6
翌日、サレンは地質科の講義が実施される講堂にいた。
一回生であれば全学科の生徒が受けられるという触れ込みだからか、サレンが到着した時には百人近くの座席は殆ど埋まっていた。
特に顔見知りもいないサレンは、窓際の席に適当に腰かけ、そこに講師が姿を見せると講義はすぐに始まった。
「…………」
「『退屈か?』」
手のひらサイズにまで縮んだロアは、机の上からサレンにそう尋ねる。
(『退屈っていうか、これ途中から聞いても分からないなって。どうみても専用の教材とか必要っぽいし』)
完全に無計画で来たサレンが悪いのだが、どうやら初回の講義で指定された教材の購入が指示されていたらしい。
とはいえ、本校での進級要件に講義の受講数はないので、購入が義務ならサレンは放棄してた可能性が高いのだが。
(『小生が思うに、盟友は学生なのであろう?それならば、多少値が張ろうと教材を購入すべきではないのか?』)
(『それで加点があるなら無理しても買うけど、そういうのは基本ないし。というより、精霊科だろうと造形科だろうと、派閥が違うから加点はしない、なんてこともありえるのよ』)
(『…………中々に難儀なものだな』)
(『ほんと、ちょっと舐めてたわ。色々と』)
それでも地質科の講義を受けに来たのは、一重にライネの所属していた学科だからだ。
クレアとの通話のあと、サレンは一つの結論を出していた。
それは、ひとまずホムラではなくライネと仲良くなり、あわよくばホムラとの接点を作ろうというもの。
見ていた限りでは、ライネはサレンに悪い印象を持っている様子はなく。
前日の申し出も、ホムラの言う通りならライネが提案したらしい。
つまりは、ライネにはサレンと仲良くする意思があるということ。
少なくとも、私あなたと関わりません、としているホムラよりは話ができるはずだ。
(だから試しに思ったけど、やっぱ本校の講義はレベルが違いすぎるな…………分校で見た覚えのある単語がちらほらあるけど、理解のきっかけにもならないや)
こうして椅子に座り、机と向き合うと、サレンは分校時代に蓄えた知識を自然に思い出せる。
とは言うものの、やはり途中参加の遅れは致命的で。
必須の教材がないのも相まって、理解どころか聞き取ることすら難しくなっている。
(…………とりあえず、クレアの言う通り誰かと話をしないと。一人であれこれ考えてても何も解決しないし、ロアは聞いてはくれるけど新しい情報は持ってないだろうし)
小さくなったロアは、サレンが持ってきたペンを前足で触りつつ、転がる様を眺め驚いている。
これだけを見れば猫にしか見えないが、これでも土の精霊の序列二位なのだ。
その小さな体の内側には、サレンとは比べようもないほどの魔力が秘められている。
(シルフィに頼るのは避けたいけど、他に当てがあるわけでもないしなぁ。ラシェトは、まぁ、うん)
数少ない精霊科以外の顔見知りの姿を想起し、講堂に鳴り響く鐘の音を聞いてから答えを出す。
(決めた。植物科の区域はすぐ隣だし。シルフィに話を聞いてもらお。ついでに、頭を撫でてもらって、一緒にお茶でもできたらいいなぁ)
あれだけ退屈だった講義も、先の楽しみがあると全てがどうでもよくなる。
するりと頭へ登ったロアの位置を整えつつ、サレンはやや駆け足で植物科の区域へと向かう。
本校の敷地は、大きく分けると十四の区域に分類できる。
外部に面する通りと大門、大食堂や大広間がある共有区域と。
各学科の生徒だけが日夜を過ごす、学科専有の区域。
その外側に配置される精霊科を除き、円盤の時計のように規則正しく並んでおり。
隣接する学科同士は、基本的には派閥ごとになっている。
植物科は地質科と同じ自然派。
専有区域も隣なので、ほんの数分くらいで向かうことができる。
「おかえりください」
