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第12話「書簡」

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 セドリックからの手紙は、入学から六週目に届いた。


 学院の郵便は週に二度、王都の中央郵便局を経由して届く。辺境のアルヴェス領からは、馬車の便で五日。手紙が書かれてから届くまで、一週間近くかかる計算だ。


 封を開けた。セドリックの字は相変わらず大きく、少し傾いている。力を込めて書く癖が字に出ている。


 「レインへ


 学院はどうだ。友達はできたか。お前のことだから本ばっかり読んでるんだろうけど、たまには外に出ろよ。


 こっちは変わりない。剣術の稽古は毎日やってる。ブレイ教官が戻ってきてから、前より厳しくなった。左腕の傷はもう大丈夫らしい。


 父上は——まあ、元気にしてる。前よりは話すようになった。この間、領民の集まりで久しぶりに笑ってた。母上の墓前に、毎朝花を供えてる。


 あと、ヴァルター先生は相変わらずだ。書庫に籠もってばっかりで、たまに出てくると訳の分からないことを言う。先日、『レインに負けんように古代語を勉強し直しておる』と言ってたぞ。先生が弟子に対抗心を燃やすなんて、お前が余程すごいんだな。


 母上の分まで、しっかり生きろよ。


 兄より セドリック」


 レインは手紙を二度読んだ。


 セドリックの声が聞こえるような気がした。真っ直ぐで、飾りのない言葉。「友達はできたか」——その一文に、兄の心配が凝縮されている。


 父グレンが笑った、という報告に胸が温かくなった。同時に——自分がそこにいなかったことが、かすかに寂しい。


 ヴァルターが「負けんように勉強し直している」。あの飄々とした老師が、弟子への対抗心を口にするとは。レインの口元が無意識に緩んだ。


 手紙の最後、「母上の分まで、しっかり生きろよ」。


 その一文で、目頭が熱くなった。拭った。大丈夫だ。もう、泣くことは恐くない。ただ——この場で泣くのは、違う気がした。


 返事を書こうとペンを取った。


 白紙のノートを前に、考えた。何を書くか。前回は「同室の奴はやかましいが悪い人間ではない」としか書けなかった。その返事の文字数の少なさ。感情の枯渇。それがどれほど兄を心配させたか、レインは容易に想像できた。


 今は——もう少し、書けるかもしれない。というより、書きたい。故郷の人間へ、今のここでの自分を伝えたい。その欲求が、初めて生まれた。


 「兄さんへ


 手紙、ありがとうございます。


 学院は広いです。座学は問題ありませんが、実技では苦戦しています。特に構築速度が課題です。先生なら『頭に頼りすぎじゃ』と言うでしょう。


 友達ができました。三人。」


 ここでペンが止まった。「友達」。この言葉を使うことに、まだ僅かな抵抗がある。しかし——リュカは自分をそう呼んだ。ノエルは毎日同じテーブルで食事をしている。アリシアは古代語の議論を、自分から持ちかけてくる。


 それが友達でなければ、何なのか。


 ペンを動かした。


 「やかましいのと、乱暴なのと、静かなのと。やかましいのは同室で、ソレイユから来た漁師の息子です。理論は壊滅的ですが、星脈の吸収力が化け物で、教官たちが驚いていました。乱暴なのはカルドゥス出身で、拳で語る男です。組手で完敗しました。静かなのは——上位貴族の娘で、全科目首席です。俺より古代語ができるかもしれません。


 三人とも、俺にないものを持っています。先生が言っていた『人を学べ』の意味が、少しだけ分かり始めた気がします。


 父上によろしくお伝えください。先生にも。


 母さんが聞いたら、笑うだろうな。俺が人付き合いに苦労しているなんて。」


 書き終えて、読み返した。前回の手紙より——長い。そして、自分の言葉で書けている。文字に込められた思いが、紙を通して伝わってくる。


 三人の友達。その事実だけで、レインの人生は大きく変わった。教科書では学べない、生きることの本質を、彼らとの時間の中で学んでいる。


 もう一通。ヴァルター宛。


 「先生へ


 学院のゼノン教授が、先生のことを話していました。宮廷時代に一緒に夜を徹して古代語を解読した、と。先生にそんな過去があったとは知りませんでした。


 古代文献の研究を手伝っています。第三期の書記体系の感応読みを試みています。増幅装置に関する記述が見つかりました。先生なら、この意味が分かると思います。


 人を学べ、と先生は言いました。学んでいます。——まだ、途中ですが。」


 二通の手紙を封じ、翌日の郵便に出した。


 数日後、もう一通の手紙が届いた。差出人は——ヴァルター。セドリックの手紙と同じ便で出されたものだろう。


 ヴァルターの字は細く、しかし明瞭だった。几帳面な学者の字。


 「レインへ


 人は学べたか。——まだだろうな。まあ、焦るな。


 ゼノンから連絡があった。お前が古代文献の解読を手伝っているそうだな。あの男は優秀だが、深入りしすぎる癖がある。お前が引きずられぬよう、気をつけよ。


 増幅装置の記述が見つかったとのこと。重要な発見だ。しかし——その情報は、使い方を間違えれば剣にもなる。扱いには細心の注意を払え。


 お前の星脈の地図を持っていったな。あの地図と増幅装置の情報を組み合わせれば——いや、これ以上は手紙には書けん。帰省した時に話す。


 体に気をつけよ。飯をちゃんと食え。


 追伸:古代語では負けん。精進しておけ。


 ヴァルター」


 短い手紙だった。しかしヴァルターの性格がにじみ出ている。弟子への心配、研究者としての興奮、そして最後の「負けん」。


 レインは手紙を畳み、机の引き出しにしまった。


 二通の手紙。故郷からの声。セドリックの真っ直ぐな言葉と、ヴァルターの飄々とした言葉。それぞれが、レインを支えている。


 この距離を、手紙で埋めること。その営みは——思った以上に大切なものだった。王都にいながら、故郷と繋がっていることの安心感。セドリックとヴァルターが、自分のことを考えていることの確認。生きているということ。存在するということ。


 リュカが部屋に入ってきた。「お、手紙か? 実家から?」


 「兄と、先生から」


 「いいなあ。俺もそろそろ親父に手紙書かなきゃ。でも何書けばいいか分かんねえんだよなあ。『魚が食いたい』しか思い浮かばねえ」


 「それでいいんじゃないか。正直な気持ちだろう」


 「それもそうか。——あ、あとさ、『友達ができた』って書こうかな。親父、喜ぶと思うんだ」


 リュカが屈託なく笑った。


 友達ができた——レインもセドリックに同じことを書いた。同じ言葉を、同じ気持ちで使っている。


 窓の外で、秋の風が吹き始めていた。木々の葉が色づき始めている。入学から二ヶ月。季節は夏から秋へ。


 学院の日常は——穏やかだった。しかし穏やかな季節は、長くは続かない。それを、あの日の記憶が教えている。王都という場所。侯爵の存在。マルクスの監視。この静けさの下には、何かが流動している。レインの直感がそう告げていた。


 でも——それでもいい。


 知らぬ顔をして、この時間を生きる。リュカの笑声を聞き、ノエルの言葉を受け、アリシアの静かな存在を感じながら。セドリックからの手紙を手に、ヴァルターの励ましを胸に。


 だからこそ——今この時間を、大切にしたいと思った。


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