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サメに類似する凶暴なそれは、会場にいる魔法使いであれば誰でも分かるほどに危険な代物だった。
それを容易に止めたことで、異様な空気は一瞬だけ静寂に変わる。
「よい、しょぉお!」
サレンは魔獣の顎を掴んだまま、片手でその巨躯を投げ飛ばした。
さながらぬいぐるみを放り投げるように、魔獣は横に煽られ地面へと激突する。
「なっ、なんだと!?」
「余裕だなぁ!エリートさまよぉ!」
一歩だった。
駆ける、というよりも翔けるように。
天空を舞う鳥と見紛うほど静かな運足で、サレンは対戦相手の懐へと潜り込む。
「っ、これしき!」
予想外の事態ではあったが、それでも相手は怯まない。
携える書物に魔力を込め、接近したサレンへの迎撃を試みる。
「遅い!」
だが、それは致命的に悠長な動作だった。
サレンの相手が携える書物は、ページを選び、開き、そこに記された魔法が発動する仕組みになっている。
どれだけ省略したとしても、発動までは三つの工程が必要だ。
いちいち魔方陣を描いたり、長ったらしい詠唱を唱えるよりは早いかもしれないが。
こと相手の迎撃範囲に晒された今、それは遅いを通り越して慢心に近い。
「がっ!?」
相手はサレンよりも頭一つ大きい。
細身だが性別による骨格差と、純粋な魔法使いとしての力量を踏まえれば、生半可な打撃では反撃に遭うリスクがある。
「っ、このっ!?」
狙いは、顎。
垂直に上ではなく、やや斜めから押し上げるようにして殴ることで頭を揺らし。
同時に、整頓された相手の思考ごと、その戦略性を引き剥がしていく。
「っ、舐めるなぁあ!!」
一度潜られ、先手を許してしまえば、対格差は逆転する。
サレンの打撃は常に上向きに放たれるため、掠めるだけで頭を揺らすし。
相手は小さいサレンへ、自分に影響がないよう魔法を調整している余裕がない。
なにより。
一番の切り札である召喚魔法で呼び出した魔獣は、本来なら接近さえ許さない代物だ。
学士にまで登り詰めた魔法使いが、他の選択肢を用意するという思考は備えていなければ。
大前提として、対処されるという不名誉な状況を想像すらできていない。
「ガッ…………!?」
故に、決着は早かった。
動物科の中でも指折りの召喚魔法使い、魔法統括局でも実績のある一族の後継者は。
ものの一分足らずの間、何もできず一方的に殴られ続け、糸が切れたように地面に倒れこんだ。
「…………ふぅ」
対してサレンは一息つくと。
倒れた男の体を足で動かし、首元にあるペンラントを軽く踏みつけた。
「これで終わり、でいいのよね?なんか審判とかいないけど、勝手に退場したら即失格とか洒落にならないし」
遅れて、花火のような音と共に、勝者を称える文字が空中を泳いだ。
ただしそれは、精霊科の敗北を祝福するものだったが。
(「性格悪っ、って文句言いたいけど。こっちもこっちでズルしてるしなぁ)」
(『我が言うべきことではないが、そちは何を考えているのだ?』)
精神世界。
厳密にはサレンの思考に、ロアではない別の声がからんと響いた。
(「何…………って言われても。普通に戦って、勝った以外になくない?」)
(『違う。我が言いたいのは、何故『進化』の加護を使わないのかという話だ』)
『進化』。
それは水の精霊序列二位であるパンサラサの加護であり、あらゆる生命に変化を強制させるもの。
その効果範囲は一つの生態系を歪めるほどであり。
本来なら数万年かかる時間を、たった数秒にまで短縮することのできる魔法でもあった。
(『我の力を使えば、あのサメのような召喚獣をそちの眷属にすることもできた。なによりも、あんな派手に投げ飛ばした挙句、いつ襲られるか分からないまま放置するのは正気を疑う行為だと思うが?』)
静まり返った会場を眺めながら、サレンは素知らぬ顔で観客席までの進路を歩く。
(「そりゃ、そっちのほうが安全かつ確実なのは分かるけど。これは学科対抗戦で、言っちゃえば学校行事の一つでしかないわけ。そんななかで、遠慮もなく相手の魔法を強奪するとか。やったら絶対に問題視されるでしょ」)
サレンにとってこれは、優勝して賞金を得るための戦いだ。
無論、学士を得るのに役立つ可能性もあるが、一番はろくに整備されていない学舎の改修費用を手に入れること。
ただそれだけのために、わざわざ要らぬ恨みを買う必要はどこにもない。
(「それに、あんまり派手にやったらパンちゃんの存在がバレるかもじゃん。ただでさえ服装と髪色が変わってるわけだしさ」)
(『誰がパンちゃんだ小娘。クレアはともかく、そちにそう呼ばれる理由はないと思え』)
(「はいはい。パンサラサ大先輩は優秀で素晴らしいですよっと」)
(『そち、さては我を軽んじているな?』)
(「できるなら、とっくの昔にしてるって」)
どちらにせよ、第一戦を勝利するという目的は達成できた。
サレンは精霊科の観客席へと戻ったタイミングで、パンサラサの魔力を切り元の姿に戻る。
「あなた、戦う度に変身するヒーローでも目指してるわけ?」
やや呆れた様子のホムラにそう尋ねられ、サレンは困った様子で笑うと。
「それくらい恰好いいなら、まだ良かったんだけどね」
実際のところ、精霊の力には幾つかの代償がある。
例えばパンサラサと契約するクレアは、幼子の姿から一切の老いを経ていない。
そして同時に、痛みに対してどこか鈍感で、サレンの拳を新鮮なものに感じていた。
(…………普段なら過剰な魔力隆起で体が痛むんだけど。単なる気のせいってわけじゃなさそうかな)
サレンの体は、サレンが保有できる魔力を流す程度の通路しか持ち合わせていない。
魔力に対する解釈は様々だが、サレンは自らの魔力を液体と捉え、血液と同一視する形で制御していた。
従って、精霊からの魔力を自らの内側に流し込むと、その量に対し通路が全く足りていなくなり。
結果として、筋肉痛に近い痛みと、頭痛に似た痛みが一定時間発生するのだ。
(それでも、勝てたんだから問題ない)
相手が弱い、なんてことはない。
精霊の力を借りてなお、魔法で倒せない時点でサレンの力量は分かり切っている。
だからこそ、この痛みは自らへ向ける戒めなのだ。
(驕るなよ、私。凄いのは精霊なんだから、これぐらいの代価は当然なんだから)
果たして、それは誰に支払うものなのか。
答えてくれる者はおらず、学科対抗戦は進んでいく。
次に向かったのは、ホムラ。
対戦相手と同じ、動物科に属していた二回生である。




