第34話「帰還」
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五人は、エスキナからの帰路を歩んでいた。
馬も用意されていたが、疲労が激しいため、ゆっくりとした速度で進んでいた。リュカは何度も足を引きずり、ノエルは疲労で何も言わない。マルクスはずっと遠い目をしている。アリシアだけは、その優雅さを保ちながらも、額に疲労の跡がある。
レインは、何も言わず、ただ歩き続けていた。
その心の中では、複雑な感情が渦巻いていた。
「母さん」
レインが呟いた。
「星脈が戻ってくる。お前の死があったから。世界はまだ生きていく。お前の死が、その力になる。そういうことなのか」
誰も答えない。答えようがない。
道中、夜営をする時に、五人は火を囲んで座った。ノエルが火を起こし、リュカが食事の支度をする。アリシアはそれを手際よく整理し、マルクスは静かに星脈の光が戻ってくる空を眺めていた。
「疲れたな」
リュカが言った。
「ああ」
ノエルが答えた。
「エスキナでのことを考えると。まだ現実とは思えん」
「虚相の力だ」
アリシアが言った。
「あれが本当に存在していたのであれば。古代の時代は、より強力な星脈体系を持っていたという仮説が立証されます」
「仮説か」
リュカが笑った。
「俺たちはそんなのを相手に。種子を覚醒させちまったわけだ」
「出来すぎた話だな」
ノエルが言った。
「本当に星脈は戻るのか」
「戻る」
レインが答えた。
「もう確認した。学院に向かう途中から。星脈の光が強くなっている。完全ではない。だが確実に。生命の力が戻ってきている」
マルクスが言った。
「母さんはこれを望んでいたのだろう」
誰も答えない。誰も答えることはできない。
エレナの死。その重さ。その意味。それはまだ、五人の心に深い傷として刻まれていた。
数日後、学院が見える高台に出た。
懐かしい景色だ。学院の塔が、朝日に照らされている。かつてとは違い、その周囲には星脈の光が戻ってきている。完全ではない。だが確実に。
「あれ」
リュカが指を差した。
門の前に、一人の人影が立っていた。
白髪の老人。ゼノンだ。
「お帰りなさい」
ゼノンは、五人を見上げた。その顔には、安堵と誇りが混ざっていた。
「皆無事か」
「ああ」
レインが答えた。
「種子を覚醒させた。完全ではないが、星脈は戻ってくる」
「分かっていた」
ゼノンが言った。
「二日前から、星脈の流れが変わった。古い記録に残された、あの光だ。七百年前の光が、再び世界に満ちた」
マルクスが問うた。
「学院は」
「無事だ。学長も含めて。そして」
ゼノンが目を細めた。
「王都からの使者が来ている。種子覚醒の知らせを携えて。各国の反応は上々だ。死域の拡大が止まったという報告もある」
アリシアが言った。
「世界は、受け入れるのですね。星脈の部分的回復を」
「奇跡は与えられるべきではなく、自分たちで勝ち取るべき」
ゼノンが答えた。
「それが、お前たちが示したことだ。装置を使わずに。権力を使わずに。五人の力で」
ノエルが言った。
「それでいいのか。完全ではないのに」
「完全な解決策など、世界には存在しない」
ゼノンが答えた。
「だが不完全でも、人間が必死に歩み続けることが、世界を変える。それが、あなたたちが証明したことだ」
五人は、学院へと入った。
その夜、レインは自分の部屋で、手紙を書いていた。
セドリック・グレン・ヴァルターへの手紙。母さんへの手紙ではなく、その死を見守っていた三人への手紙。
「星脈の種子を目覚めさせました。完全な覚醒ではありませんが、世界は死にません。エレナ様の願いは、ここまで来るのに、大きな役割を果たしました」
ペンを置いた。
母さんの死を美化するわけにはいかない。だが母さんの死が無駄ではなかったこと。その死が、世界に何かをもたらしたこと。それを伝えたかった。
窓から星脈の光を見ながら、レインは思考を続けた。
