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サレンとて、その顔に覚えがないわけではなかった。
だがしかし、それでも断言できないだけの理由がサレンにはあった。
(…………なに、あれ)
セジリオ、であるはずの人間。
その体は燃え尽きた墨のように黒く、胸の中央辺りは煮え滾るように紅く。
なにより、彼から発せられる魔力の熱は、精霊らがいる空間でさえ容赦なく焦がすほどの力を秘めていた。
「『…………『天秤』、か』」
ロアの言葉に、真っ先にパンサラサが反応する。
「『この場において、そちが冗談は言わんとは思うが。ぜひ、そうであることを我は思うぞ』」
「『残念だが、それはない』」
「『…………ほと、厄介極まりない話だ。まだ、我らを追いかけているか』」
「『仕方あるまい。コレと小生らは、そういう巡り合わせの中にいる』」
二柱の精霊が意味深な会話をする間、クレアはどこか願うようにセジリオを眺めていた。
もしかすれば、次の瞬間に戻るかもしれないと。
揺れる瞳は静かに、それでも彼女の懇願を如実に表している。
「『して、諦めるのだな』」
だが、パンサラサはそれを端的に否定する。
「『もはやアレは救えない代物。我とて詳しいことは何も知らぬが、アレが以前の姿に戻った話を聞いた覚えがない』」
「だとしても、諦める理由にはならないでしょ」
クレアに向けた言葉に、サレンは真っすぐな声で拒否する。
「パンサラサの記憶がどうこうは重要じゃない。セジリオさんはクレアにとって大切な人で、何があっても救わないといけない相手。攻略の手順でもないんだったら、今その話は何も意味がないわ」
「『徒労だとしてもか?』」
「くどい。二度も言わせないで」
そしてサレンは、小刻みに震えるクレアの手をそっと握った。
「クレア。気持ちは分かるけど、今はオレと一緒に戦ってくれ」
ここまでの間、セジリオは呻くだけで動こうとはしなかった。
それはどこか別の何かと戦っているようであり、動く余力を別で浪費しているようにも見えた。
ただ、漏れ出る殺意は紛れもなく本物で。
そしてその隙は、クレアの震えが止まるのに十分すぎる時間だった。
「…………分かりました。とにかく、セジリオさんを助けないとですよね」
サレンは頷き、そして共に神霊外装へと姿を変える。
クレアが変身と共に取り出した杖を構えた途端、セジリオは突如として走り出した。
(武器持ったままなのに、ちょっと早すぎるでしょ!?)
両手に握られているのは、恐らくは斧に近い武器。
それは柄に対し斧頭が極端に大きい代物だったが、セジリオは難なくそれを上へ振りかぶる。
「っ、させねぇよ!!」
迎撃が間に合わない。
幾つかの要因によって生じてしまったクレアの隙を、サレンが立ち塞がることで防ぎにかかる。
「ロアっ!例のアレやるよ!」
「『任された』」
ギアを入れるように足元から魔力を吸い上げ、頭の頂点から放出されようとする前に右腕へ。
それは右の正拳付きに似た構えから放たれる、前腕の捩りを加えた掌底突き。
ロアとの相談のもと、二人で相談し編み出したそれに名をつけた。
「『虎放、絶牙』っ!!」
さながら虎が獲物を嚙み千切るかのような一撃。
回転は暴力的な応力を生じさせ、莫大な魔力の放流は回避不可の攻撃範囲を成立させる。
サレンが放ったそれはセジリオの体を容赦なく巻き込むと、白い光の柱となって天井をも貫いた。
だがそれはインキュリア王国の外殻、つまりは外洋と内陸を隔てる壁までは届かなかったが。
「…………すごい、威力ですね」
「元々、蹴って殴っては得意だからな。応用させるんなら、こっちのほうが適性があった」
上に兄が二人いるサレンにとって、喧嘩なんて日常茶飯事だった。
上が下を虐げるのなら割とありふれた話だったが、生憎とサレンはそんな行儀のいい妹ではなく。
むしろ自発的に、おおよそ勝ち目のない喧嘩を吹っかけ、ボロボロにされながら勝利を掴んできた過去を持っている。
故に暴力を振るうことへの抵抗性や、魔法を戦闘の手段で使うこと。
魔法そのものを戦いへと特化させることに違和感を覚えないのは、紛れもなくサレンの出生が理由だと言えるだろう。
そんなサレンは、自らが空けた天井穴を眺めると。
「あれで倒せるとは思ってなかったけど」
スタリ、と。
サレンとクレアを両断できる間合いにいるセジリオへ、視線を向け告げる。
「それは、ちょっと安直すぎない?」
途端、セジリオの体が突如として上へ吹き飛んだ。
否、吹き飛ばされた。
「シュラさんを倒した相手が、あれだけで倒されるわけねぇよなぁ!!」
ロア直伝、鳴震。
ほぼノーモーションで発動できる中遠距離への攻撃魔法で体の自由を奪い、サレンは躊躇うことなくセジリオの懐へと入り込む。
狙いは、胸の中央。
紅く燃えるように光る、恐らく異常の中心点だ。
(どう見たって、これが原因にしか見えないんだから)
取り外す、あるいは粉々に砕く。
仮に壊せないほど硬いものだとしても、体外に排出さえできれば結果は同じだ。
(これをブチのめせば、万事解決するでしょうよ!!)
