を守るのに、頭ばかり使う。俺は拳を使う。その違いがある。どちらが正しいってわけじゃなくて、違う形があるってこと」


「その違いが、今、お前たちのチームを破壊している」


「そうだな」


 ノエルは呟いた。その声には、諦めと決意が混在していた。


「だが、お前は本当に理解しているのか。リュカが何を求めていたのか。完璧な論理か。それとも」


 レインは口を開きかけた。


 その時、足音がした。アリシアとリュカが着いたのだ。彼らの表情には、何かが走っていた。


「ノエル!」


 リュカが叫んだ。「何で殴ったんだ。馬鹿か」


「馬鹿だ」


 ノエルが答えた。彼の声は静かだ。「だが、奴らに黙ってろとは言えなかった。言葉で説得できるってわけでもなし」


「でも、これでお前は出場できねえじゃん。反則負けだ。禁止事項だ」


 リュカは拳を握った。その握りは、怒りではなく、別のものだ。


「俺のためにそんなことして、何がしたいんだ。俺たちのチーム、壊れちゃうじゃん」


「何もしたくない。ただ、できなかったんだ」


 ノエルの声は静かだ。その向こうに、何かの葛藤が見える。


「失敗するのわかってて、それでも拳を握った。理屈では説明できない。だが、それが俺の在り方だ。人間の在り方だと思う」


 アリシアが動いた。「大丈夫です。私が彼の代わりを務めます。構築を」


「そういう問題じゃねえ」


 リュカが言った。「ノエルは、なぜそこまでしてくれるんだ。学院の規則だって知ってるはずなのに。優勝の可能性だって知ってるはずなのに」


「友人だから」


 簡潔な返答。


 レインは、その言葉の意味を考えていた。


 完璧な計画も、理屈の上での正当性も、それを上回るものがある。それは——一体何か。


「わかった」


 レインは言った。「試合に出ろ」


「反則負けになる」


「いや。出ろ。そして戦え」


 レインは声を張った。「お前が拳で何を守りたいのか、それを星杯戦の舞台で示せ。そうして初めて、それは理屈を超える何かになる。他の誰かの心に届く何かに」


 ノエルは眉をひそめた。「戦えば、チーム全体が負ける。反則だから」


「そうだ。だが、それでいい」


 レインは胸が高ぶるのを感じていた。


「完璧さをやめると約束した。ならば、失敗も受け入れる。お前の拳も、その失敗の一部だ。それでいい。むしろ、それが大切だ」


 試合が始まった。


 第二回戦。相手はノエルが鍛冶屋の息子であることを知る、かなりの実力者揃いだ。皆、優勝の可能性を秘めた者たち。


 試合開始から、レインは指示を出さなかった。


 代わりに、リュカが吸収する。アリシアが変換する。そして、ノエルの代わりにアリシアが構築する。二役だ。


 流れは悪くない。だが、隙がある。一人で両方を担当すれば、必ずどちらかが疎かになる。


 相手がそれに気づくまでに、三十秒。


 相手の構築が、レインたちの陣地に炸裂した。


 ノエルはいない。その空白が、致命的になり始めていた。


 だが、その時だ。


 控え室からノエルが飛び出してきた。


 学院の規則を破って。禁止区域に侵入して。


 拳を握って。


「ノエル!」


 リュカが叫ぶ。だが、ノエルはもう後戻りしていなかった。


 彼は自分たちの陣地に入り、相手の次なる攻撃を自らの体で受け止めた。


 星脈術にしては、余りに原始的だ。


 だが、その行為は——全てを物語っていた。理屈を超えた、純粋な友情の形。


 審判は試合を止めた。反則だ。ノエルが禁止区域に入った。ルール違反だ。


 負けた。


 完全に、ここなく。チーム戦での反則は、即座に敗北を意味する。


 だが、リュカは涙を流していた。


 ノエルが、自分のために。リュカの名誉のために。言葉でなく、拳で、体で。何かを伝えてくれたから。


 この試合で全てを失いながら、得たものがある。


 試合終了後、レインはノエルに言った。


「お前は理屈を超えた」


「失敗した」


 ノエルが返す。彼の右拳は、さらに腫れ上がっていた。


「その通りだ。だが、それでいい」


 レインはその言葉の重さを知っていた。母さんが言っていたように。


「誰もが去っていく人間になるな、と。完璧さばかり求めるな、と」


「な、何言ってんだ」


 ノエルは首をかしげた。「難しい」


「お前は——」


 レインは言葉を探した。


「完璧な頭でしか答えを出さない人間は、いずれ誰もが去っていく。だが、時にはそれでいい。時には、失敗も、間違いも、受け入れるべき時がある。その時に、親友がそばにいるかどうか。それが全てだ」


 その言葉の中に、母さんの声が響いていた。


「わかったか」


「いいえ」


 ノエルが笑った。その笑顔は、初めて本当だった。


「だが、一つは理解した。お前は、変わっている。少しずつ。人間らしくなってる」


 星杯戦は、そこで終わった。


 四強まで進むことはできず。


 だが、その敗北の中に、何かが生まれていたのは確実だ。


 失敗から生まれた、何か。


 その夜、学院の医療室でノエルの右拳を見つめながら、レインは思っていた。


 拳と理屈。感情と計算。失敗と成功。


 それらは対立するものではなく、補い合うものなのだろう。完璧な計算では、人間の心は動かない。だが、純粋な感情だけでは、世界は変わらない。


 その両方が必要だ。


 リュカは何も言わなかった。だが、ノエルのそばで眠り続けていた。友人の傷に向き合うことが、彼の答えだ。


 アリシアは「本当にあなたたちは、変わっていますね」と呟いた。その呟きの中に、彼女自身の変化も含まれていた。


 星杯戦は続く。次の週には、三位決定戦がある。だが、それはもう重要ではない。


 重要なのは——四人が一緒に戦ったということだ。完璧さではなく、失敗を共にしたということだ。


 それが、全てだ。


---


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