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文字通り、準備はあっという間に進められた。
「中央にある建物。恐らくは講堂かにゃ?あそこで彼女に試験を受けさせてもいい?」
「た、直ちに用意させます!」
「そう焦らにゃいでも構いませんよ。ガレラのためではなく、彼女のためにもね」
そしてガレラは「少し暇を貰いますね」とだけ告げ、つかつかと人混みの中へと消えて行ってしまう。
彼女の後ろ姿を呆然と眺めていたサレンは、近くで聞こえた舌打ちで思わず正気を取り戻した。
「…………ケッ、随分とお高くまとまりやがって」
恐らくサレンにしか聞こえないくらいの声でそう呟いたあと、取り巻きと共にその場を後にする。
「サレンちゃん」
シルフィの声。
サレンはそこでようやく、呆然と立ち尽くしている暇はないことを思い出した。
「あぁそうだった。試験、なにすればいい?」
「ひとまず、部屋に戻りましょう」
言われてから気づいたが、奇怪な視線が容赦なくサレンに注がれている。
当然の反応だ。
多くの生徒も先生でさえ、声がかかるとすればシルフィかラシェトだと思ったはずだ。
それが、まさかサレンだとは。
当の本人でさえ青天の霹靂のような出来事なのだから、赤の他人が驚くのも無理はない。
「…………なんか、すごいやりずらいんだけど」
「それくらいのことなのよ。それに…………」
そこで一度言葉を区切ってから、シルフィは静かにこう口にした。
「まさか造形科の『導師』が来るなんて。サレンちゃんの得意と一致してるだなんて、絶対に偶然じゃないわ」
「…………だったらいいけどね」
できすぎている。
いくらサレンとて、この状況を手放しに喜べるほど阿呆じゃない。
(一番ありえるのは、私がロアの封印を解いたから。それを知ってか、あるいは気づいてか。あの箱に何か仕掛けがあったかも。今となっては分からないけど、単なる幸運にしては都合がよすぎでしょ)
走らない程度に早足で自室に戻ると、部屋に転がっている毛糸の玉で遊んでいるロアの姿があった。
「私らがいないのに、姿はそのままなのね」
余りに平和な光景に思わずそう尋ねると、ロアはなんてことない様子で。
「『さほど広い部屋とは呼べないのでな』」
そう答え、器用に毛糸の玉を口に加え整頓されたカゴに片付ける。
「『それで、しんろ、とやらはどうなった?』」
「…………意外ね。精霊ってそんなことが気になるもの?」
シルフィの本心からの問いに、ロアは少し心外だと言わんばかりに眉を顰めると。
「『あれだけ騒いでいれば、嫌でも気にはなるだろう。なにより、現状は盟友ら以外の人間のことを知らんのでな』」
「そりゃそうだ」
「『で、『導師』とやらには会えたのか?話し込むには少し短いとは思うが…………人の尺度を小生はよく知らぬ故、見当違いであれば先に謝るが』」
何故か親身になっているロアに対し、サレンはシルフィに視線を向け、互いに頷いてから口を開いた。
「会えた、には会えた。だけど、相手がちょっと都合が良すぎるのよね」
「『…………何か問題でも?』」
「ここに来た目的がロアの可能性があんのよ」
「『そういうことか』」
ロアは後ろ足で自身の耳近くを掻くと。
「『ありえなくはない話だな』」
「ありえるんですね」
「『無論、今の時代を詳しく知らん以上は断言はできぬが、そうではないと否定する材料がないのも事実だからな』」
「…………ま、肯定する論拠はあるけどね」
ロアの目覚め。
それが魔法使いたちにとって、ひいては本校にとって不利な状況を齎すとすれば。
恐らく向こうは対象の回収か、あるいは隠密な処理を狙ってくる。
「はっきり言って、私はその可能性は低いと思う」
「その心は?」
「噂通りの人なら、あの『導師』は現体制には反対派。というよりも、現体制が彼女の在り方を根本的に否定して認めようとしてない。そこで揉めてる以上、本校の命令に彼女が従うとは思えないもの」
