第四章 現代パート「地層のノイズ」
夜明け前、ホテルの窓から外を眺めると、東の空はまだ藍に沈んでいた。
都市の明かりと海の気配が溶け合い、遠くの水平線に白い筋が薄く伸びている。紫苑は呼吸を整え、黒いバッグを肩にかけた。中には折りたたみ式の地中探査レーダーと、小型ドローン、そしてイオナが夜を徹して解析したデータ。どれも旅の供物のように丁寧に詰められている。
【紫苑様。昨日の踏査で得た波形データを再解析しました。宮地嶽神社の巨石群――その地下二メートルの地点に、明瞭なノイズが検出されています】
まだ暗い駐車場に、イオナの声が静かに響いた。
紫苑はハンドルに手を置き、目を細める。
「異常? ただの鉱石反応じゃないのか」
【違います。波形は古代の鉄器や青銅器に類似しています。ただし自然由来ではなく、規則的配置を示します。偶然の埋蔵物ではなく、意図的な“結界”の痕跡と考えられます】
紫苑はハンドルを握り直した。
結界――その言葉に、背筋が冷えた。神域を守る仕組み。もしその中心に和真の「秘策」が眠っているなら……。
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森に囲まれた参道に着いたとき、空はうっすらと白み始めていた。鳥の声がこだまし、湿った風が葉を揺らす。
石段を上り、巨石群の前に立つと、紫苑はバッグから探査機を取り出した。アンテナを地面にかざし、スマートグラスと同期させる。
黒い断面図に光点が浮かび、螺旋を描きながら収束していく。
「ピ、ピ、ピ……」
音は一定のリズムを刻み、やがて結び目のような形を成した。それはただの反射ではなく、まるで意志を持つ記号だった。
「イオナ、見えるか?」
【はい。中心は巨石の真下。和真が“秘策”を封じた可能性が高いと思われます】
紫苑の呼吸が乱れる。目の前の岩はただの石ではない。千年の時を経てなお、光を秘めている。
巨石の脇に小さな洞穴が口を開けていた。地元では「岩屋」と呼ばれる。紫苑は懐中電灯を点け、湿った通路を進んだ。
空気は冷たく、滴る水音が耳に残る。壁面には古い刻線が走っていた。舟を漕ぐ人、星を仰ぐ人、魚を捕る人。宗像の海人たちの暮らし。
だが一つだけ異質な像があった。
胸を貫かれた男が剣を握り、その足元に幼子が立っている。
「……和真」
紫苑の声は洞窟に吸い込まれた。直感が告げる――これは和真の最期。そして隣の子は比古だ。
【解析開始】
イオナの声とともに、グラスに青い光が走った。刻線から仮想の文字が抽出され、符号と座標へと変換されていく。
【解析完了。座標は玄界灘の沖合――沖ノ島です】
沖ノ島。その名を聞いた瞬間、紫苑の胸に重みがのしかかった。
宗像大社沖津宮を祀る聖域。女性は上陸を禁じられ、島全体が神とされる。数万点の奉納品――鏡、勾玉、鉄剣、須恵器――が眠り、国宝や世界遺産として登録されている。
「イオナ……沖ノ島は、いま上陸できないはずだ」
【はい。神職以外の立ち入りは禁止されています。したがって、紫苑様ができるのは海上からの接近のみ。船で一定距離まで近づき、そこからドローンを飛ばして観測を行うのが現実的です】
「……なるほど。科学の眼は、信仰の境界を越えて届くのか」
【届くかどうかはわかりません。むしろ拒絶される可能性も高い。ですが、和真の痕跡が指し示すなら、挑む価値はあります】
紫苑はしばし黙した。
歴史学者としての理性が警鐘を鳴らす。だが心の奥では、これは「調査」ではなく「儀式」だと感じていた。
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その夜、港町の宿で紫苑は窓辺に立った。
外では漁船の灯りが点々と揺れ、潮の匂いが漂っている。イオナのホログラムがデスクの上に浮かび、翌日の計画を淡々と読み上げていた。
【船を手配しました。小型で揺れに強いタイプです。ドローンは二機、可視光・近赤外・熱の三波長を搭載。島の周囲を円軌道で飛ばし、地形と磁気異常を同時に測定します】
「干渉は想定しているか?」
【はい。高濃度の霊的エネルギーが機材を誤作動させる可能性があります。電磁遮蔽を強化しましたが、完全な保証はできません】
紫苑は頷いた。窓外の夜の海を見つめる。
暗闇の中に浮かぶ漁火は、古代の狼煙のように思えた。
「イオナ。もし、科学が拒絶されたら?」
【そのときは、耳を澄ませてください。記録は残せずとも、音は届くかもしれません】
紫苑は微かに笑った。
科学と祈り、理性と直感。その狭間に立つ自分を、いま確かに意識していた。
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翌朝。港に着くと、まだ薄曇りの空の下、海は穏やかに広がっていた。
船が滑り出すと、潮風が頬を打ち、遠くに沖ノ島の影が現れた。森に覆われた小さな島。その輪郭は不思議なほどはっきりしており、周囲の海から切り離されたように浮かんでいた。
紫苑は胸の奥でそっと言葉を紡いだ。
――和真。千年の時を越えて、いま僕はこの海に立っている。
【紫苑様。ドローン、発進の準備完了しました】
「行こう。科学と信仰の境界へ」
プロペラが唸り、銀の小さな機体が空へ舞い上がった。
船上で紫苑は風を受け、瞳を細める。潮の音と機械音が重なり合い、過去と現在がひとつの旋律となって響いていた。




