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第七章 古代パート「盟約の残響」

~時を超えて~


宗像の浜辺に、静かな冬の潮風が吹き付けていた。それは、和真が裏切りの矢に倒れてから、すでに二年近い歳月が流れたことを物語っている。彼の死の報は、静かな波紋のように、しかし確実に倭国全土へ広がり、各地に新たな不和の種を蒔いた。台与という盟主、そして和真という橋渡し役を失った倭の「和」の糸は、完全に引きちぎられようとしていた。

──────────────────────────────

25歳になった比古は、宗像の祠に一人、膝をついていた。彼の胸には、父・和真から託された「盟約の剣」が抱かれている。卑弥呼、台与、そして和真と連綿と受け継がれてきたその剣は、今、比古の手にその重みと、途方もない使命を伝えていた。剣の柄に刻まれた古びた文様は、比古の指先に微かな熱を帯び、父の存在を肌で感じさせているかのようだった。しかし、その熱は、比古の心に渦巻く冷たい怒りと、深い悲しみを、決して癒やすことはなかった。


(父上…この剣は、僕に何を示そうとしているのですか。あなたが見た「和」の夢は、なぜ、このような形で終わってしまったのですか…)


比古の葛藤は深かった。父が遺した「静寂」の盟約は、和真の死と同時に、より厳格な形で実行に移されようとしていた。長老たちは、和真が密かに続けていた新羅との交流を一切絶ち、外の世界との関わりを完全に断つことを決めたのだ。それは、和真が目指した「国境を越えた和」とは真逆の道だった。


彼の脳裏には、幼い頃に焚火のそばで父が語った日の記憶が蘇る。

――「比古、剣はただの武器ではない。人と人とを結ぶ橋だ。血を流すために抜くのではなく、心を繋ぐために掲げるのだ。」

そのとき、和真は剣を鞘ごと抱きしめ、比古に向けて静かに笑った。その笑みは今も忘れられない。だからこそ、長老たちが語る「静寂」の道は、父の願いとは別の響きを持って比古の胸に刺さった。


夕暮れの空は、和真の血を映すかのように赤く染まっていた。比古は祠に頭を深く垂れ、父の、そして台与の魂に、沈黙の祈りを捧げた。その祈りは、安らぎを求めるものではなく、迷いと怒りを抱えながらも、自らの進むべき道を探し求める、若き守人の心の叫びだった。

──────────────────────────────

数日後、宗像の広殿で、長老たちが集まって今後の国の在り方について議論を重ねていた。和真の死後、邪馬台国は国づくりを大きく変えた。まず都を友好国だった宇美国から宗像の地を譲り受け、行政を司る都として定めた。狗奴国の脅威が去った霧島は祭祀を司る都として定めることになった。指導は、比古を中心とした合議制へと移行していった。比古は、広殿の中央に座り、長老たちの言葉に静かに耳を傾けていた。彼の表情は、25歳という若さには不釣り合いなほどに、重く、そして疲弊していた。


「畿内の王は、和真を裏切った。筑紫の王もまた、それに乗じた。もはや、陸の者たちに盟約を求めることはできぬ。」


長老の一人が、苦々しい声で言った。その言葉は、皆の心に深く響いた。彼らの背には、幾度となく外の国との戦に巻き込まれ、多くの命を海に沈めてきた歴史がある。潮と星に命を託してきた海人族としての誇りは確かにあったが、その誇りの裏には疲弊と諦めが積み重なっていた。和真の犠牲は、彼らの外の世界への深い不信感を決定的なものにしたのだ。


「これより、我らは外との交流を一切絶つ。和真が密かに続けていた北の国との繋がりも、すべて断ち切るのだ。過去の盟主たちの願いは、今や、この宗像の静寂を守り抜くことにある。」


別の長老が、重々しく宣言した。彼の言葉には、外の世界への深い警戒と、内向きの平和こそが唯一の道だという、揺るぎない決意が込められていた。和真が目指した「国境を越えた和」は、血と裏切りによって、夢と消えたのだ。

──────────────────────────────

比古は、その宣言を静かに聞いていた。父の遺志と、長老たちの決断の間で揺れ動く、激しい葛藤があった。父は異なる者同士が手を取り合う「和」を夢見た。しかし、現実がもたらしたのは、裏切りと死だった。彼の背には、すでに父の剣が重くのしかかり、その使命の重さを否応なく意識させた。


「比古よ。」


長老たちが比古に視線を向けた。


「お前には、和真の遺志を継ぎ、この宗像を、そして盟約の『静寂』を護る『守人』としての使命がある。盟約の剣は、今、お前の手にある。その剣が示す道こそ、我らの進むべき道だ。」


比古は、重く頷いた。だが胸の奥には、父が語った「剣は橋となれ」という言葉が消えずに残っていた。

──────────────────────────────

その夜、比古は眠れなかった。月の光が差し込む窓辺で、盟約の剣を静かに磨いていた。冷たい刃が指先に伝える感触は、孤独な決意の重みだった。剣の柄に刻まれた文様が、闇の中で微かに光を放っている。その光は、遠い過去から受け継がれた希望と、来るべき未来への不安を映し出しているかのようだった。


彼の心は、怒りと悲しみ、そして未来への漠然とした不安で満たされていた。盟約の剣は、父の血に塗られた刃でもある。その剣を抱くたび、裏切りの矢に倒れた父の姿が脳裏に蘇る。しかし、父の最後の言葉が、比古の心に響く。


――『剣は、人を繋ぐ橋となれ。迷わぬ心を持て』


比古は、その意味を深く考えた。長老たちが「静寂」を選んだのは、父が経験したような裏切りと悲劇を繰り返さないためだ。しかし、完全に外との交流を断つことが、本当に父が望んだ「和」なのだろうか。彼は刃をじっと見つめた。その刃には、父の夢と、台与の孤独な決意、そして比古自身の進むべき道が交錯している。


第七章 了

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