第31話「侯爵の真意」
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ダリウスの斬撃は空を切り裂いた。
レインは風相で身を翻し、刃の射程から逃れる。背後でマルクスが識相の障壁を張り、リュカが吸収で星脈を集める。泉のほとりの戦場は、一瞬にして修羅場と化した。
ダリウスの部隊は二十名ほど。だが皆、侯爵の親衛隊だ。実力も統制も整っている。レインたちの五人が相手をするには、あまりに質の異なる戦いだった。
「逃げろ!」
リュカが叫ぶ。だがレインは動かない。泉の傍らに置かれた星脈の種子。それを見ているからだ。光の粒が、かすかに脈動している。
「マルクス。あれは何だ」
マルクスの顔が蒼白になった。
「まさか。侯爵がこんなに早く」
ダリウスが再び襲いかかる。だがその時、ノエルが地相で地表を隆起させた。地割れが親衛隊の隊列を分断する。
「話をしろ」
レインはダリウスに叫んだ。剣戟の合間に、その白髪の騎士の顔を見る。冷徹さの奥に何かがある。迷いのようなものが。
「何故、この場所に来たのか。母さんを殺した男の部下が、何故ここに」
ダリウスの刃が止まった。ほんの一瞬だ。だがそれで十分だった。
「皆、下がれ」
ダリウスが部隊に命じた。親衛隊の兵士たちは上官の指示に従い、退く。戦闘は一時的に中止された。
ダリウスは深く息をついた。長い髪を後ろになびかせながら、その白い瞳がレインを見つめる。
「侯爵は、星脈の枯渇を知っている」
その言葉は、静かでありながら重かった。
「ゼノン殿が発見する以前から。侯爵は独自に調査していた。星脈異変の原因を。古い文献、古い古い知識。五百年前の古代統治局時代の記録も含めて」
マルクスが息を呑んだ。
「そのはずだ。父上の私室には、研究資料が山積みだった。だが俺には見せてくれなかった」
ダリウスが静かに続ける。
「侯爵は知ったのです。星脈が枯渇するということを。世界が停滞に向かうということを。そしてそれは回避できない運命だと」
レインは何も言わない。ただ聞く。
「侯爵の計画は単純です。古代装置を使い、星脈を一時的に制御する。枯渇の速度を落とすのです。完全な解決ではなく、時間稼ぎ。その間に人類が何らかの道を見つけることを祈ってのことでした」
「だからこそ、権力が必要だったと」
マルクスの声は、自分の父親を理解しようとしながらも、怒っている。
「はい。国政を掌握し、古代遺跡への調査を独占し、装置の起動権を手中に収めるために。侯爵は、政治的手段を選びました」
ダリウスは剣を鞘に収めた。親衛隊の兵士たちも武装を解く。
「そして、その政治的手段の一つが、宮廷術師エレナ・アルヴェスの排除でした」
レインの全身が硬直した。
「彼女もまた、星脈の異変に気づいていました。独立した術師として、独自に調査していました。彼女の研究は、侯爵の計画に矛盾をもたらすものでした」
「矛盾」
レインは絞り出すような声で言った。
「彼女の研究が、侯爵の計画以外の道を示唆しかねない。または、侯爵の計画の存在そのものを妨害しかねない。故に」
「排除した」
ダリウスが静かに肯定した。
「俺の母さんを。研究者として危険だから。侯爵の邪魔になるから。そんな理由で殺した」
ノエルが剣を握り、ダリウスに向かって一歩を踏み出した。だがレインが手を上げて制した。
「続けろ」
声は穏やかだ。だが誰の耳にも、その底に何かが燃えているのが分かった。
ダリウスはゆっくりと言った。
「侯爵は、一を犠牲にして万を救う道を選んだのです。個人の研究者一人の命と、世界の存続とを秤にかけ、侯爵は世界を選びました」
「それで許されるのか」
レインが問う。
「人を殺していい理由があるのか。世界を救うためなら、母さんを殺してもいいのか」
「侯爵は、そう判断しました。不完全な判断かもしれません。誤った判断かもしれません。しかし侯爵の心の中には、確かな信念がありました。世界を救いたいという」
「信念で人は生き返らない」
