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シルフィの予感は、特大の嵐となって現実のものになった。
「『…………静かなものだな』」
サレンとラシェトが戦った、翌朝。
精霊であるロアは用意された即席の寝床から起き上がると、前足を伸ばし全身を伸ばしてからそう呟いた。
「『流石に眠るのか』」
ひょいと飛び上がり、勉強机の上へ。
そこから見下ろしたサレンの寝顔は、ロアから見ても分かるほどに険しいものだった。
(あれだけの消耗だ。なにかあったのだろうと推測できるが…………)
とはいえ会って数時間でそこまで踏み込めるほど、ロアという精霊は無遠慮な存在ではなかった。
むしろ人間らしい配慮があることが、ロアの特異性を示しているとも言えるが。
(こちらの少女。確か名をシルフィと言ったか。なるほど、これほどの才覚があれば、小生の魔力を封じこめることもできるわけか)
幸運だと、ロアは素直に思う。
少なくとも並の魔法使いならば、ロアと対面した時点で狼狽し発狂していたかもしれない。
その点でいえば、紛れもなくシルフィは優れた魔法使いなのだろう。
「『…………さて。無意味に惰眠を貪った手前、このまま寝顔を眺めるだけというのも味気ない』」
静かに床を降り、ゆっくりと二人の間を通り抜け。
辿り着いた廊下に続くドアに、ロアはちょんと前足で触れる。
「『とはいえ、下手に出歩くのは得策ではないな』」
いくらロアとて歓迎されているかどうかは分かる。
その点でいえば、サレンとシルフィの反応は些か奇妙だった。
(…………厳密に言えばサレンが、だがな。とはいえ、情報がない中で無理をする理由がない)
そこまで考え、踵を返した直後。
「『…………?』」
ドタドタドタ!
何か急な出来事が起きたかのような、そんな慌ただしい足音がドア越しに部屋まで響いた。
「…………んぅ…………何事?」
「…………おはようございます…………いま、なんじ、で…………」
連続して響いたからか、寝ぼけたまま二人がゆっくりと体を起こす。
その様子をみたあと、ロアはそっとドアに体を近づけた。
「『…………』」
「ロアぁ…………あれ、そこでなにしてんだぁ…………?」
「ふぁ…………こんな朝早くに、いったい何があったのでしょうか…………?」
「『…………『導師』?』」
たった、一言。
ロアがその言葉を発した途端、二人は猛烈な勢いでロアが張り付くドアに駆け寄ってきた。
「『な、何事だ!?』」
「ロアちょっと静かに!」
「…………この足音。恐らく相当な人数が走ってますね」
「先生だけじゃなさそう?」
「多分だけど」
「『すまぬが、一体何がどうしたのだ?』」
一般的な猫の大きさのロアに対し、サレンはドアに当てていた耳を離すと。
「私も聞こえたから説明するけど、『導師』ってのは超凄い魔法使いの通称」
「本校。この国の全ての魔法使いが属する、魔法学問の総本山がありまして。そこに属する最魔法使いのなかで、国王から正式に認められた存在を『導師』って言うんです」
「元々は魔法の指導を認められたって証で、本校の先生を任命するものなんだけど。今は優れた魔法使いに贈るものって感じかな」
「『…………理解はできたが、それがどうしたのだ?』」
「噂があったのよ」
「『噂?』」
首を傾げるロアを抱きかかえながら、サレンは自身のベットに腰を下ろしてこう説明する。
「今は将来の進路決めの時期で、私とシルフィもそうなんだけど。そういう時期になると、特に本校への進学が決まってる優秀な生徒を、『導師』が直々に挨拶に来ることがあるって」
「あくまで御父上からの手紙なのですが。近く、そういう人が来るかもという話はあったんです」
「こんな地方の中等校舎だと、恐れ多くて『導師』なんて単語も出ないからね。でもそういうことなら、この騒ぎようも説明ができるから」
そう喋りながら、サレンはしきりにロアの体を撫で、シルフィも手指を何度も擦り続けている。
明らかにそれだけではない様子を前に、ロアは少し黙っていると。
「…………視察に来た『導師』が、視察で見つけた生徒をヘッドハンティングするって話があるの」
ポツリと。
口にしたサレンよりも、むしろシルフィのほうが大きく反応した。
「可能性は低いけど、私には七年間積み上げた知識がある。もし、話せる機会があれば、それを武器に交渉できるかもしれない」
「『…………なるほど、な』」
つまるところ、サレンにとって今後の生涯を決める重要な局面が訪れたのだ。
ロアには二人が話した内容のほぼ全てを理解できていなかったが。
それでも二人が欲していた機会が巡ってきて。
あまりに急すぎる幸運に、考えが整理できていないことは理解できる。
(この様子を見る限り、小生と契約を結ぶことはなさそうか…………)
ロアの存在が、今の時代では忌み嫌われていて。
話に出てきた本校が昨日のそれと同じなら、ロアと関りがあること自体が既にダメなことなのだろう。
「やばい。本当にどうしよう。これ、本当に現実だよね?まだ寝てたりする?」
「大丈夫よ、サレンちゃん。とりあえず、どの『導師』が来てるか見に行かないと」
「そ、そうだった。専門が何かで話す内容を決めないといけないし」
慌ただしく準備を進める二人を眺めながら、ロアは静かに決意する。
(…………互いに執着する理由もないが、このまま去るのも少し気になる)
サレンとシルフィには寝床を用意してもらい、存在を匿ってもらった恩がある。
ならば、そこまで大切に想うそれの結末くらいは見届けたい、と。
(しんろ、とやらが分かったあと。小生はここを去るとしよう)
ロアは口にすることなく、準備をする二人を眺めているのだった。




