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第11話「四人の食卓」

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 それは、リュカの仕業だった。


 昼食の時間。食堂の長テーブルで、レインとリュカがいつもの隅の席に座っていた。学院の食堂は広く、数百人の生徒で満ぶ返っていた。各々のグループが、同じような背景を持つ者同士で集まり、自分たちの世界を作っている。貴族の子弟はグループを作り、奨学生たちは端っこに集まる。その境界線は無言のうちに引かれていた。


 レインとリュカもまた、そうした隅の席に座り、二人の小さな世界を保持していた。


 リュカが肉入りのパイを頬張りながら、不意に立ち上がった。


 「ちょっと待ってろ」


 そう言って食堂の中を歩き回り、まずノエルを引っ張ってきた。その時点で、レインは何かが起こることを予感した。リュカの行動は——計画性がない。だからこそ、時に予測を上回る効果を生み出す。


 「おい、何だよ。俺は一人で食う方が——」


 「いいからいいから。ほら座れ。レインの隣空いてるぞ」


 ノエルが仏頂面で座った。リュカはさらに食堂を見回し、窓際で一人食事をしていたアリシアの元に向かった。


 「アリシア! 一緒に食おうぜ!」


 アリシアが困惑した顔でリュカを見上げた。「……私は、ここで——」


 「こっちの方が日当たりいいぞ。ほら」


 リュカがアリシアのトレイを勝手に持ち上げた。アリシアが「ちょっと」と声を上げたが、リュカはすでに歩き出している。


 数秒後、四人がテーブルに揃った。


 ぎこちない空気が流れた。


 リュカだけが平然とパイを食べている。ノエルは黙々とスープを啜っている。アリシアは背筋を伸ばし、フォークを正しい持ち方で握り、小さく切ったパンを口に運んでいる。


 レインは——四人の空間を観察していた。食堂の他の生徒たちがちらちらとこちらを見ている。学年首席のアリシア、複相術師のノエル、吸収Sのリュカ、そして辺境の「知恵者」レイン。入学一ヶ月で注目を集めている四人が一つのテーブルにいる。


 沈黙を破ったのは、リュカだった。


 「なあ、ソレイユの魚料理って食ったことある? この学院の魚、焼き加減がいまいちなんだよなあ。ソレイユだと、もっとこう——ぱりっとしてて——」


 「魚の話か」ノエルがぶっきらぼうに言った。その声には——拒否はなく、単なる事実の確認だった。「カルドゥスじゃ魚は乾かして食う。生で食うのは南の連中だけだ」


 その一言は——自分たちの違いを認めながらも、それを超えて会話を続ける意志を示していた。


 「生じゃねえよ。焼くんだよ。でも塩焼きだけじゃなくて、香草で——」


 「央域では蒸し魚が一般的です」アリシアが静かに口を挟んだ。「ハーブとオリーブ油で蒸して——」


 「蒸す? ソレイユじゃ絶対焼きだな。魚は火で焼いてこそ——」


 リュカが熱弁を振るい始めた。魚の調理法について。ノエルが「干し肉の方がうまい」と反論し、アリシアが「それは保存食であって料理とは——」と訂正する。


 レインは黙って聞いていた。


 この会話には——目的がない。結論もない。利益も生まない。魚の焼き方について議論しても、何も解決しない。実際のところ、この議論は多分、結論に向かっていない。単なる「話すこと」が目的なのだ。


 しかし——。


 三人の声が重なっている。リュカの高い声、ノエルの低い声、アリシアの透明な声。それぞれが違うことを言い、しかし同じ場所にいる。食堂の喧騒の中で、この小さなテーブルだけが独自の空間を作っている。そこには——言葉だけでなく、信頼がある。相手を受け入れる姿勢がある。


 前世のビジネスランチでは、すべての会話に目的があった。情報交換。根回し。信頼関係の構築——いや、その「フリ」。本当の信頼など存在しなかった。「楽しむため」に食事をしたことは——一度もなかった。


 今、ここは違う。


 「レイン、お前はどう思う? 魚は焼きか蒸しか」


 リュカに話を振られた。


 レインは少し考え、言った。


 「……アルヴェス領では、川魚を味噌に漬けて焼く。それが一番馴染みがある」


 「味噌焼き! それ知らねえ。うまいのか?」


 「……母が作ると、うまかった」


 言ってから、胸が少し痛んだ。しかし——言えた。母の料理の話を、人前で。


 リュカが目を輝かせた。「いいな、それ。今度作り方教えろよ」


 「俺は料理はしない」


 「じゃあ知ってる人に聞けよ。手紙出すだろ?」


 「……考えておく」


 ノエルが小さく笑った。「お前ら、食い物の話だけは饒舌だな」


 アリシアの口元が——ほんの少し緩んだ。笑みと呼べるかどうか微妙な、しかし確かに表情筋が動いた瞬間だった。


 レインはそれに気づいた。以前なら気づかなかったかもしれない。しかし今は——人の表情の微細な変化が、少しだけ見えるようになっている。


 アリシアがレインの視線に気づき、すぐに表情を元に戻した。


 「何ですか」


 「いや——」


 レインは言葉を飲み込んだ。「笑っていた」と指摘するのは——たぶん、この場では正しくない。言わない方がいい、という直感が働いた。分析ではなく、直感。


 ——これが、リュカの言う「感覚」なのか。


 食事が終わり、テーブルを離れる時、ノエルがぼそりと言った。


 「明日も、ここで食うか」


 リュカが叫んだ。「おお! ノエルがデレた!」


 「うるせえ。ただ席を探すのが面倒なだけだ」


 アリシアは何も言わなかった。しかし翌日の昼、彼女は自分から同じ席に座っていた。


 四人の食卓が、日課になった。


 日によって話題は変わった。授業の愚痴。実技の失敗談。故郷の話。教官の癖。リュカが場を回し、ノエルが毒を吐き、アリシアがたまに鋭い突っ込みを入れる。レインは——聞いていた。ほとんどの場合、聞いているだけだった。


 しかし聞いていることが——不快ではなかった。


 一週間後のある日、食堂で偶然マルクスとすれ違った。マルクスは自分の取り巻きに囲まれたテーブルにいた。視線がレインたちのテーブルに向けられた。


 マルクスの目に浮かんだのは——嘲笑ではなかった。むしろ、観察。レインが誰と親しくしているかを、記録しているような目。


 レインはその視線に気づき、しかし無視した。今は——この食卓の時間の方が大事だった。


 夜、部屋で、リュカが言った。


 「なあレイン。お前、最近ちょっと変わったな」


 「変わった?」


 「うん。前はさ、食堂で俺以外の奴と全然喋んなかっただろ。今はノエルにもアリシアにも——まあ、ちょっとだけど——話しかけてる」


 「……そうか」


 レインは自分の変化に気づいていなかった。もしくは、気づきたくなかったのだ。変化を認めるということは——自分が前と違う人間になっていることを認めることだ。それは危険だ。安定性を失う。予測不能性が増す。


 「自覚ないのかよ。——まあ、いいけど。いいことだと思うぜ、俺は」


 リュカの言葉は無邪気だった。その無邪気さが——レインの警戒心を溶かした。


 「ああ。そう願いたい」


 レインは小さく答えた。その答えは——リュカへの、あるいは自分自身への確認だった。


 リュカがベッドに潜り込み、すぐに寝息を立て始めた。


 レインは天井を見つめた。


 四人の食卓。目的のない会話。意味のない笑い。


 それが——今の自分にとって、最も「意味がある」時間になりつつあることに、レインは静かに気づいていた。


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