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街から、音が消えた。
暴動と騒乱の最中にあるはずのインキュリア王国が、突如として沈黙に包まれる。
それは魔法という奇跡が存在する世界においても異常すぎる事態であり、本来なら絶対に起こりえない状況だった。
「…………」
町中を疾走し事態収拾を図っていたチョコは、前触れもなく起きたそれに足を止め。
「…………クアムでしょ。隠れてないで出てきなさいよ」
チョコの背後。
およそ二メートルほどの距離に、影法師のような細長い男が無言で佇んでいる。
元文学科四回生。
チョコらと同じ精霊科に属する一人であり、クアムの性格を鑑みれば単独では絶対に姿を見せない相手。
「で、誰に唆されてきたわけ?トアじゃないでしょ?」
だから、チョコは彼の最も親しい友の名を先に挙げた。
それは暗に彼女がいるだろうという推測だったのだが。
「チョコたんやっほ~。元気にしてた?」
「げっ」
ひょっこりと顔を見せ手を振る人物の顔を見て、チョコは思わずそう呻き声をあげる。
(よりにもよって、このタイミングでレナリアが戻ってきてるのか)
反応から分かることだが、チョコはレナリアを苦手としていた。
その理由は、彼女の性格にある。
「やだな~、そんなに嫌そうな顔してると化粧が剥がれ落ちちゃうよ~?スマイルスマイル~」
「…………そうね。レナリアと会わなければ、アタシは日頃から満面の笑みで生活できてるわ」
「やだ、それはそれでちょっと視たいかも。でも~、レナはチョコたんとは定期的に会いたいから諦めるね~」
灰色の髪と同じ色の瞳。
背丈は推定で百と七十で、腰より長い髪を赤いリボンで一括りにまとめている。
服装の特徴は大きく露出させた腹部に、望遠鏡をモチーフにした刺青。
加えて背中の鞄からは天体観測用の望遠鏡が見えており、ストラップは目に見えてピンと張られている。
名前を、レナリア・ハンス。
元天体科学士四年にして、進級単位が足りなすぎるせいで精霊科に追放された問題児。
彼女の場合は扱う魔法こそ無名に等しいが、その目撃例の少なさが一躍有名にしていると言える
そんな自由奔放なところがチョコが苦手意識を覚える一因ではあるが。
実際は、もっと直接的な理由があった。
それは。
「んなっ!?」
「はぁ~、やっと抱きしめられた~。チョコたん不足で死んじゃうところだったよ~」
全力疾走からの、抱擁。
チョコの背丈はざっと百と五十ほど。
レナリアより頭一つ低く、宙に足が浮くほどに抱きしめられると抜け出すことは困難を極める。
「えぇい暑いウザいしつこい!いい加減、会うたびに抱き着くのは辞めてくれる!?」
「え~、でもレナはチョコたんをぎゅっとしないと死んじゃうんだよね~」
「だったら死ね!今すぐここで悶え苦しんで死ね!」
「や~、チョコたんったらツンデレなんだから~」
「んなわけあるかぁ!!」
そんなやりとりをしている間、クアムは一言たりとも発することはしなかった。
紫混じりの黒髪で目元が隠れているのもあって、どこを見ているのかも分からない状況だ。
しかしそれでも、レナリアに抱きしめられ藻掻くチョコを助けるつもりは毛頭ないらしく。
数分ほど続いた攻防が終わるまで、クアムは一ミリたりとも動くことはしなかった。
「…………で、何しにきたわけ?」
もしかすればインキュリア王国での騒動よりも疲弊したチョコにそう問われると。
「えっとね~、久々に本校に戻ったんだけど~」
「待ってごめん。レナに聞いたアタシが馬鹿だった」
レナリアのまどろっこしい喋り方に付き合うほど暇じゃない。
一度チョコは思考を切り替え、今一番聞きたい言葉を彼女へと問う。
「あとは、誰が来てる?」
「先生だよ~」
「……………………嘘でしょ?」
本心からの驚愕。
目を大きく見開き唖然とするチョコに、レナリアは共感するように何度も頷くと。
「分かるよ~。レナも、ほんとに~?って思ったもん」
「クアムが否定しない辺り、マジで来てるのね。レナの冗談とかじゃなくて」
「チョコたん酷い~。流石に、そんな酷い嘘はつかないって~」
へにゃへにゃ笑うレナリアを放置しつつ、チョコは意識を王宮へと向けた。
(精霊科の担任教師だから、一応イグニアに監督責任はあるんだけど。これまで一度だって顔を見せたことも、まして事態に首を突っ込むために本校の外に出てきたこともなかったのに)
平時からイグニアに対して当たりが強いと自覚しているが、だからといって尊敬していないわけではない。
むしろ、この事態においてはクアム以上に心強い人物だと断言できる。
「…………元人体科、第一席。あの『撃墜せし者』と互角に渡り合ったって聞いたら、否が応でも期待するでしょ」
チョコは二人に聞こえないくらい小さな声でそう呟き、今度は違う問いを投げかける。
「念のため聞くけど、イグニア何か言ってなかった?前もってここへ向かうって話はしてたけど」
「えぇ~っとね~、なんだったかな~」
「『天秤』を、『鵂』と『識別不明』が探してる」
応えたのは、クアムだった。
それは隣にいるレナリアでさえ驚いたのか、しばらくポカンとした表情でまじまじとその顔を眺める。
その沈黙の間、クアムは慌てるでも照れるでもなく。
これ以上は話すつもりがないと分かってから、やっとチョコが口を開いた。
「…………意味はよく分かんないけど。クアムって、トア以外と話せたのね」
「びっくりしたね~。びっくりしたからチョコたんをぎゅっとしちゃおっと」
「なんでそうな…………って痛い痛い痛い!力強すぎんだって加減しろバカ!!」
力任せに抱きしめられたチョコが悲鳴を上げるが、それでもクアムが助ける様子は皆無だった。
インキュリア王国全土にいる全国民を、一人残さず制圧する。
もはや魔法の領域を超えた代物に、クアムは特別様子を変えることはなく。
「…………」
まるで上から覗いているかのように。
ただじっと、中央にある王宮を眺めているのだった。




