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第3話「星脈学院」

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 翌朝、鐘の音で目が覚めた。


 六つの鐘。起床の合図だと、昨日渡された規則書に書いてあった。洗面は共同。食堂で朝食。七つ半の鐘で授業開始。


 リュカはすでに起きていた。窓際で大きな欠伸をしている。


 「おはよ、レイン。お前、寝顔すげー静かだな。死んでんのかと思って一回確認しちまった」


 「……おはよう」


 洗面所は廊下の突き当たりにあった。石造りの水場に蛇口が並んでいる。蛇口の根元に小さな星脈結晶が嵌められており、回すと水が出る。星脈を利用した給水設備。アルヴェス領では井戸水だった。文明の差を実感する。


 朝食の後、新入生全員が本館の大講堂に集められた。


 大講堂は本館の二階にある半円形の階段教室で、天井が高く、壁面に歴代学院長の肖像が並んでいた。窓からの光が斜めに差し込み、空気の中の微細な塵を浮かび上がらせている。


 新入生は五十名ほどだった。年齢は十歳から十二歳。ファルネーゼ各地から集まった、星脈の素養を持つ子供たち。貴族の子弟が半数以上を占めるが、平民出身の奨学生も十名ほどいる。その視線の奥に——微妙な格差が浮かび上がる。名家の紋章を身につけた者と、地味な服装の者。その間には、生まれからの差が刻まれている。それでも、この場所では皆等しく「才能を持つ者」として扱われるのだ。レインはそのコントラストに、この学院の「平等」と「差別」の両立した構造を感じ取った。


 壇上に、中年の女性が立った。黒い教官服。髪を後ろで一つに束ね、切れ長の目が講堂を一瞥した。


 「王立星脈学院、実技主任教官のイレーネ・ソルトです。今日から諸君は学院生だ。ここでは家柄も出自も関係ない。問われるのは実力のみ。——ついてこられない者は去ってもらう」


 声は低く、明瞭で、余計な装飾がない。元探索者ギルドのAランク術師。実戦の空気を纏っている。レインの風紋読みが、この女性の周囲の空気の流れの「硬さ」を感じ取った。緊張で硬いのではない。鍛え上げた者の気配が、空気そのものを圧している。


 続いて、痩身の男が壇上に上がった。四十代半ば。長い顔に丸い眼鏡。白髪交じりの茶色い髪を無造作に後ろに流している。教官服の袖口にインクの染みがついていた。


 「古代語および古代術式担当、ゼノン・アルケイドです。——あー、えー、よろしく」


 イレーネの後だけに、講堂に微妙な空気が流れた。ゼノンは気にした様子もなく、眼鏡の位置を直して壇を降りた。


 ——飄々としている。しかし、あの目は鋭い。


 レインはゼノンの眼鏡の奥の瞳を見た。焦点が合っていないように見えて、実は講堂全体を見渡している。ヴァルターと似た匂いがする。学者特有の——世界を「観察」する目。


 教官紹介の後、新入生の自己紹介が始まった。五十名が一人ずつ壇上に立ち、名前と出身地を名乗る。


 貴族の子弟は家名を誇らしげに告げる。レインは順番を待ちながら、名前と顔を記憶していった。ヴァレンス。ロートリッヒ。ベルナーク。聞き覚えのある家名がいくつか。ヴァルターの書庫で読んだ貴族名鑑と照合する。


 「アリシア・ヴァレンス。央域出身です。よろしくお願いします」


 壇上に立った少女は、レインと同じくらいの年齢に見えた。銀に近い淡金色の髪を肩の辺りで切り揃え、青灰色の瞳が真っ直ぐに前を向いている。声は澄んでいて、感情の起伏が少ない。背筋が真っ直ぐに伸び、一分の隙もない。


