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第三章 古代パート「潮の道標」

登場人物

比古ひこ:

和真の息子。父の死後、荒廃した倭国で、父の遺志である「盟約」を守り抜くため、静寂を旨とする一族の守人となる。

~時を超えて~


和真の死の報は、静かな波紋のように、しかし確実に倭国全土へ広がった。

だがその波は、やがて荒れ狂う潮流へと変わっていく。


畿内の王は声高に叫んだ。

「和真は和平のために我らに来た。しかし筑紫の王が卑劣にも彼を討ったのだ!」

その叫びは雷鳴のように諸国へ響き、懲罰の軍を集める口実となった。


一方、筑紫の王は言葉を返す。

「和真は畿内を説得していた。しかし逆に罠にかけられ、討たれたのだ!」

こちらもまた憤りの焔を掲げ、迎撃の準備を整えた。


真実は、双方の非難の声に塗りつぶされ、潮に溶けた。

和真の最期の願い――「結び直し」は、一夜にして憎しみの炎に呑み込まれた。

──────────────────────────────

宗像の海辺。

白波の音が絶え間なく砂浜を打ち、風は塩の匂いを運んでいた。村の人々は深い悲しみに包まれていた。和真の従者であった若者が、嗚咽をこらえながら最期の言葉を語る。


「一言、『……潮のように満ち引く。満ちた潮も、やがて引くのだ』と申されて息を引き取られました」


宗像の海辺に横たえられた和真の遺体は、胸を貫かれながらも穏やかな顔をしていた。

彼は最後の力で故郷に近い潮の匂いを道標にして歩み、砂浜にたどり着いたのだ。


村の長老は、潮騒に耳を傾けながら静かに呟いた。

「和真様は最後の希望を我らに託したのだ」


しかし、その希望は炎のように扱えば再び戦火を呼ぶ。

長老と海人たちは決断する。


「これ以上の血を流すわけにはいかぬ。我らは陸の争いから身を退き、潮の知恵だけを次代に残そう」


宗像の舟は次々と引き上げられた。畿内の号令も、筑紫の叫びも、耳には入らなかった。彼らの眼差しは、ただ潮の満ち引きと星の位置に注がれていた。

──────────────────────────────

だが、歴史の嵐は海にも迫っていた。

百済の使者が密かに倭国を訪れる。背後には高句麗の南下の影。


畿内の王は百済と手を結び、筑紫を孤立させようとした。

筑紫は逆に新羅と手を結び、畿内を牽制しようとした。

同じ大地に生きながら、彼らの視線は互いに違う潮の先を向いていた。


さらに北の海からは、新しい民族の影が忍び寄っていた。鉄と航海術を携えた彼ら――のちに「蝦夷」と呼ばれる人々が、海と陸の両方に勢力を築こうとしていたのだ。


歴史の歯車は、和真の死を起点に狂い始めた。

統一を夢見た倭国は再び裂かれ、血と火に沈む「空白の時代」へと転がり込んでいく。

──────────────────────────────

宗像の一隅で、ひとりの少年が父の形見を抱きしめていた。

名は比古。和真の息子である。


まだ幼い手に重すぎる剣を握りしめ、彼は父の言葉を思い返していた。

「比古よ。この剣は争いの道具ではない。お前を守る護符だ」


父の指は大きく、温かかった。

「切っ先は敵に向けるな。剣は己の心を映す鏡だ。迷わぬ心を持てば、剣は道を示してくれる」

水平線の彼方を見つめる父の横顔。その先には、少年には見えない夢が広がっていたのだろう。


比古は剣を抱きしめた。

光は和真の死で一度絶たれたかに見えたが、その剣にはまだ炎の芯が残っている。

──────────────────────────────

その夜、村の長老は比古の手を取り、囁いた。

「和真様の死は、外の者に知られてはならぬ。もし知られれば、この地に再び火が放たれる。だから――記録は焼き払う。口伝も歪める。真実は、我らの胸の奥に封じるのだ」


炎が巻き上がり、竹簡も、帆布も、残された記録は次々と灰へ変わった。

煙は夜空に溶け、潮風に散らされる。人々はただ無言でその灰を見送り、涙を内に押し込んだ。


こうして「空白」は、偶然ではなく、意図的に作られた。

歴史から抹消された和真の最期は、宗像の潮の奥に封じ込められた。


剣を握る比古の眼差しに、揺れるものがあった。

復讐の炎か。あるいは失われた歴史を編み直そうとする希望の光か。

まだ答えはなかった。だが、その胸に宿る小さな火は確かに燃えていた。


潮は止まらない。

波の音は、彼の鼓動に重なり、やがて未来へと続く道標となる。


――和真の死は終焉ではない。過去の残響は、まだ誰かの耳を震わせ続けている。

──────────────────────────────

和真が斃れてから、いくたびも潮は満ちては引き、宗像の浜に細い光の縁を置いていった。

真実は火の底に沈められ、語られぬまま冷えていく。海人の暮らしは再び潮と星に従い、舟は遠浅を渡り、網は夜明けに上がる。人々は意図して沈黙し、静けさの上に薄い日常を敷き直した。


比古は、少年から青年へと背を伸ばした。

父の剣は、いまや護符というより肋骨の一本のように、身に馴染む。長老は折に触れて言った。「忘れて生きよ。それが村を守る道だ」と。だが、比古の胸の奥では、潮の裏側で消えない音が鳴り続けていた――父が最後に残した言葉の残響が。


『剣は、己の心を映す鏡だ。迷わぬ心であれ』


もしも心が曇っているなら、この剣は曇りを映すのだろうか。

比古は夜ごと浜へ出て、波打ち際に剣先を立てた。冷えた風が頬を撫で、足元の砂が逃げる。潮が引けば、砂の中の小石が秩序を失い、やがてまた別の秩序に収まる。――真実もまた、こうして形を変え、別の秩序に隠されているのだろうか。


                     第三章 了


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