24
腹の奥底が熱い。
熱した鉄の棒を強引に押し込まれたように、藻掻いても苦しみが延々と終わらない。
「散漫すぎます」
そんな状態のサレンは、地面を這いずる中でその言葉を聞いた。
「サレンさんは、先天的に魔法適性が低かったのが大きいんでしょうけど。全身への魔力強化が雑すぎるんです。頭からつま先まで、隙間のないように魔力を巡らせてください」
どこかで聞いた声だ。
やつれながらも芯のある声は、呆れが混じりながらも見放さないと思える温かさがあった。
「優秀な魔法使いほど、全身に魔力が満たされた状態で安定しているんです。生まれ持った保有魔力量があるからこそ可能な技術ですが、今のサレンさんなら同様のことができるはずです」
意味をいくら考えたとて、この苦しみが終わる気配はしない。
サレンは言われるがまま、ロアの魔力を放出するのではなく、自らの内側に蓄えるよう集中する。
それと同時に腹から手足に魔力を巡らせ、同時に胴体へと魔力を留まらせる。
「精霊の魔力は、文字通り無限に近しいもの。まして序列持ちとなれば、その魔力は世界の断片だと捉えても支障はないでしょう。必然的に、その加護を受けるサレンさんも同様です」
「…………っ、ぅぅ」
「流石、魔力操作は一流ですね。生来の保有魔力量の少なさがそうさせているのでしょうが、本校の生徒でも魔力操作が雑な者が多いですから。その点は大きなアドバンテージになりますよ」
「…………いぐ…………にあ?」
白髪交じりの黒髪に、いかにも疲れ切った表情。
覗き込む様子でも猫背なのが分かるほどに悪い姿勢は、一度しか会ったことのないサレンでも記憶に残る佇まいだった。
「今は、治療に専念してください。それと、可能ならばそこの精霊使いの治療もお願いします」
「…………くれ、っ!?」
咄嗟に友だちの名前を叫ぼうとしたサレンは、腹部に走った激痛に思わず呻き声を挙げる。
「無理は禁物です。相性のおかげで今は無事ですが、本来なら生死を彷徨うくらいの大怪我ですから」
イグニアにそう言われたサレンは、涙で滲む視界にてそれを目撃した。
「それに、こちらは既に終わってますので」
倒れているのは、セジリオだった誰か。
全身が黒く、胸の中央が燃えるように紅い人型の怪物。
それが、サレンに劣らないほどにボロボロにされ、床に手足をついていたのだ。
「こういう、人の神経を逆撫でするような悪趣味な手法を好む者には心当たりがありますが。どのみち、そんな簡単に尻尾を出すなら誰も苦労してませんからね」
「…………イグニア!」
思わず叫んだサレンは、次の瞬間にそれを見た。
飛び掛かるセジリオは、何かしらの魔法で自らの武器である斧を巨大化。
サレン諸共、イグニアを両断せんと横薙ぎの一撃を払う。
狙いは正確で、なにより動き出しから攻撃まで異様に早い。
もしサレンが万全でも反応できたか分からないほど、規則性の掴めない攻撃だ。
だからサレンは、叫んでおいて手遅れだと直感した。
名を言い終えるより先に、セジリオの斧がイグニアに届くと。
だから。
「そう叫ばずとも平気ですよ」
顔面から床に激突させられたセジリオに、サレンは目を白黒させることしかできなかった。
「…………え?」
「確かに筋はいいですが、理性を失い獣のように暴れるだけでは。せっかくの努力が水の泡です」
そこでサレンはあるものを見つけた。
(…………セジリオの斧を、二指で挟んでる?)
人差し指と中指。
斧が迫る側の手が、セジリオの斧を摘まんでいるのだ。
そしてサレンは、信じられないことに気が付いた。
(もしかして、掴んだ斧を通してセジリオの動きを支配してるの!?)