 ——ヴァレンス伯爵家。上位貴族だ。


 レインの記憶が反応する。ヴァレンス家はファルネーゼの有力貴族で、代々優秀な術師を輩出している。政治的にも王家に近い。


 アリシアが壇を降りる時、レインと目が合った。一瞬だけ。彼女の表情は変わらなかった。しかし——あの目には、何かを観察する光があった。レイン自身がそうであるように。


 「リュカ・フェルミ。ソレイユから来ました! 漁師の息子です。よろしくっす!」


 リュカが壇上で大きな声を出した。講堂に笑いが起きた。嘲笑ではなく、好意的な笑い。リュカの明るさが空気を和ませている。


 しかし一部の生徒は笑わなかった。貴族の子弟の何人かが、冷ややかな視線をリュカに向けている。「平民」という言葉が、小声で漏れ聞こえた。


 レインの番が来た。


 壇上に立つ。五十の視線が集まる。


 「レイン・アルヴェス。辺境のアルヴェス領から来ました。よろしくお願いします」


 短く告げて、降りようとした。


 「アルヴェス?」


 声が飛んだ。講堂の後方。上級生の席だ。上級生は自己紹介には参加しないが、見学は許可されている。


 声の主は——十二歳ほどの少年だった。整った顔立ち。亜麻色の髪をきちんと撫でつけ、教官服ではなく仕立ての良い制服を着ている。唇の端に微かな笑みを浮かべている。


 「失礼。ハルヴェス家のマルクスです。——アルヴェスのご次男とは、光栄だ。父から話を聞いていますよ。随分と聡明だとか」


 講堂が静まった。「ハルヴェス」の名前に、何人かの貴族子弟が反応している。侯爵家の嫡男。学院でも相応の影響力を持つ名前だ。


 レインはマルクスの目を見た。


 笑っている。しかし目は笑っていない。あの目は——父親と同じだ。交渉の席で侯爵が見せた、丁寧な笑顔の下の冷たさ。それは——力の差を見つめる目。自分より弱い相手を計測する。


 その瞬間、レインは悟った。マルクスはまだ十一歳だが、もう政治の駒として動いている。父親の影が背後にあり、そのプレッシャーがマルクスを大人に変えている。少年特有の無垢さを失わせ、大人の狡猾さを与えている。


 可哀想だ——という感情が、レインの中に浮かんだ。意外な感情だった。自分は一瞬、驚いた。自分が誰かを「可哀想」と感じることができるのか。


 「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 レインは短く返し、壇を降りた。心拍数が上がっている。しかし表情には出さなかった。


 リュカが隣で小声で訊いた。「なあ、あいつ誰だ? なんかお前のこと知ってるみたいだけど」


 「……知り合いの息子だ」


 嘘ではない。しかし全てでもない。


 自己紹介が終わった後、レインは講堂を出ながら考えていた。ハルヴェス侯爵家の嫡男が学院にいる。偶然ではないだろう。侯爵は、ここにもコマを置いている。


 ——しかし、今の俺にできることは限られている。まずは学院の中を知る。人を知る。それが先だ。


 廊下を歩く。窓の外に、実技場の広い芝生が見えた。上級生が術の練習をしている。風が渦を巻き、水が空中で球体を作り、地面が隆起する。レインが見たことのない規模の星脈術。その光景は——圧倒的だった。


 アルヴェス領の書庫で読んだ理論が、目の前で現実になっている。教科書の記述が、生きた力へと変わっている。それは——知識と現実の接点。レインが長く探していた、「学ぶ」ことの本質の現れに見えた。


 「なあレイン、あれ見ろよ! 水が浮いてる! すげー!」


 リュカが窓に張り付いている。その声に込められた驚嘆と喜びに、レインは小さく頷いた。


 ここが、自分の新しい世界だ。


 この学院には——自分が学ぶべきもの、知るべきものがある。ここにいる人間たちも含めて。理論だけでは知り得ないもの。人間のぬくもり。友情。信頼。それら全てを、ここで学ぶのだ。


 窓を通した陽光が顔に当たる。その暖かさが——新しい可能性を象徴しているように感じられた。


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