「…………あの、さ。シルフィって、どこまで知ってるわけ?その、ガレラって人のこと」
ロアも興味があるのか、ベットに腰かけるサレンの膝の上に乗ると、真っすぐシルフィの顔を見つめた。
「分かってることは三つだけ。一つは、あの人は本校でも異質すぎて浮いてること。二つは、その思想のせいで結構な魔法使いを敵に回してること。特に前提知識を全否定するってのは、今の魔法体系にそぐわなすぎるもの」
「魔法って、基本的に血統主義だもんね」
魔法は先天的な才能に大きく左右される。
そして、優れた魔法使いの子は、親と同じ優れた素質を有している。
これは背丈の大きな親の子が、親と同じ程度に大きくなるのと同じで。
魔法使いの一族は、己の血を継承することで魔法と長く、太く成長させてきた。
「大きな後ろ盾もない。名の知れた家の生まれでもない。とりあえず、私の家でも彼女の素性は調べられなかったって御父上が話していたわ」
「…………むしろ怖いわね、それ」
シルフィの生まれたアルクメネ家は、魔法使いの中でも指折りの名家だ。
彼女の家が持っている情報網や人脈は、恐らくラシェトの家よりも遥かに優れている。
そのアルクメネ家が尻尾さえ掴めない人物。
はっきり言って、砂漠から砂金の塊を見つけるくらい不自然だ。
「最後の三つ目は。これは敢えて言うことじゃないけど、彼女の魔法の実力は紛れもなく本物ってこと。少なくとも、後ろ盾もなしに『導師』になれるなんて、よほど実力が飛び抜けてないと不可能だと思うわ」
「…………そんな人が、よりにもよってロアと出会った翌日にアポなしで来た。これで何もないは無理がありすぎるか」
だが、どれだけ思慮を巡らせたところで、現状が変わるわけじゃない。
むしろ余計な詮索は、向こうの気紛れを変えてしまう恐れだってあるのだ。
「『小生の力を使うか?』」
黙り込む二人に、ロアは慎重な口ぶりでそう尋ねる。
「『契約するのではなく、一時的に魔力を譲渡する。これであれば、恐らく禁忌とやらに触れることもないであろう?』」
「ロア、よく禁忌なんて言い回しが出てきたわね」
「『サレンの机に置かれた書物を読んでな。少なくとも、精霊と契約するだけでも相当な不利益を被るのは理解している』」
それでも提案してきたのは、恐らく今の状況を呼んでしまったが故だろう。
どこか人間らしい反応に、サレンはロアの頭を軽く撫でると。
「でも、それってロアに何もメリットないでしょ?」
「『…………それは、そうだが』」
「それに、向こうの要求に魔法の実技はなかった。あっちもきっと、私に才能がないって分かってると思う」
何気なく出てきた言葉だったが、ロアはピクリと口髭を動かす。
「気持ちはマジで嬉しいけど。急に魔力が増えるほうが余計に怪しいし、下手に何かするほうが危険かなって」
その言葉を受けてから、ロアはサレンの膝から脱出すると。
「『相分かった。ならば、小生は『脈動』の名において、盟友の成功だけを祈っておこう」
ロアの言葉には親身さが溢れていた。
サレンはそれをゆっくりと、丁寧に咀嚼するように頷いてから。
「…………うん、うん。なんか、ちょっとだけすっきりしたかも」
「大丈夫?」
「元々、ダメもとで交渉しようって話だったわけだしさ。寧ろ大チャンスだって思わないとね」
ニヤリと。
今から悪戯を仕掛ける悪童のように、サレンはシルフィに笑みを向け。
「それに、近くでシルフィが見守ってくれる。それだけで、私は何倍だって頑張れちゃうんだ」
「…………サレンちゃん」
「だから、信じて応援してて」
ゆっくりと。
その両手を取り、コツンと額を合わせてからサレンは囁く。
「必ず、一緒の学校に行くから」
「…………分かった」
取られた手に指を絡め、軽く握ってからシルフィは言う。
「来年も一緒にいられるよう、私も願ってる」
出生も立場も身分も。
その何もかもが違いながらも。
二人は不思議なほど気心が通じ合っていた。
だからこそ。
二人は想像すらしていなかった。
これから起こる、二人を別つ出来事を。