目を疑う光景だが、見れば見るほどにそうとしか思えない。
なにしろ、床に叩き付けられたセジリオは呻くだけで起き上がろうとしないのだ。
プルプルと震える体は、苦し気な声を発するだけで動く気配はしない。
「せっかくですから、一つサレンさんに講義をしましょうか」
「…………なんで?」
殆ど素でそう尋ねると。
「押し付けられた役割ですが、それでも一応はサレンさんの担任教師ですからね。たまには悪くないでしょう」
ジタバタ暴れるセジリオを手玉に取りながら、イグニアは淡々を講義を始めてしまう。
「サレンさんと、そこの精霊使いさんを襲った技。それは高い純度の魔法になります」
「…………高い、純度?」
聞き覚えのない単語だ。
他の一般教養ならまだしも、魔法に関する知識量では自信のあるサレンにとっては意味が異なる。
「魔法とは、極めるほどに人には認知できないものになります。より高度になればなるほど、必然的に魔法は現実から乖離していく」
バガン!と。
鈍い音がした直後、セジリオが床を砕き宙へと飛んだ。
「サレンさんらが躱せなかったのは、それがあることを知らなかったからです。実力不足が要因ではないと、そこは勘違いしないでください。そして、一度知ってしまえば、それは単なる既知の事象へと変化します」
来る。
ざわりと、肌の穴が開いたような。
寒気と悪寒の狭間にあるような、思わず足の竦む予感がサレンの全身を包んだ。
「あらゆる物事は自ら励み、体験することで初めて己の糧になります。たった一つの成功や失敗でさえ、百の見聞以上の意味を持つ。それらを重ねる過程こそ、魔法使いを大きく成長させるのです」
見えたそれは、かくも美しい紅蓮の光帯だった。
水面に現れる波紋の如きそれは、光も音も匂いもなく。
どこか天使の輪を連想させるような、別の世界に存在する残酷さを放っていた。
「だからこそ、サレンさんには今日のことを忘れないでほしいのです」
それに、イグニアは片手を伸ばした。
まるでそこにあるかのように、掌を広げ。
「あなたが感じた全てがあなたを作り、魔法使いとしての純度を高めるのですから」
それに指を引っかけ、優しく投げた。
水面に流れる落ち葉を、何も気なしに指でなぞるように。
強引さも力強さも、戦意すらない静かな一手。
だがそれは、容易く紅蓮の光帯の向きを変え。
「っっっっ!?」
放った張本人である、セジリオの胴体を切り焼き、地面へと叩き落とす。
「魔法とは、掌で起きる小さな奇跡です。が、それでも人間が干渉できる程度の奇跡です。つまりは、その向きや威力を意図する方向へと変えることができる。心配せずとも、そのうちサレンさんにも行えますよ」
違うと、サレンは率直に思った。
イグニアは終始気怠げだが、それでもサレンに何かを伝えようとする意図は感じたし。
どうしてかは分からないが、サレンの身を案じているのも理解できた。
だけど、それは全て細事なのだ。
(実体のない魔法に物理的に接触するだけじゃなくて、触れた一瞬で制御権を奪い取り攻撃へ転用する。言葉にすれば納得はできるけど、何をどうすれば再現できるのか全く理解できない)
精霊と契約したサレンですら、前提の時点で理解が追い付かない技術。
何をしたのかは分かるのに、それをどうやるのか想像もできない。
それはもう、サレンの知る魔法ではなく。
古今東西あらゆる書物にはない、進化を続ける最新の魔法の片鱗だった。
「……………………はは」
だから、サレンは笑った。
痛みに震えながらも、それでも溢れ出るそれに体が堪えきれなかった。
(凄い。この世界には、私の知らない未知で溢れかえっている)
インキュリア王国を巡る騒動。
そこから派生した精霊にまつわる加護と誓約。
そして、今のサレンでは理解すらできない事象の数々。
(私、魔法学校の本校に入って本当によかった)
強欲すぎると、サレンは思う。
下流階級の生まれで、魔法で大金を得たいだけでも無謀なのに。
これまで欲し求めるのは、いくらなんでも身の丈に合っていないと。
だけれども。
溢れ出るコレを、見て見ぬふりなんて絶対にできない。
イグニアの講義は、サレンの内側に執着を芽生えさせてしまった。
(…………知りたい。私の知らない何もかもを、余すことなく全て知りたい。そうすればきっと、これに対する答えも分かる日が必ず来る)
魔法とは、己が宿願を形にしたもの。
そして魔法使いは、ただそれだけを叶えるために生を全うする者。
故に、この日。
サレンが魔法使いとしての、本当の始まりを迎えた。
それがどれだけの悲劇を招くことになるのか。
この時のサレンは、それをまるで分かっていないのだった。