故にサレンは、殴るのではなく叩き押すように掌を伸ばした。
殴打することで意識を奪うのではなく、むしろ狙いを異常を除去することに専念する。
そしてサレンの視界の端で、クレアがパンサラサの加護を発動させているのが見える。
周囲に揺らめく潮流に似た召喚地点は、さながら包囲するようにセジリオの周囲を滞留。
横や後ろや退避されたとて、その時点で絡め取り次手で仕留められる陣形だ。
だから、サレンは信じられなかった。
「───────がっ!?」
斬撃が、体の内側を切り裂いた。
恐らくそれはリング状のもので、セジリオの胸から放たれたのをサレンは間近で見た。
だが、それには質量がなかった。
煙のように音もなく通り抜け、なんだったのかと思った直後。
まるで巨大な斧で叩き切られたかのように。
サレンの体は地面に撃墜させられ、口から大量の血反吐を吐き出す深手を負っていた。
「…………んだ…………それ、は」
「『拙いっっ!!』」
疑問を呈する。
それが命の取り合いの最中において、どれだけ致命的な隙なのかサレンは知らなかった。
「ゴボッッ…………!?」
迫る斧頭を両腕で防ごうとし、直後に走った鋭利な痛みにサレンは息を詰まらせる。
それは槍のような鋭利な鈍器で腹部を貫かれたような、鳩尾を正確に穿ち呼吸を奪う一撃。
「…………ッ…………ァ」
思わず前のめりで腹を抱えるサレンへ、セジリオの斧は彼女の側頭部を躊躇なく振りぬいた。
「……………………され、ぁ」
共に戦っていたクレアは、質量のない斬撃で無力化されていた。
両者の違いを挙げるのなら、それは身体構造の差なのだが。
生憎と、この場において指摘する者も思考できる者もいない。
(…………マズった。これ、オレ死ぬじゃん)
音が遠い。
普段あれだけ意識せずとも分かるロアの声が、頭の中で反響して殆ど聞きとれない。
視界は霞んでいて、痛みは既に感じないところまで来ている。
当然、手足どころか顔の一部分もサレンの言うことを聞きはしない。
(…………しまったな。こんなとこで、死ぬつもりは、なかったんだけど)
死が間近に迫るなか、サレンの心は意外にも落ち着いていた。
あるいは、急すぎるあまりに現実だと認識できていないからか。
どちらにしても、サレンにできることはなく。
クレアは動けず、仮に動けたとてセジリオの斧が先にサレンへ届いてしまう。
精霊はその魔力を惜しみなく契約者に授けるが、事態が変わることはなく。
ゆっくりと、サレンの首に斧の刃先が触れようとする。
「そこまでにしましょうか」
その、寸前。
触れる寸前で、斧を止めた第三者がいた。
「話を聞きて駆け付ければ、街はめちゃくちゃ王宮は大混乱。そこに加え、シュラさんだけじゃなくサレンさんまで血まみれで倒れている、と」
白髪交じりのボサボサの黒髪。
色濃い隈に伸び切った無精髭。
ヨレヨレの白シャツに皺だらけのスラックスとネクタイ。
履き潰されボロボロになった革靴。
疲れ切った中年にしか見えない男は、当然のように素手で斧を掴み告げる。
「お前、僕の可愛い生徒に何してる?」