マルクスが言った。初めて、その声は父親への怒りを隠さない。
「信念で何が解決する。母さんが帰ってくるのか。母さんの人生が戻るのか」
ダリウスはマルクスを見た。その白い瞳に、迷いはない。ただ冷徹な忠誠がある。
「否。だからこそ侯爵は、その決定を背負うのです。一生、その罪を背負って」
リュカが呟いた。
「それって、本当に救いになってんのか。背負うだけで」
誰も答えない。
ダリウスが身を翻した。
「侯爵の命令はこうです。種子の覚醒を阻止しろ。古代装置の起動権を守れ。そして五人を連れ戻せ。侯爵は、まだこの計画を、別の道で成就させるつもりです」
「駄目だ」
レインが言った。シンプルに。澄んだ声で。
「俺たちは種子を覚醒させる。それで終わりだ。侯爵の計画も、あの装置も、全部折る」
「不可能です」
ダリウスが答える。
「装置がなければ、星脈の回復は不完全です。永遠に世界は停滞のまま」
「それでいい。その方がいい」
レインは泉に向かって歩む。星脈の種子は、ますます光を強めている。
「その方が、人間らしい」
マルクスが、レインの隣に並んだ。
「父上は間違えた。俺の母さんを殺したことで、間違えた。どんな理由があっても、その判断は誤りだ。俺は、父上を止める。自分の父親だろうとも、俺はそれを止める」
ダリウスはしばし沈黙した。それから、再び親衛隊に命じた。
「引け。これ以上の戦闘は意味がない」
兵士たちが退く。だがダリウスは最後に一言、言った。
「侯爵は失望するでしょう。息子からも。自分の計画からも」
「そうかもな」
マルクスが答えた。
「だがそれでも、俺は人であろうとする。人間であろうとする。母さんを殺す判断を、許すことはできない。たとえ父だろうとも」
ダリウスは去った。親衛隊を率いて、エスキナの深淵へと。
泉のほとりで、五人は立ち尽くしていた。
リュカが言った。
「母さんを殺した男は、世界を救おうとしてたのか。それって何なんだ。何なんだよ」
誰も答えない。
アリシアが静かに言う。
「母さんが大切だったから、レイン。あの話を聞いて、あなたが何を感じてもおかしくない。怒って。泣いて。呪って。全部、許される」
レインは泉を見つめていた。
星脈の種子は、光の粒が渦を巻いている。六相の力を注入した時の痕跡がまだ残っている。だが虚相だけが足りない。その虚相とは何か。
一つの想いが、レインの中に灯った。
不完全な智慧の光ではあるが。希望とも呼べる、微かな光が。
母さんを殺した男は、世界を救いたかった。それは事実だ。だがそのために人を殺した。それもまた事実だ。
二つの事実は相容れない。
だから、自分たちは違う道を行く。一人も殺さない道を。完全な解決ではなくても、歩み続ける道を。
「泉に近づこう」
レインが言った。
「俺たちで種子を覚醒させる。不完全でもいい。だが俺たちの手で」
マルクスが言った。
「母さんが殺されたことは消えない。だが母さんの死に、侯爵の野心に屈することだけはない」
ノエルが言った。
「カルドゥスでは鉄を打つ時に、曲がったら折れる前に直す。今がその時だ。俺たちが」
リュカが言った。
「大事な人を守りたい。その気持ちだけは絶対だ。侯爵の計画も、装置も関係なく」
アリシアが言った。
「完璧な解決策はありません。しかし不完全でも諦めなければ、道は開ける」
五人は、泉へと歩を進めた。
背後には、二つの世界が重なっていた。一つは秩序に満ちた世界。権力と野心で成り立つ世界。もう一つは、不完全だが温かい世界。人の想いで成り立つ世界。
レインは、その二つの間で揺らいでいた。
侯爵の真意が分かったことで、世界がより複雑になったのだ。善悪では割り切れない。正義と悪とで分けられない。
だからこそ、行くしかない。不完全なままで。曖昧なままで。人間らしく。
母さんを殺した罪は消えない。
だが生き続けることは、その罪に向き合うことなのかもしれない。
その罪を背負ったまま、どう生きるか。
その問いに答えるため、レインは種子へと向かった。




