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サレンとラシェトを見送ったレゾルテアは、未だしょぼくれているカナサリの額を指で小突いた。
「まだ、落ち込んでいるのですか?」
「…………だって」
「相手は序列持ちの精霊使い。はっきり言って、この国の『導師』ですら真正面からでは勝てない相手です。彼女と戦うということは、嵐に対し銃弾を叩きこむ行為と同じこと」
カナサリの実力に疑う余地がないことをレゾルテアは知っている。
まだ幼い容姿ではあるが、それでもこの国の席に座す魔法使いであれば対等に戦える能くらいだ。
「敗因は言うまでもなく、単なる相性の差です。気にすることは一つもありません」
そしてレゾルテアは、ピクリと片耳を小さく震わすと。
「覗きだなんて。趣味が悪いですね、隊長」
白髪交じりの黒髪に、ヨレヨレのシャツとズボン。
無精髭は伸び切ったままで、丸まった背中のせいかレゾルテアよりも小さく見える。
その男性の名を、イグニア。
魔法学校本校の格子の一人にして、精霊科の担任を押し付けられた人でもある。
「そういうレゾルテア君も、回りくどいやり口は変わらないようだね」
「だれこのオッサン?」
「我々の長官だった人ですよ。今は失職し、ここに左遷させられていますが」
「そういうことだから、よろしくねカナサリ君」
表情が引き攣ったカナサリは、滑るようにしてレゾルテアの背後に回り掌を取ると。
「このオッサン、嫌い」
「気持ちは分かるけど、せめて堂々と言ってあげなさい。こう見えて子供が好きだからね」
「…………その言い方だと、僕を傷つけようとしてないかい?」
「無論、そのつもりですよ」
満面の笑みでレゾルテアは肯定するが、その目つきは一ミリたりとも笑っていなかった。
むしろ、今すぐに激怒したい感情を、第三者では分からない過程を経て笑顔にしているような。
それくらい煩雑な過程を踏まなければ耐えられないほど、今のレゾルテアは我慢を強いている様子だった。
「貴方がやったこと、そして今やっていること。それらは全て魔法防衛局にとって不利益でしかない。まして本物の精霊の存在を隠蔽し、上に報告しないとなれば。死罪では済まないほどの過失になりますよ」
「だからこそ、隠そうとしない僕に怒ってるんじゃない?」
舌打ち。
思わず見上げたカナサリは、青筋を顔面に幾つも浮かべるレゾルテアの笑みだった。
「分かってるなら…………こちらから言うことはありません。学科対抗戦に精霊科が参加されると聞いた時は少しだけ焦りましたが、おかげでもっと大きな獲物が釣れそうですので。そこについてはお礼を申し上げておきます。が」
レゾルテア、そろそろ血管が切れて死んじゃいそう。
カナサリの年相応に近い感想は動作となり、そっとレゾルテアの裾を掴み軽く引っ張った。
「…………いえ。これ以上は辞めておきましょう。こちらとしても、魔法学校に貸しを作るのは避けたいので」
「だったら、精霊科の勝ちを譲ってくれないかな?」
「無論、そのつもりですよ。時刻から察するに三戦目が始まった頃でしょうが、まぁ並の魔法使いであれば普通に勝てる相手を用意しましたので」
少し離れた会場から歓声があがり、レゾルテアは小さく息を吐いた。
「これで少しは懲りてくれると助かるんですが。適性がない者を定期的に送り込んでくるのは、軍に限らず組織の欠陥ですよね」
「ワタシ、あの人ら嫌い」
「大丈夫です。彼らのような良家のボンボンは、往々にして打たれ弱いですから」
「話を聞いた限りは、魔法使いの家系といったところかい?」
ごく普通に雑談に割り込んでくるイグニアに苛立ちを覚えつつも、そこまで邪険にするほどではないかと判断し、レゾルテアはこう説明した。
「厳密にいえば我が国と関係のある豪商の息子です。どうも特殊な魔法を持っていることで自尊心だけ立派になったようで、精神干渉系の魔法は魔法防衛局でも貴重ではありますので」
「精神干渉?」
「いわゆる洗脳ですよ。とはいっても、簡単な命令しか出せませんけど」
加えて平均程度の魔力耐性の持ち主。
こと魔法学校の生徒であれば誰でも扱えるくらいの防御魔法があれば、容易に防げてしまうほど微弱な魔法だ。
どうもその魔法の持ち主は、これがあれば『導師』ですら操れると思い込んでいるらしく。
本校への潜入調査も、上に圧力をかけ強引に決めたと聞いている。
「…………聞くけど、精霊科は誰がいたか分かるかい?」
これで多少丸くなればと考えていたレゾルテアは、そのイグニアの問いに首を傾げた。
なにしろそれは、昔ですら滅多に聞かないほど切迫したものだったからだ。
「シュラ、チョコ、ホムラ、サレン、それにライネだったか。他はいなかったと思いますが」
「一戦目と二戦目は誰が出たか分かる?」
「分かりますけど…………それがどうかしましたか?調べた限りでいえば、こちらの魔法が通用するのは平時のサレンぐらいだと思いますが」
「だったら、これだけ答えて」
そこでレゾルテアは、己の認識が誤りだったと気づく。
「ライネ君は、先の二試合に出ていたか?」
イグニアが抱いている感情の正体。
それは、得体の知れない何かを前にしたような、恐怖だと。
そしてそれと同じ反応をしている人を、サレンは別の場所で目撃した。
「ごめん!遅くなっちゃった!」
息を乱して駆け付けた精霊科の応援席では、異様な空気に包まれていた。
「なにか、あった?」
「…………マズいのよ」
「まずいって、なにが?失格になっちゃった?」
「三戦目。本人が強く志願するからライネに任せたんだけど、相手が精神干渉の魔法の使い手で」
チョコが喋る間、ホムラもシュラも口を開こうとはしなかった。
代わりに、引き絞られた弓の弦ように、全神経を舞台の上へと集中させているのが分かる。
「ライネちゃんって、そういうのが苦手ってこと?でも、学士だし本校に入れるんだから…………」
「違う」
否定したのは、ホムラだった。
そして次の瞬間、チョコは光る立方体である己の魔法具を召喚し起動させる。
「ライネと相性が良すぎるだけ。それも、極めついて悪い方向で」
「悪い方向?」
話を聞いても、場の状況を把握しても、サレンには精霊科の先輩たちが異様に警戒する理由が理解できなかった。
無理もないことだ。
なにしろ伝えられる情報は全て抽象的で、何一つとして具体性がない。
これで理解しろというのは、サレンでなくても無理がある話だった。
「───────うそ」
だが、彼らは等しく魔法使いである。
故に彼らにとってそれは、言語や仕草よりも遥かに分かりやすく。
どれだけの工夫を施しても、絶対に上回らないほど明確な基準が存在する。
「万が一の時は、余計なことは何も考えないで」
そしてチョコは、サレンに告げた。
「全力でライネを止めないと、この会場にいる全員が死ぬわ」