前の人生では、目的のために手段を選ばなかった。利益のためなら誰を踏みにじってもいい。そう考えていた。その結果、多くの人を傷つけ、自分自身も滅びの道を歩んだ。
今、この人生では、それを繰り返したくない。だが難しい。母さんの死を目の前にして、何が正しいのか。何が間違いなのか。それが明確ではない。
翌朝、リュカが部屋に来た。
「何してんだ」
「手紙を書いていた。母さんのことを」
「そっか」
リュカが腰を下ろした。
「星脈が少し戻ってきてる気がするな。学院でも感じるだろ。光の質が違う」
「そうだな」
レインが答えた。
「完全な回復には、まだ長い時間が必要だ。何年かかるか分からない」
「でもいつかは、戻るんだろ」
「戻るかもしれない。戻らないかもしれない」
「えっ」
リュカが驚いた。
「だってお前たちが種子を覚醒させたんじゃん」
「完全には覚醒していない。虚相の力が完全には注入されなかった。だから回復も不完全なんだ」
「でも」
リュカが言った。
「それでも充分じゃん。世界は死なないし。皆、生きられる。それで十分だ」
レインは、リュカを見た。その顔は、単純だが確かな信念に満ちていた。
信じること。それは不確実で不完全なものである。だが人間を動かすのは、その不確実な希望なのだ。侯爵はそれを理解していない。権力で、計画で、すべてを支配しようとしている。だが世界はそれでは動かない。
「そうだな。そうかもしれない」
レインが答えた。
その日の午後、ノエルとアリシアは図書館にいた。
星脈の回復に伴い、古い知識が必要とされている。アリシアはそれに気付き、新しい研究テーマを模索していた。ノエルはそれに付き合い、一緒に資料を整理している。
セドリック・グレンは、妻の死後も、静かに研究を続けていた。その姿は、妻への弔いのようでもあり、妻との約束を守り続けることのようでもあった。
「グレン先生」
アリシアが声をかけた。
セドリックが顔を上げた。
「星脈の回復に伴い、古代の魔法体系を研究する必要があります。その際、エレナ様の研究資料が役に立つと思われますが」
セドリックは、何も言わず、かすかに頷いた。
「資料は、いつでも使用できるようにしてある。妻の遺志として」
その言葉に、ノエルもアリシアも何も言わなかった。言葉は不要だった。
数日後、学院の剣闘場でノエルが稽古をしていた。
地相の力を使い、砂を隆起させ、敵を翻弄している。その動きは、エスキナでの戦いを経て、洗練されていた。敵が同じ力を持つ者であっても、動じない。そうした信頼が、身体に刻まれていた。
マルクスも、その稽古に参加していた。いや、参加というより、傍観していた。彼はまだ、自分の道を見つけていない。エスキナでの出来事。母さんの死。侯爵の計画。それらの中で、自分は何をすべきなのか。その問いがまだ解けていない。
レインを見て、ノエルが手を上げた。「塔の準備ができたぞ」という合図だ。
その夜、五人は学院の主塔に集まることにしていた。そこで、エスキナでの出来事を整理し、これからのことを話し合う。その準備をしていた。
レインは宿舎を出た。
学院のキャンパスを歩きながら、レインはかつて母さんとこのキャンパスを歩いたことを思い出していた。春の桜が咲く時期。母さんは、そのピンク色の花びらを見ながら、「人間の人生も、この桜のようなものだ」と言っていた。
「短くて。美しくて。そしてはかない」
母さんはそう言った。
だから、その短い人生の中で、何ができるのか。何をするべきなのか。それを考え続けることが大事なのだと、母さんは言っていた。
今、その言葉の意味が分かりかけていた。
完全に理解するのはまだ先かもしれない。だが、その方向へ向かおうとしているその気持ちが、レインの心を少しだけ温めていた。
学院の主塔へ。
階段を上る。一階から十階へ。二十階へ。その塔は、学院で最も高い建造物。かつて古代統治局時代の遺物であり、今は学院の象徴だ。
最上階へ出た。
四人が待っていた。
その時、五人の物語の次の章が、静かに幕を開けようとしていた。




