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第二章 古代パート「盟約の代償」

~時を超えて~


その潮の上に、一瞬だけ鋼の反射が走った――刃に刻まれた文字が、まだ誰にも読まれていない時代の光で。


台与の死から二年。筑紫の潮も、瀬戸の風も、以前ほど穏やかではなかった。難升米を失った盟約は、徐々に軋みを上げ、結び目の麻紐がほつれ始めていた。

潮の香りはまだ港を満たしていたが、その香りの奥に、鉄と血の匂いが混じり始めていた。

──────────────────────────────

ある朝、和真のもとへ若い従者が駆け込んだ。


「和真様、畿内の王が筑紫の王に貢物を要求しました」


和真は目を細めた。


「貢物……? 盟約は互いの助け合いのためのものだ。強要は盟約に反する」


「しかし、畿内の王は“盟主には受け取る権利がある”と」


和真の胸に、鈍い痛みが広がった。難升米の不在は、潮のない港のように、国の航路を見失わせていた。

難升米が生きていれば、この一言は交渉の糸口に変えられたはず――その思いが胸を刺す。

──────────────────────────────

その頃、畿内の王権は次第に力を増し、瀬戸内の水軍を押さえて吉備・河内・大和を掌握しつつあった。百済との同盟を提案したのも、この畿内の王である。百済は南部朝鮮半島の覇権を新羅と争っており、倭国の軍事力を必要としていた。

百済の背後には高句麗の南下が迫り、近肖古王の百済は生き残るため、倭という盾を必要としていた。


だが、この決断は国内のクニグニに深い亀裂を生じさせた。筑紫は古くから新羅との交易路を持ち、出雲は半島北部から鉄を得ていた。吉備は瀬戸の中継地として両陣営と等距離を保ってきた。百済との軍事同盟は、これらの既得の交易や外交関係を切り崩すことを意味する。

利得を守ろうとする声、先を見据えた同盟を主張する声が、潮の満ち引きのようにぶつかり合った。

──────────────────────────────

和真は、難升米から受け継いだ「潮の番」として、諸国を巡り説得を重ねた。


「海は一つであり、道もまた一つ。潮の流れを断てば、我らすべてが渇く」


しかし返ってくるのは利害の計算と疑念ばかりだった。畿内の王は冷ややかに笑い、筑紫の王は沈黙をもって拒んだ。吉備の王は交易路の遮断を理由に中立を選び、どの地でも和真の声は海鳴りのように虚しく消えていった。

港は閉ざされ、村は飢えに沈み、民の目からは希望の色が失われていった。

──────────────────────────────

やがて高句麗の南下が現実となり、百済救援のための出兵が決まる。


戦の火蓋は、まず海で切られた。潮の流れを読むことに長けた宗像の海人たちと、畿内の水軍が瀬戸内で激突する。火矢が空を彩り、燃え盛る船から海へと投げ出された兵士たちの叫びが響き渡った。

その矢の一筋が、後の世に七支刀の刃文として記されることになるとは、この時まだ誰も知らない。


陸では、交易路を巡る争いが激化し、山間の関所や狭道は血で染まった。塩や鉄が届かず、村々では鍋の底に残ったわずかな穀粒を分け合う日々が続いた。


和真は改めて和平のため、諸国の王を訪ね歩いたが、その足跡の背後で戦火は広がり続けた。盟約を信じる者は減り、各地で独自に百済や新羅と手を結ぶ動きが出た。


決定的だったのは、畿内と筑紫の王が和平の座を開いた、その当日だった。

和真は停戦の証として、自らの剣を抜いて地面に刺した。しかし、彼の声が虚空に響く中、一本の矢が彼の胸を貫いた。

畿内の手のものか、筑紫の手のものか、和真には分からなかった。


「和真様!」

従者が駆け寄り、矢を射た者を追おうとするが、それを和真が止めた。

「……もうよい。」


和真の求めた“盟約”は裏切られ、血塗られた未来を予兆するものとなった。

──────────────────────────────

息をするたび傷口が開き、視界が白く滲む。

途中、従者らが肩を貸したが、和真は首を振り、故郷の潮の匂いを頼りに、ただひたすら歩いた。彼の脳裏には、台与に託された盟約の地図、難升米の穏やかな瞳、そして、かつて共に笑った日々の光景が蘇っていた。


幼い頃、姉の卑弥呼から「地の霊威を司る私に対し、お前は海の道を知る者となれ」と諭され、宗像の地で海人たちと共に暮らした日々が蘇る。荒ぶる潮、穏やかな波、遠い海の向こうに広がる未知の世界。宗像は、彼に世界の広さと、それを結ぶ術を教えてくれた。その故郷の潮が、今、彼の命を繋ぎ止める最後の道標だった。


波打ち際にたどり着くたび、胸の痛みは潮の満ち引きのように強まった。

和真は浜辺で静かに倒れた。彼は、満ち引きを繰り返す潮の音に耳を傾け、最期にこう呟いたという。


「盟約は……潮のように満ち引く。満ちた潮も、やがて引くのだ」


卑弥呼、台与、難升米、そして和真──邪馬台国の系譜が、ついに途絶えた瞬間だった。盟約という重しを失った倭の諸国は、再び小さな海と山に分かれていった。百済との同盟は形だけが残り、やがてそれも霧のように薄れていった。


港の櫓に立つ者はもういない。潮の満ち引きを見守る瞳は閉じられ、海はただ、誰の旗も掲げぬまま波を打ち続けた。


盟約は完全に崩れ、倭国は再び群雄割拠の時代へと沈んでいった。かつて潮が一つだった海は、いくつもの流れに分かれ、互いに交わらぬまま遠ざかっていく――。重しが外れ、鍋の火は再び揺れ始めた。


第二章 了


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