「…………え?」
「おかえりください。ここは、植物科の区域になります。余所者の侵入は、第一席の許可を得た者を除き禁止となっております」
だから、サレンは突然の制止に驚くことしかできなかった。
相手は男女二人の魔法使いだった。
どちらも手には魔法行使のための杖を握っており、その眼光は鋭く敵意が放たれている。
「地質科への踏入は不問とします。元より、他学科生の来訪を前提としている講義を開いている最中です。それについては、こちらは深く追求はしません」
「ですが、理由もなしに植物科への侵入は到底認められません。なにより、貴女はあの精霊科の生徒。好き勝手に歩き回られるのは、はっきり言って迷惑なのです」
サレンの制服の胸ポケットには、黒猫が描かれた精霊科のシンボルが縫われてある。
これは各学科でデザインが変わるもので、目の前にいる植物科の生徒の場合、シンボルのモチーフは一頭の虎だった。
(ロアが真っ白だから変に思うだけで、普通は虎って黄色と黒の縦模様よね…………)
植物科の生徒の対応は、客観的に見れば不当なものだった。
そもそも特定の学科生だけを排斥する運動そのものが禁止されているし、その行為は学び舎に属する人間として相応しくない。
過去に精霊科の生徒が何かしたのかもしれないが、それをそのままサレンに適用するのは些か乱暴な意見だと言える。
「分かった。そういうことなら、すぐに帰るよ」
だが、サレンの内情は、既にそれを通過していた。
なにしろ、今まさにサレンは大勢からの視線に晒されている身。
植物科へ続く道で唐突に制止されたのもあって、近くを通る生徒が数多くいる状況だ。
なにより、相手が精霊科と言った途端、向けられてた視線が露骨に二分化された。
こちらに関わらないでくれと、自己保身のために避ける者と。
こちらに近づくなと、大義名分を掲げ正義を為さんとする者。
(精霊と契約することは、魔法使いにとっては一番してはいけない禁忌そのもの。それを積極的に破った挙句、堂々と本校に残ってるんだから。そりゃ好意的には見られるわけないか)
クレアとの出会いで、サレンは序列持ちの精霊の恐ろしさを十分に理解できた。
方法次第では、本当に国一つを平気で変えられてしまうほどの力だ。
それを一個人が、その意思によって自在に行使できるとすれば。
怖いと恐れ、使うべからずと考えるのも充分に理解できる。
(…………帰ろ。シルフィには、また別の機会で会えばいいよね)
思えば、本校に入学してから一度も会えていないのだ。
三年間、ずっと傍にいた親友から離れるのは。
寂しいよりも、ただただ息苦しい。
「おっと」
「あっ、ごめんなさい」
気が付けば、サレンは共有区域にまで戻っていた。
元より講義を受けていた行動が共有区域に近いのもあってか、考え事をしながら歩けばすぐに着く距離ではある。
だが、そのせいもあってか、大勢が歩く通りでぼんやりと歩いてしまい。
結果として、サレンはそのなかの一人に頭から突っ込んでしまったのだ。
「こいつは珍しい。噂に聞く精霊科の精霊使いじゃないか」
「…………っ」
サレンを知っている人間。
そう理解できた途端、サレンの体は本能的に退避を選んでいた。
「オイオイ待て待て。そう邪険にしなくても、別に取って食ってやろうってわけじゃねぇんだ。珍しさついでに、ちょいと話がしたくてな。今ひまか?ひまだよな?」
背丈の大きな男の人だった。
褐色の肌と赤色の髪、両耳につけたピアスは彼の野性味をより強めているように見える。
「オレの名はザナード・ラバガラ。文学科四回生、専門は暗号と符丁の解析、好きなものは甘味全般だ。よろしくな、精霊使い」
男は名乗り、そしてニカっと笑った。
それは太陽のように眩しく、同時に肉食の獣のように少し不気味にサレンは思うのだった。




